「まずは、お手本をお見せします。ヤシロ様。お顔で選んで恐縮なのですが変質者役をお願いできますか?」
「恐縮するべきポイント、もっといろいろあるよな、お前の場合!?」
誰が変質者顔か。
こうなったら、全力で行ってマジでおっぱい掴んでやる!
「抱きつくか、どこかをいやらしく触ってみてください。どこでも構いませんので。まぁ、おっぱいなんでしょうけれど」
「ふ……そうやって決めつけていると、裏をかかれて痛い目を見ることになるぜ」
「……お兄ちゃん。気付いてないかもしれないですけど、視線がおっぱいをガン見してるですよ」
「……釘付けなう」
「目ぇは口ほどに物を言うっちゅうんはホンマなんやなぁ」
「本能の赴くままさねぇ……情けない」
バカモノ!
本人自ら「触っていい」と言っているんだ!
なら、一番触りたいところを狙うのは生物学的に考えても普通のことだろうが!
「とはいえ、やっぱりナタリアの胸に触るのはちょっとな」
「いえ。ほぼ確実に触れられませんので、どうぞご遠慮なく」
「気持ちの問題だよ。『必死こいてナタリアの胸に触ろう』とか出来ないだろ? だからノーマ、代わってくれないか?」
「……ヤシロが紳士的発言を……」
「折角久しぶりに雨が上がったですのに、また大雨が降るですかね?」
「マグダさんもロレッタさんも、酷いですよ。ヤシロさんは、なんだかんだと言いつつそういうことはされない方じゃないですか」
「なんや、自分。ヘタレやなぁ。真っ裸になって給仕長はんが照れて顔を隠した隙に一揉みするくらいの奇策を弄する思ぅてたのに」
「……さすがに、いくらヤシロでもそこまではしないさね」
「それに、私は一切顔を隠しませんので隙など生まれませんよ」
「隠してです、そこはさすがに!? 女子として!」
なんだかんだと騒がしく、ノーマが俺の依頼を受けて立ち上がる。
俺は横へと避けて場所を空ける。
大きく一歩、斜め後ろに下がって……ナタリアの隣に。
「けど、アタシが相手になったら、ナタリアでも止められないんじゃないかぃねぇ。スピードには自信があるんさよ」
「いえ。おそらく大丈夫でしょうから、全力でお願いします」
1メートルほどの距離をあけて向かい合うノーマとナタリア。
トルベック工務店の連中が速やかにテーブルを移動させてスペースを空ける。
以前ノーマは、ナタリアは自分よりも強いとその強さを認めていた。
しかし同時に、場所や時間、開始のタイミングが決まっているようなルールがある場合にはその限りではないというようなことも言っていた。
今、この状況こそが、ノーマとナタリアの力が拮抗する場面であると言える。
ならば、ナタリアも全神経をノーマに向けなければ後れを取ってしまうに違いない。
だからこそ、隙が生まれる。
死角が出来る。
お前の斜め後ろのこのポジション。
視界には入らず、且つお前にほど近いこの位置からなら――鷲掴みだって出来る!
ナタリアの神経が完全にノーマへと向かったのを確認して、突如、全力で床を蹴って走り出す。一歩の距離を全速力で踏み込み、全神経を集中させた右腕をナタリアの右乳目掛けて突き出す。
「おっぱい、ゲットだぜっ!」
メイド服に包み込まれたたわわな膨らみに指先が触れる――直前、世界が反転した。
「このように。背後から奇襲された場合は、相手の関節をこちら側へ曲げて手首をひねり上げると捕らえることが出来ます」
ナタリアの声が背後から聞こえる。
いつの間にか腕を取られ、関節を決められ、ぐるっと回って背後を取られ、完全無欠に取り押さえられていた。
「……お兄ちゃん、今……『必死こいてナタリアさんの胸に触ろう』としてたです」
「……不意打ち。けれど、失敗。最も恥ずかしい結末」
「ヤシロさん……懺悔してください」
取り押さえられ倒された俺に、非難の視線が向けられている。
やめろ、見るな!
おっぱいに触れて英雄になるはずだった男の末路を、好奇の視線にさらすんじゃない!
「今の技も含め、店長さんには『おっぱいを守る四十八の護身術』をお教え致します」
「あの……どうして、胸ばかりそんなに。もっと普通のも……」
「何を言っているんですか。一番身近にいる変質者の大好物がおっぱいなんですよ? そこを重点的に守るだけで、被害はかなり防げます」
「…………」
ちらりと、ジネットの瞳が一瞬だけ俺を見た。
「…………では、お願いします」
変質者認定いただきました!
……誰がだ、こら。
「何をやっているんだい、ナタリア?」
ドアが開き、見慣れた顔と声が陽だまり亭へ入ってくる。
がっちりと関節を決められる俺と、喜々として俺を取り押さえているナタリアを見て、呆れ顔で息を吐くエステラ。
「護身術講座の体験学習かい?」
状況を見てすべてを察したらしいエステラは、取り押さえられている俺の顔を覗き込んでニヤリと口角を持ち上げる。
「素晴らしいキャスティングだね。ここまで変質者になりきれるなんて、君は演技の天才かもしれないよ、ヤシロ」
うっせぇ。なんもしてねぇわ。メイクどころか、演技もな。
「そうでした。本日は店長さんにお話があるのでした」
エステラを見て、ようやく本来の目的を思い出したらしいナタリア。
俺の腕を解放して、ジネットに何かが書かれた紙を手渡している。
……やっと解放された。
くそ。肩が痛い。
「体験できてよかったね」
澄ました笑みを浮かべてエステラが言う。
何が体験だ。
「体験するなら、技をかける方だろうが」
「いやいや。この街で不埒を働くとそういう目に遭うという貴重な体験だよ。骨身に沁みたのなら、不埒は自重することだね。次は体験では済まないからね」
楽しそうに言いやがって。
逮捕体験なんか楽しくもなんもねぇっつの。
「お前もナタリアから護身術習ってるのか?」
「まぁ一通りはね。これでもボク、貴族だからね」
「そうか」
だったら避けられるのだろうと予測して、俺は一歩踏み込んで右腕をエステラの胸に目掛けて突き出す。
人の不幸を面白がると自分の身にも降りかかってくるという戒めだ。
おっぱいを狙われて精々照れるといい。
俺の腕を取り押さえつつ、真っ赤に染まった顔で照れ隠しに「学習能力がないのかい、君は!?」みたいなイヤミでも吐きやがれ。
――と、思って突き出した右腕が、いつまでたっても掴まれない。
おいおい。早くしないと、マジで触っちまうぞ?
人が死ぬ時、世界がスローモーションに見えるという。
今はまさにその状況で、ゆっくりと突き出された俺の右手が、向かい合うエステラの左乳に接近していく様を、俺はコマ送りで眺めていた。
体を動かすことは出来ないが、意識だけが妙に鮮明で様々なことを思考している。
視線を動かすと、エステラが驚いたように目をまん丸く見開いていた。
腕は跳ね上がって顔の横あたりにある。……護身術どうした、お前?
そして気付く。こいつ、俺の腕止められないな、と。
そして、このスローモーションの世界の意味も正確に把握する。
あぁ、俺、この後死ぬんだ。
勢いよく突き出した腕がエステラの胸に触れる、そのわずか一瞬前、俺の腕がガシッと掴まれた。
俺の腕を止めてくれたのは、ノーマの手。
次の瞬間世界が音を取り戻す。
時間が正常に流れ出す。
「なにやってるんさね、ヤシロ!?」
言われて改めて見てみると、俺の手はエステラの胸、スレッスレのところにまで接近していた。
「危なっ!?」
「危ないのはあんたさよ!?」
いやいやいやいや!
「護身術どうしたよ、エステラ!?」
「そ、そそそ、そんな急に対応できるわけ、な、なな、ないだろう!?」
「バカ、お前! 痴漢なんか急に来るもんなんだから、体に沁み込ませとけよ!」
「普段ならもっと気を張っていたさ! でも、陽だまり亭と自分の部屋でくらいは気を張らずにゆっくりしたいんだよ! リラックスしてるの!」
「緊張感持てよ! もしお前が普通の乳をしていたら、確実に触れてるとこまで接近してるからな!?」
「君に説教される謂われはないよ! …………誰が普通未満の乳か!?」
エステラがオールブルーム随一のぺったんこであったため、事故は起こらずに済んだ。
しかし、これはちょっとした事件ではないだろうか?
もし俺が本当に変質者だったなら、エステラのおっぱいは変質者に弄ばれてしまったことだろう。大事件だ。
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