異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】私を頼ってくれた

公開日時: 2020年12月15日(火) 20:01
文字数:3,983

 夕刻。

 監視対象は静かに移動を開始しました。

 

「最悪の事態だけは回避できたようで何よりです」

 

 物陰に隠れ、彼――パーシー・レイヤードを見送り、私はもう一つの依頼を遂行するため移動を始めます。

 

 

 本日の昼前、突然館に現れたヤシロ様は、新砂糖流通計画という途方もない話をお嬢様に語り、全面協力を求めてきました。

 お嬢様とケーキを食べに行くと言っていたころから、何かを企んでいるとは思っていましたけれど、まさかそんな大それた企てをしていたとは……

 

 貴族に真っ向から反発して無事でいられると、この男は本気で考えているのでしょうか……いるのでしょうね、おそらく。

 あまりに無謀で、あまりに恐れ知らず。

 

 しかし困ったことに、その計画は粗削りではあるものの、非常に魅力的に聞こえました。

 そして、十分に実行可能でリスクを冒すだけの価値があると、納得せざるを得ない内容でした。

 

 何より――

 

 関係するものすべてに痛みを強要する無謀な計画だと前置きして始められた計画案は、蓋を開けてみればヤシロ様本人に最も危険と苦労が集中する内容でした。

 それを、言葉巧みにリスクを分散するかのように騙り、こちらにリスクを押しつけるのだと言わんばかりの語り口で自身へのリスクの集中を誤魔化してしまう。

 そんなことをする理由とメリットがまったく見出せず、これこそが悪党『オオバヤシロ』の欺瞞ではないのかと思ったほどでしたが……

 

 結局、どう転んでも危険にさらされるのは彼一人。

 ただし、計画遂行のためにそれが不可欠であるということも理解できてしまうため、私は何も言えず、従うことしか出来ませんでした。

 

「なんだか、ヤシロ様の暗殺を手助けさせられているようで不快ですね……」

 

 おそらく、現場ではお嬢様や陽だまり亭のトラの少女がうまく対応して未然に防ぐのでしょうが……万が一ということは考えないのでしょうか。

 私がいれば、その万が一さえも的確に潰せるというのに……

 

 

『万が一、パーシーのヤツがバカな自棄を起こして最悪の事態になりそうな時は、全力で止めてほしい』

 

 

 ヤシロ様が私に依頼したのは、自分の暗殺を目論むパーシー・レイヤードの自決阻止でした。

 訳が分かりません。

『まぁ、あの兄妹・・なら大丈夫だろうけどな』という謎の自信の出所も、よく分かりませんでしたけれど。

 

「ごめんください」

 

 工場に比べ、老朽化が目立つ家屋の前に立ち室内へと呼びかける。

 ほどなくして、扉が開き中からまだ幼さの残る一人の少女が顔を出しました。

 

「モリー・レイヤードさん、ですね?」

「え……はい。あの、あなたは……?」

 

 警戒心と怯えがよく分かる顔でこちらを見上げてくる少女に、私はいつも通り冷静に名を告げます。

 

「私は、ナタリア・オーウェンと申します。四十二区領主の館のメイド長を仰せつかっております」

「領主様の……」

 

 不安に揺れる瞳が大きく見開かれ、そして諦めたように伏せられ、消え入るような声が漏れ出しました。

 

「……そうですか。分かりました。あなたの言うことに従います」

 

 その反応に、私は少し驚いてしまいました。

 まだ十四歳だという少女の潔さにではなく、こうなると予想を語っていたヤシロ様の言う通りに事が進んでいることに、です。

 

 

『モリーはすべてを理解している。おそらく、名を名乗るだけで大人しくこちらの言うことを聞いてくれるだろう』

 

 

 そんな予言めいたことを、確信をもって語っていたヤシロ様の表情はどこか寂し気でした。

 なるほど。

 すべてを理解した上で彼女が今という時間を過ごしているのであれば、あの表情にも納得です。

 

「あ、あのっ、兄ちゃんは、私のために……だから、悪いのは……っ!」

「それを訴えるべき相手は、私ではありません。私はただ、あなたをお迎えに上がっただけですので」

「…………そう、ですか」

 

 言いたいことはあるのでしょう。

 吐き出してしまいたいことだらけなのでしょう。

 ただ、そのきっかけが見つからない。

 

 すべてをさらけ出せば楽になれるかもしれない。

 けれど、すべてを失うかもしれない。

 人生が滅茶苦茶になって、終わってしまうかもしれない。

 けれど、その小さな胸の内にずっとしまい込んでおくには、この兄妹の現実はあまりに重た過ぎるのでしょう。

 

 彼女を見ていると、少し息苦しくなってしまいます。

 

 まるで、死ぬことにしか活路を見出せないと思い込んでいるようで。

 終末の先にしか救いがないと信じ込んでいるようで。

 生きていること自体に後ろめたさと罪の意識を感じている、そんな誤った自虐感に支配されているようで……胸が詰まります。

 

 

 ……ふふ。

 

 

 場違いにも、笑みが零れてしまいました。

 だって、それはあまりにも……

 

 あまりにも、お人好し過ぎると思えてしまえて。

 

 

 ヤシロ様。

 

 あなたは、他の区の、それもたった数度会っただけのこんな少女のことまで、救わないと気が済まない人なのですね。

 

 なるほど。

 つまりはこういうことなのですね。

 

 

 自分には守ってくれる人がいる。

 だから、寄る辺もなく不安なこの兄妹を守ってほしかった。

 万が一にも兄を失えばこの儚げな少女は耐え切れなくなるから。

 

 

 この兄妹を守るために悪意と凶刃を自分へ向かわせ、そのための保険を疎かにしてまでも弱い立場の人間の保護を最優先とした。

 

 

 万が一にも最悪の事態が起こるのならば――それは、自分のもとで起こればいい。

 

 

 おのれの対処能力を過信しているのか、おのれの価値や周りに与える影響力を過小評価しているのか……どちらにせよ、浅はかと言わざるを得ませんね。

 ただまぁ、その考え方は、我が敬愛する領主代行様と近しいものがあり、好感が持てます。

 

 その分、フォローするこちらの負担と心労は増すばかりなのですけれど……

 

「あ、あの……」

 

 向かい合う少女が、遠慮がちに声をかけてきました。

 

「何か?」

「えっと……なんだか、嬉しそうだなって……その、笑って、らっしゃるから」

 

 笑って?

 

 指摘され、自分の頬に触れてみますがよく分かりません。

 けれど、そう言われたのですから、おそらく私は笑っていたのでしょう。

 

「す、すみません。変なことを言って……気にしないでくださ……」

「笑いますよ」

 

 慌てるモリーさんに、私は笑顔を向けます。

 今度は、はっきりと自分の意志で笑って。

 

「我々の未来は明るいのだと確信できれば、人は自然と笑顔を見せるものです」

 

 私は今回、何をしたわけでもない。

 パーシー・レイヤードは自棄を起こすでも暴走するでもなく、ヤシロ様の思惑通りに淡々と四十二区へ向かい、妹のモリー・レイヤードも抵抗するでも取り乱すでもなく、すべてを理解した上で大人しく指示に従うと言っている。

 私でなくとも、誰でも代わりは務まったかもしれません。

 

 ですが、ヤシロ様の最大の懸念は間違いなくここにあったのです。

 万が一でさえ許容できない不安がここにあったのです。

 

 それを潰すために、私をここに派遣した。

 計画の完遂のために。

 一万分の一の確率をゼロにするために――私を頼ってくれた。

 

 ……ふふ。

 なんなのでしょうね。

 この「任された」という充実感は。

 

 いつの間に、私はヤシロ様に全幅の信頼を得ていたのでしょう。

 ……悪くないですね。ふふ。

 

「モリーさん」

「は、はい」

「これから、あなたには四十二区へ同行していただきます。強要はしませんが、拒否しないでくださると助かります」

「は……はい。ついて、いきます」

 

 彼女の分析も的確ですね。

『最悪の場合、ふん縛ってでも連れてきてほしい』などと言っておきながら、その必要はないと顔に書いてありましたし。

 

「では、馬車へご案内します」

「ば、馬車……ですか?」

「えぇ。歩いていくのは時間がかかりますから」

 

 すべてはタイミングが命。

 一分の遅刻も許されないのです。不測の事態を起こしている余地などないのです。

 まったく、予防線をいくつも張っているくせに、スケジュールだけはタイトなのですから……

 

 馬車を前に、モリーさんは委縮したような表情で固まってしまいました。

 小さくとも領主の馬車。一般人が乗り込むには、相当の覚悟が必要なのでしょう。

 もしかしたら、死地へ赴くような気分なのかもしれませんが。

 

「モリーさん」

「は、はいっ」

「あなたは、どのような未来を望みますか?」

「…………私は……どんな裁きも、受けるつもりで……」

「そうではなく。どのような未来を、望みますか?」

 

 望みとは、そのような消極的な感情で語るものではありません。

 実現不可能だと、滑稽だと、現実が見えていないと笑われようと、おのれの中の望みだけは矮小化してはいけないのです。

 

 私は、ここ最近それを学びました。

 

 絶望と向かい合わせだった四十二区が、考えられないくらいに変貌した。

 そして、この先――今では考えも及ばないような発展をするのだと確信できます。

 

 望みとは、荒唐無稽と笑われようと、決して矮小化してはならないものなのです。

 

「私は……兄ちゃんが……笑って暮らせるようになればいいなって……」

「そのためには、まずはあなたが笑って暮らす必要がありますね」

「……え?」

 

 兄思いの妹は、兄に思われていることも自覚しているはずです。

 なるほどなるほど。

 こういうタイプの娘だからこそ、きっと放ってはおけなかったのでしょうね、あの『お人好し』は。

 

「帰りにも馬車をお貸しします」

「え、……あの……?」

 

 行ったっきり、刑にでも服すつもりなのか、驚いた顔でモリーさんが私を見ます。

 どう転ぶかはまだ分からない。だから、すべてをここで話すわけにはいかない。

 けれど、どう転ぼうが結果が変わらないと断言できることならば、ここで伝えてしまっても構わないでしょう。

 

「予告しておきます。あなたはきっと、帰りの馬車の中で笑顔を見せているでしょう」

「…………へ?」

 

 特別なゲストをもてなすように、モリーさんを馬車へとエスコートして、私は四十区を後にしました。

 私たちの乗った馬車は、暗くなり始めた道をひた走りました。

 

 笑顔で過ごせるであろう、未来へ向かって。

 

 

 

 

 

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