「何飲むか決まってる?」
さっき注文聞けなかったから、そんなことを聞く。
まぁ、ヤシロだったら間違いなくフレッシュジュースで……
「酒は何がある?」
え?
お酒?
だって、ヤシロ。お酒飲まないじゃん。
……珍しく飲みたいのかな?
「ワインにエール、ビールもあるよ」
そして、ヤシロは少し考える素振りを見せる。
……あれ?
この光景……どこかで……
「ソフトドリンクはあるか?」
あっ!?
そうだ、これ……
「グレープフルーツジュースかブドウジュースなら」
記憶を頼りに、あの時と同じ言葉を口にする。
「じゃあ、グレープフルーツジュースを」
そうしたら、記憶の通りの言葉が返ってきた。
そうだ。
これ……あたしが初めてヤシロと交わした会話だ。
……たまに、なんとな~くだけど、『会話記録』で読み返したりしてるから、あたしは覚えてるけど……
ヤシロも、覚えててくれたんだ……
あ……
……わっさわっさ。
ちょっと、嬉しい……っ。
目の前にはにっこり笑うヤシロ。
……もう。こういう冗談、好きだよね、ヤシロは。
じゃあ……もうちょっと先まで思い出させてあげる。
あたしは手のひらを上にして、すっと手を差し出した。
「20Rb!」
「…………え?」
ヤシロが真顔になる。
「グレープフルーツジュースは、20Rbだよ!」
「え…………」
そうそう。
前もヤシロ、ここでこんな素っ頓狂な顔をしたんだよね。
それであたしピーンときたんだ。
「お客さん。食い逃げするつもりでウチに来たんだとしたら、父ちゃんが黙っちゃいないからね?」
犬歯をキラリと光らせて、ヤシロに笑みを向ける。
これ、悪客撃退用笑顔なんだよね。あたしが考えて、すっごく練習したの。
この顔をすれば、大抵の小狡い客は逃げてっちゃうんだ。
けど、ヤシロは。
「どうせなら、お前に噛みつかれたいな」
「へっ!?」
……そ、そんなこと、あの時は言ってなかったよね?
「さぁ、どこに噛みつく? 腕か? 足か?」
「え、いや……ちょっと、待って……」
「それとも……」
言いながら、ヤシロは襟をグイッと引き下げて鎖骨を露わにする。
「……首筋か?」
「――っ!?」
ぼふっ! って、顔が真っ赤に染まった。
く、首筋にか、噛みつくなんて…………出来るわけないでしょうっ。
「も、もう! からかわないで! お金がないなら商品出してあげない!」
「じゃあ、また奢ってくれよ、あの時みたいに」
「やだもん!」
「じゃあ、何か賭けをするか?」
賭け……
あの時、あたしはヤシロと賭けをした。
それで、まんまと一杯食わされて、グレープフルーツジュースを驕ったんだよね。
「…………いいよ」
賭けくらい、乗ってあげる。
その代わり…………
「あたしの名前を言えたら、ご馳走してあげる」
その代わり……忘れないでよ。
あたし、こんなに覚えてるよ?
ヤシロのこと、いっぱい、いっぱい、覚えてるよ?
ねぇ知ってる?
あたし、毎日寝る前にね、ヤシロのこと考えちゃうんだよ?
明日は会えるかな、お話しできるかなって。
あたしの心の中、ヤシロのことでいっぱいなんだよ?
あたしだけがこんなに覚えてて…………ヤシロはそれ全部忘れちゃうなんて…………悲し過ぎるじゃない……っ!
だから、ねぇ…………あたしの名前、呼んでよ。
ヤシロの声で、聞きたいよ……
「……ほら、早く言ってみて、あたしの名前」
ヤシロは、難しそうな顔をして、あたしを見上げている。
…………本当に、分からないんだね。……ヤシロ。
「……もし、分からないなら…………もう、帰って……」
きっと、あたし……泣いちゃうから。
……泣いてる顔なんて、見せたくないから…………
「……分かった」
静かに言って、ヤシロが立ち上がる。
………………そっか。
あたしの名前……分から、ないんだ…………
自然と視線が下がる。
肩も頭も重たくて……あたしはその場でうな垂れる。
世界が、真っ暗に塗り潰されていく…………
「……この賭け」
すぐそばで声がして……耳に息がかかる。
「俺の勝ちだな、パウラ」
「――っ!?」
思わず顔を上げたら、すぐ目の前にヤシロの顔があって「きゃっ!?」って悲鳴を上げると同時に足がもつれて……あぁ、もう! なにテンパってんのよ、あたし!
あたしは、ヤシロの胸に倒れ込むようにして寄りかかった。
「おっと。大丈夫か、パウラ?」
「名前……思い出したの?」
「あぁ。ついさっきな」
「…………なによ。思い出したならすぐ言いなさいよ……っ、バカ」
嬉しいのと悔しいのがごっちゃになって、あたしはヤシロの胸に顔を押しつけて、握った拳でぽかぽか殴ってやった。
……バカ。バカヤシロ。
すごく不安だったんだから……すごくすごく……怖かったんだからっ!
「悪かったな。でも、もう大丈夫だ」
後頭部に、優しい感触……ヤシロの手が頭を撫でてくれる。
そして、反対の手のひらには小さな種…………これ、魔草の?
「な? これでもう二度と……」
そして、完全に油断したところで……
「パウラのことは忘れない」
耳元でそんなことを囁かれた。
ぼふっ!
あたし史上、最大の大きさに、尻尾の毛が膨らむ。
……わっさわっさわっさわっさ! わっさわっさわっさわっさ!
あぁぁぁ、もう! 尻尾のわっさわっさが止まらないっ!
恥ずかしい……恥ずかしい…………けど……嬉しいよぉぉおおっ!
で、でもね、今だけ……今だけだからっ!
「ヤシロォォッ!」
首に飛びついて、思いっきり抱きしめた。
尻尾が揺れるのも気にしない!
今だけだからいいんだもん!
「パウラ……尻尾がすごいことになってるぞ」
「もう! 言わないでって言ったのに…………いいんだもん、今は!」
「いやでも……」
「いいの!」
心配させた罰なんだから!
しばらく黙ってこうされてなさい!
「……尻尾がわっさわっさし過ぎて尻尾穴が広がってよぉ…………パンチラしてるぞ?」
「――っ!?」
慌てて飛び退いて尻尾を両手で隠す。
も…………も~ぅ!
「そういうデリカシーないこと言うなってばぁ! ヤシロのバカァ!」
もう!
グレープフルーツジュース、とびっきり酸っぱいヤツ出してやるから!
覚悟しないさいよね!
……でも、思い出してくれて、ありがとね。ヤシロ。
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