異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

追想編10 パウラ -3-

公開日時: 2021年3月12日(金) 20:01
文字数:2,441

「何飲むか決まってる?」

 

 さっき注文聞けなかったから、そんなことを聞く。

 まぁ、ヤシロだったら間違いなくフレッシュジュースで……

 

「酒は何がある?」

 

 え?

 お酒?

 

 だって、ヤシロ。お酒飲まないじゃん。

 

 ……珍しく飲みたいのかな?

 

「ワインにエール、ビールもあるよ」

 

 そして、ヤシロは少し考える素振りを見せる。

 ……あれ?

 この光景……どこかで……

 

「ソフトドリンクはあるか?」

 

 あっ!?

 そうだ、これ……

 

「グレープフルーツジュースかブドウジュースなら」

 

 記憶を頼りに、あの時と同じ言葉を口にする。

 

「じゃあ、グレープフルーツジュースを」

 

 そうしたら、記憶の通りの言葉が返ってきた。

 

 そうだ。

 これ……あたしが初めてヤシロと交わした会話だ。

 

 ……たまに、なんとな~くだけど、『会話記録カンバセーション・レコード』で読み返したりしてるから、あたしは覚えてるけど……

 

 ヤシロも、覚えててくれたんだ……

 

 あ……

 

 ……わっさわっさ。

 

 ちょっと、嬉しい……っ。

 

 目の前にはにっこり笑うヤシロ。

 ……もう。こういう冗談、好きだよね、ヤシロは。

 じゃあ……もうちょっと先まで思い出させてあげる。

 

 あたしは手のひらを上にして、すっと手を差し出した。

 

「20Rb!」

「…………え?」

 

 ヤシロが真顔になる。

 

「グレープフルーツジュースは、20Rbだよ!」

「え…………」

 

 そうそう。

 前もヤシロ、ここでこんな素っ頓狂な顔をしたんだよね。

 それであたしピーンときたんだ。

 

「お客さん。食い逃げするつもりでウチに来たんだとしたら、父ちゃんが黙っちゃいないからね?」

 

 犬歯をキラリと光らせて、ヤシロに笑みを向ける。

 これ、悪客撃退用笑顔なんだよね。あたしが考えて、すっごく練習したの。

 この顔をすれば、大抵の小狡い客は逃げてっちゃうんだ。

 

 けど、ヤシロは。

 

「どうせなら、お前に噛みつかれたいな」

「へっ!?」

 

 ……そ、そんなこと、あの時は言ってなかったよね?

 

「さぁ、どこに噛みつく? 腕か? 足か?」

「え、いや……ちょっと、待って……」

「それとも……」

 

 言いながら、ヤシロは襟をグイッと引き下げて鎖骨を露わにする。

 

「……首筋か?」

「――っ!?」

 

 ぼふっ! って、顔が真っ赤に染まった。

 

 く、首筋にか、噛みつくなんて…………出来るわけないでしょうっ。

 

「も、もう! からかわないで! お金がないなら商品出してあげない!」

「じゃあ、また奢ってくれよ、あの時みたいに」

「やだもん!」

「じゃあ、何か賭けをするか?」

 

 賭け……

 

 あの時、あたしはヤシロと賭けをした。

 それで、まんまと一杯食わされて、グレープフルーツジュースを驕ったんだよね。

 

「…………いいよ」

 

 賭けくらい、乗ってあげる。

 その代わり…………

 

「あたしの名前を言えたら、ご馳走してあげる」

 

 その代わり……忘れないでよ。

 あたし、こんなに覚えてるよ?

 ヤシロのこと、いっぱい、いっぱい、覚えてるよ?

 

 ねぇ知ってる?

 あたし、毎日寝る前にね、ヤシロのこと考えちゃうんだよ?

 明日は会えるかな、お話しできるかなって。

 

 あたしの心の中、ヤシロのことでいっぱいなんだよ?

 

 あたしだけがこんなに覚えてて…………ヤシロはそれ全部忘れちゃうなんて…………悲し過ぎるじゃない……っ!

 

 だから、ねぇ…………あたしの名前、呼んでよ。

 ヤシロの声で、聞きたいよ……

 

「……ほら、早く言ってみて、あたしの名前」

 

 ヤシロは、難しそうな顔をして、あたしを見上げている。

 …………本当に、分からないんだね。……ヤシロ。

 

「……もし、分からないなら…………もう、帰って……」

 

 きっと、あたし……泣いちゃうから。

 ……泣いてる顔なんて、見せたくないから…………

 

「……分かった」

 

 静かに言って、ヤシロが立ち上がる。

 

 ………………そっか。

 あたしの名前……分から、ないんだ…………

 

 自然と視線が下がる。

 肩も頭も重たくて……あたしはその場でうな垂れる。

 

 世界が、真っ暗に塗り潰されていく…………

 

「……この賭け」

 

 すぐそばで声がして……耳に息がかかる。

 

「俺の勝ちだな、パウラ」

「――っ!?」

 

 思わず顔を上げたら、すぐ目の前にヤシロの顔があって「きゃっ!?」って悲鳴を上げると同時に足がもつれて……あぁ、もう! なにテンパってんのよ、あたし!

 あたしは、ヤシロの胸に倒れ込むようにして寄りかかった。

 

「おっと。大丈夫か、パウラ?」

「名前……思い出したの?」

「あぁ。ついさっきな」

「…………なによ。思い出したならすぐ言いなさいよ……っ、バカ」

 

 嬉しいのと悔しいのがごっちゃになって、あたしはヤシロの胸に顔を押しつけて、握った拳でぽかぽか殴ってやった。

 

 ……バカ。バカヤシロ。

 すごく不安だったんだから……すごくすごく……怖かったんだからっ!

 

「悪かったな。でも、もう大丈夫だ」

 

 後頭部に、優しい感触……ヤシロの手が頭を撫でてくれる。

 そして、反対の手のひらには小さな種…………これ、魔草の?

 

「な? これでもう二度と……」

 

 そして、完全に油断したところで……

 

「パウラのことは忘れない」

 

 耳元でそんなことを囁かれた。

 

 ぼふっ!

 

 あたし史上、最大の大きさに、尻尾の毛が膨らむ。

 ……わっさわっさわっさわっさ! わっさわっさわっさわっさ!

 

 あぁぁぁ、もう! 尻尾のわっさわっさが止まらないっ!

 

 恥ずかしい……恥ずかしい…………けど……嬉しいよぉぉおおっ!

 

 で、でもね、今だけ……今だけだからっ!

 

「ヤシロォォッ!」

 

 首に飛びついて、思いっきり抱きしめた。

 尻尾が揺れるのも気にしない!

 今だけだからいいんだもん!

 

「パウラ……尻尾がすごいことになってるぞ」

「もう! 言わないでって言ったのに…………いいんだもん、今は!」

「いやでも……」

「いいの!」

 

 心配させた罰なんだから!

 しばらく黙ってこうされてなさい!

 

「……尻尾がわっさわっさし過ぎて尻尾穴が広がってよぉ…………パンチラしてるぞ?」

「――っ!?」

 

 慌てて飛び退いて尻尾を両手で隠す。

 

 も…………も~ぅ!

 

「そういうデリカシーないこと言うなってばぁ! ヤシロのバカァ!」

 

 

 もう!

 グレープフルーツジュース、とびっきり酸っぱいヤツ出してやるから!

 覚悟しないさいよね!

 

 

 ……でも、思い出してくれて、ありがとね。ヤシロ。

 

 

 

 

 

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