オルフェンが腹をくくったようだ。
だが、それが見せかけの決意なのかどうか、最後にもう一度だけ試させてもらう。
「想像していた以上の規模になりそうだ。最初は簡単な集客方法を教えて、情報量として10万Rbもらうつもりだったんだが……大規模工事が必要になる。それも他区の領主を勧誘するより以前にだ。つまり――」
「融資を受ける前に、まとまった金額が必要だということですね」
「そうだ。もう少し出せそうか?」
真面目な顔で見つめれば、オルフェンはぐっと眉間にシワを寄せた。
「ちなみに、如何ほどになりそうですか?」
「今の100倍」
「ひゃくばいっ!? い……1000万Rb……ですか」
「百万円でコンサルするよ~」と持ち掛けて、「思ったより大変だから、やっぱ一億かかるわ~」という状況だ。
まぁ、普通ならお断り案件だろう。
だが、こいつらにはあとがない。
俺の提案した案は、エステラやルシアという他区の領主の反応も上々だった。
それ以上の打開案は、こいつらには思い浮かばないだろう。
さりとて一億。
さぁ、どうする?
「……さすがに、そのような大金は……」
「出すのだ、オルフェン!」
尻込みをしたオルフェンのケツを、アヒムが引っ叩いた。
「今を逃せば、これだけ多くの領主からの援助は受けられぬ! 今が、今この瞬間が、三十一区が変われるかどうかの瀬戸際なのだ!」
「しかし、兄上。実際問題、どこにもそのようなお金は……」
「ないなら借りるのだ! 四家の貴族たち、そして、領民たちから! 少しずつでもいい、必ず返すと約束して、死に物狂いでかき集めるのだ!」
アヒムの目が真っ赤に充血している。
「必要なら、私が街中を土下座して回ってもいい! 『あのバカ兄のせいで金が要るのだ』と私を槍玉に挙げてもいい! 事が住んだ後、責任を取るためと私を投獄したっていい! 領民の気が済むのなら、公開処刑でもなんでも受けてやろう! 今しかないのだ! 其方も領主をしていればいつか分かる。他区の者に、これほど有益な情報をくれる領主など千人に一人もいない! 本当に、一人もいないのだ! 今が、どれだけ恵まれた状況か、領主になったばかりの其方には分からぬかもしれん。だから、私が言おう。こんなチャンスは一生やって来ない。今を逃せば三十一区は終わる!」
呼吸を忘れたかのように捲し立て、そこでようやく息を吸う。
肺とノドが悲鳴を上げるような音が響く。
「そうだ、まずは我が家の宝を売ろう。二十三区領主ミスター・ハーゲンに頭を下げて、なんとか金に換えてもらおう。二十四区のミスター・ドナーティにも頼んでみよう。古いものだが、品はいいはずだ。買い叩かれてもいい、二束三文でもいい、すべてを売って足しにするのだ。あとは、期限の許す範囲で外周区の領主と面会をして、地べたに這い蹲ってでも情けを乞う。大丈夫だ、こういうことには慣れている。ウィシャートに散々踏みつけられた頭だ。三十一区の未来を繋ぐためならば、何度だって地面に打ち付けてくれる」
今が、汚名をすすぐ機会だと見極めたらしい。
死地に赴く兵士のような、どこか高潔な表情で、アヒムはオルフェンの肩に手を置く。
「其方がいてくれてよかった。其方になら、あとのことを任せられる。泥は私が被ろう。すべての悪意をこの身に集め、私がいなくなれば、きっとすべてが丸く収ま――」
「ダメです」
アヒムの言葉を止めたのは、ジネットだった。
「それは、周りの者も、何よりあなた自身を深く傷付ける行いです。どうか、考え直してください」
俺が大食い大会の時にやろうとしたこと。
アヒムが今口にしていたのは、まさにその考え方だった。
それはダメだと、ジネットは強い口調で訴える。
なんだか、俺が叱られている気分だ。
「アヒムさん。あなたには、オルフェンさんを教育するというお仕事が残っているはずです」
「しかし……」
「オルフェンさんには、まだまだあなたが必要なはずです。違いますか、オルフェンさん」
「……は、はい。彼女の言う通りですよ、兄上! 今あなたにいなくなられると、それこそ三十一区は崩壊します」
オルフェンの言葉に、アヒムは言葉を詰まらせる。
その沈黙の間に、ジネットがアヒムに訴えかける。
「お金のことは、確かにとても大変なことだと思います。ですが、お金よりも大切なものがあることくらい、領主のみなさんは分かってくださいます。誠心誠意お願いしてみましょう。わたしでよければ、お手伝いいたしますから」
まったく関係ないのに、ジネットが協力を申し出た。
それだけで、エステラとルシアは陥落だな。最強の助っ人じゃねぇか。やったな、アヒム。
「あ、あの……」
イチローが席を立つ。
そして、アヒムの前にヒザを突いた。
「私は、自分が恥ずかしい。あなたのことを酷く誤解していたようです」
イチローに続いて、ジロー、サブロー、シロー、ユキコ、ツキコ、ハナコ、アマリコがヒザを突く。
そして、アヒムに向かって頭を下げる。
「それほどまでに三十一区のことを考えていてくださったこと、存じ上げておりませんでした。いや、愚かにも些細な反発心から、真実が見えていなかったのだと思います」
「我々は、領主様に――あなた方ご兄弟に、誠心誠意お仕えいたします」
「持てるすべてを出し切って、ご助力差し上げます!」
「其方ら……」
アヒムの本気を感じ、四貴族が心を開いたようだ。
氷が溶けるように、両者の間に立ち塞がっていたわだかまりが消えていく。
「さすが、陽だまり亭の店長だな」
「いえ。わたしではなく、アヒムさんの言葉が届いたんですよ」
ついさっきまで、四貴族はアヒムのことを本当に嫌っていたのだろう。
その自覚があるからだろうが、アヒムが一番困惑している。
「どうか、顔を上げてほしい。其方らに対する私の態度は、とても褒められるものではなく、むしろ咎められ、責められて当然のものだった」
焦るアヒムに、誰も言葉を返さない。
だから俺が「確かに!」と口を開く。
「あれは酷かったよな。なぁ、エステラ、こいつが四十二区で見せた言動、最低だったよな。そりゃ嫌われるっつーの。よってアヒムが悪い!」
「君は、どうして、折角のいい雰囲気をぶち壊すのさ!?」
「いや、微笑みの領主様。彼の言う通りです。私は、本当に、小さい男でした」
「え、ナニがやろか!?」
「黙って、レジーナ! ひっさしぶりにしゃべったと思ったらソレとか、本当に残念過ぎるから!」
「四貴族もよく我慢したよなぁ。相当ムカついてただろ?」
「それは、まぁ……」
「何度殴ろうと思ったことか」
「私など、一度泥玉をぶつけてやりましたよ、こっそりと」
「アレは其方であったのか!? 気に入っていた服が台無しになったのだぞ!?」
「でも兄上、あの色遣いは下品ですから、ちょうどよかったのでは?」
「センスに関してだけは其方に言われたくないぞ! なんだ其方の寝間着! なんでピンクだ!? ピンクに黄色い縞模様って、夜に見ても目がちかちかするわ!」
「アレは、警戒色です」
「誰に対してのだ!?」
「……ぶふっ!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐアヒムたちのバカ話に、エステラが噴き出した。
釣られてルシアも笑い出す。
「そなたら。本当に……バカなのではないか?」
ルシアに言われ、アヒムとオルフェンが顔を見合わせて笑い出す。
それに引きずられるように、四貴族夫婦も笑い出した。
笑い声に包まれ、場の空気が和んだところで、アヒムが表情を引き締める。
「これまでの愚行を、誠心誠意謝罪して回ります。まだ一晩ですが、領主の座から降りたことで、ようやくおのれを省みることが出来ました。……私は周りの、よくない者たちの空気に流され過ぎていて、それが当たり前だと疑問にも思っていませんでした。……平民を見下し、獣人族を忌避するなど……自分の手足を憎むような愚かな行為だと、今さらながらに気付かされました」
街の運営は、平民たちの力なくして成り立たない。
指示を出す貴族が頭脳なら、それに従って動く平民は自身の手足と同じだ。
自分の手足を蔑んで切り捨てるようなバカは存在しない。
そんなことに、ようやく気が付いたのだという。
アヒムの言葉に、ルシアが大きなため息を漏らした。
「それは、他の領主連中も耳が痛い言葉かもしれぬな。『獣人族を領主が重用するな』と、耳にタコが出来るほどに言われたものだぞ、私は」
古い習慣は抜けにくい。
だが、気付きさえすれば、そこから脱することは容易だ。
あとは、自分が変わり、周りに影響を与えられるくらいに発信していけばいい。押し付けるのではなく、魅せるやり方で。
「すぐに、他区の領主たちへ面会依頼を出そう。工事が進まんことには、融資の相談も出来ない」
「はい。指導をお願いします、兄上」
「及ばない、それには」
す……っと、ギルベルタが応接室へ入ってくる。
ずっといないと思ったら、外に出ていたようだ。
外で何をしていたのかと思えば――
「聞こえていた、ここでの話は。私たち全員に」
――集まった領主の対応をしてくれていたらしい。
ギルベルタの後ろには、昨日会った領主たちがズラリと並んでいた。
居並ぶ領主を代表するように、二十三区領主イベール・ハーゲンが一歩前へ進み出る。
三十一区の領主だったアヒムとの関係がうまくいっておらず、個人的にも領主としてもアヒムには否定的だった人物だが……
「そなたの考えは、よく分かった。均整が崩れるのは我々としても望むところではない。我々の意見は一致している。……力を貸そう」
持って回った言い方ではあるが、「反省してるみたいだから協力してやんよ」というところだろう。
ぷっ。いい年齢してツンデレかよ、オッサン。
「それに、獣人族に関しては、我々は少々出遅れておるようだからな」
イベールの言葉に、何人かの領主が表情を曇らせた。
亜人差別が胸の内に巣くっていた者がいるようだ。
「それは、ボクも似たようなものですよ」
エステラが、表情を曇らせた領主に笑みを向ける。
眉を下げて、己を恥じるような笑みを。
差別こそしていないが、エステラの館には獣人族がいない。
古い感性から脱却できていない……っていうより、あれ以上人を雇う余裕がないんだと思うが。
内情はともかく、端から見れば五十歩百歩というところか。
「積極的に獣人族を取り入れているルシアさんを見習わなければいけませんね」
変人だ、変わり者だと言われていたルシアが最先端になるとは、数年前は誰も思わなかっただろう。
「これをいい機会と捉え、共に生まれ変わり、共に発展していこう」
イベールがアヒムに向かって手を差し伸べる。
困惑した表情ながらも、アヒムはその手を取り、両手で握りしめる。二度と手放さないと意思表示するように。
「ありがとうございます」
きっかけさえあれば、人一人が変わるのに時間なんてそう必要ないのかもしれない。
そう思える瞬間だった。
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