「マグダ」
じぃっと俺を見つめ続けていたマグダに近付き、頭に手を載せる。
耳が倒れて、少し反発するようにぴるぴるっと揺れる。
「店とこいつらをよろしくな」
「…………ご褒美は?」
まだ少しふてくされているマグダ。
ご褒美か……
「みんなでピクニックでも行くか? 店を半日休みにして」
「ピンッ!」と、マグダの両耳が立つ。
陽だまり亭を半日休みにする……というか、午後は移動販売のみにすればそれも可能だろう。
もちろん、その際は事前告知して、「夕飯用のお弁当」を大量に売りさばいておくつもりだが。
「どうだ?」
「………………」
たっぷり十秒ほど黙って俺を見上げた後、マグダは一度尻尾をゆさりと大きく揺らし、鼻を鳴らした。
「……のった」
「よし」
これで機嫌も直るだろう。
ついでに、ジネットにも先の楽しみを与えてやることが出来るだろうし、一石二鳥だな。
「……というわけなんだが、構わないか、店長?」
「はい! じゃあ、またみんなで計画を立てましょうね」
ジネットは満面の笑みだ。
先ほどの寂しげな表情はもうどこにもない。
「川で鮭を捕まえるのはどうだ?」
「なんだかんだ、いつも河原ばっかりさね。たまには違うところに行くさよ」
「私はどこでもいいかなぁ~☆ あ、でも、山とか行ってみたいかも?」
「ぁ、ぁのっ! だ、だったら、森は? ぁのね、みりぃが知ってるところにね、安全で、綺麗なお花がいっぱい咲いててね、果物がいっぱい採れるところがあるのっ」
「ふぉう!? ミリリっちょが、珍しく熱いです!?」
「……そこが最有力候補」
「じゃあ、ミリィさん。その場所の使用許可を取っておいてもらえますか?」
「ぅんっ!」
……全員行く気だな、あれは。
「……勝負パンツは、…………逆に白……」
「おい、エステラ。向こうで不穏な発言をしているお前んとこの給仕長を黙らせてくれ」
「大丈夫。当日は柱に括りつけておくから」
エステラの技量じゃ、ナタリアは止められないだろう。
こりゃまた、賑やかなイベントになりそうだ。
「……それよりヤシロ」
ピクニックの話で盛り上がる一同をちらりと見て、エステラが俺に身を寄せてくる。
耳元で、エステラの吐息に載せた囁きが聞こえる。
「ジネットちゃんは何か言ってなかったかい?」
「ジネットが? なんて?」
くすぐったい吐息に、すぐさま耳を離してしまった。
顔を離すと、エステラは何か言いにくそうな顔でもじもじしていた。
一度ジネットを窺ってから、赤い瞳が俺を見る。
「前に、一緒に行きたがっていたじゃないか。付いてきたいとか言わなかったのかい?」
あぁ。と、思う。
前にちょろっと、「一緒に行きたい」とか言っていたことがあったのだが、こいつはそのことを言っているのだ。
あれはもう済んだ話だ。
ジネット自身、遠出がしたかったわけではなく、ただ話の流れ上ちょっとそんなことを思ってしまっただけに過ぎない。
俺たちと仕事で遠くに行くより、みんなと遊びで近くに行く方があいつは喜ぶだろうよ。
だから、ピクニックのことに重点を置いておけばいいのだ、ジネットは。
「あいつの一番は陽だまり亭だからな。おいそれと泊まりがけで遠出なんて出来ねぇよ」
それこそ、ルシアのところに行った時のように、事前に計画を練って万全の準備で挑むようなイベントでもない限り、思いつきでふらっと外泊――なんてことは出来ないんだよ。ジネットがしたがらねぇよ、そんなもんは。
「……どこまで本気なんだい?」
「何が?」
「だから……ジネットちゃんの一番は、って……………」
「……ん?」
「………もういい」
拗ねたように口を尖らせて、エステラがそっぽを向く。
赤い髪がふわりと揺れ、おっぱいはピクリとも揺れない。
「赤い髪がふわりと揺……」
「黙れ」
くっ……『おっぱい』というワードが出る前に察知して妨害してきやがった……エステラのおっぱいセンサー、精度が上がってんじゃねぇの?
いつか、超えられてしまうかもしれないな……
「ヤシロさん」
エステラがなんとなく内緒な雰囲気で語りかけてきた話を終えると、それを待っていたかのようにジネットが声をかけてきた。
そして、開口一番にこんなよく分からない言葉を口にする。
「ありがとうございます」
長い髪を揺らしてぺこりと頭を下げる。
頬にかかった髪を手ですくい、柔らかい笑みを浮かべる。
「何がありがとうだよ? 心当たりがねぇぞ」
「みなさん、楽しみが増えてすごく嬉しそうですよ。もちろん、わたしも楽しみです」
「ピクニックを提案しただけだろうが」
「はい。その提案が嬉しかったもので」
ピクニックくらいで大袈裟だとは思いつつも、こうまで楽しそうにはしゃがれては皮肉すら出てこない。
他の連中も盛り上がってるし、まぁ、よかったんだろう、これで。
「お弁当、考えておきますね」
「そうだな。森だと、下手に火を使うわけにもいかないだろうしな」
「そうですね。では、たくさん作りますね」
日程がまだ決まっていないうちからこの張り切りようだ。
今晩は、その話題でひとしきり盛り上がれるだろう。
「それじゃあ、そろそろ出発するか」
「うん。そうだね」
あまり出発を遅らせても気を遣わせてしまう。
さっさと行ってしまった方がいいだろう。
特に用意するものもないし、たかが一泊だ。気楽に出向くとする。
「では、私の馬車に付いてきてくださいね」
そう言って、アッスントは先に店を出ていく。
俺たちはエステラの馬車で向かうが、アッスントは自分で用意した馬車に乗っていくのだそうだ。
領主の馬車に乗ると、卑屈な精神がふつふつとわき出してくるとでもいうのだろうか。
……そういや、前に四十一区からの帰りに馬車に同乗してただけで、顔が引き攣ってたことがあったっけなぁ。
エステラが領主だと分かった直後のことだったし、今はどんな反応するのか分からんけどな。
「今回はアッスントに乗せてもらわないのか?」
「だって、ウチの馬車の方が豪華じゃないか。二十四区の領主に会いに行くなら、見栄くらいは張らないとね」
……その豪華な乗り物はハビエルに借りてる馬と馬車だろうが。
せめて本体くらい作っとけよ。そろそろいるだろう、二頭立ての馬車。
「……あの馬、このまま返さずにもらえないかなぁ……?」
「ミスター・ハビエルを亡き者にすれば、あるいは……」
「ちょっと、そこの垂直領主とアホ給仕長さん? 聞こえてますわよ」
娘の前で悪事を企てるエステラとナタリア。
こいつらが四十二区の代表者なんだよなぁ……
「それじゃあ、みんな。行ってくるね」
イメルダの追及を無視するように、晴れやかな笑みで手を振るエステラ。
お~お~、イメルダだけをきっちり視界の外に追いやってるな。
「では、ヤシロさん。お気を付けて」
ジネットが俺の前で手を組む。狩りに出る前のマグダにするみたいにお祈りを捧げてくれているようだ。
なんだかなぁ……外泊って、こんなに大袈裟なものだっけ?
そういや、中学生の頃、友達の家に泊まりがけで遊びに行くってなった時、女将さんが同じような感じだったな。
「気を付けてね」と口で言いながら、どこか不安そうで、なんとなく行ってほしくなさそうにも見えて…………
「……ふふ」
「どうかしましたか? わたし、何か変でしょうか?」
思わず漏れた笑いに、ジネットが焦りを見せる。
いやいや。単純に、似てるなって思っただけだ。それが、妙におかしかったんだよ。
「心配性」
「え……むぅ。それは、確かに否定は出来ませんけれど……」
からかってやると、分かりやすく膨れて、唇を尖らせる。
そして、恨みがましそうにこんなことを言ってくる。
「心配くらいしか、出来ることがありませんから」
だから、心配くらいさせてください。――と、そう言いたそうだ。
「ジネットちゃんも来るかい?」
ひょっこりと、俺の背後から首を出して、エステラがそんなことを言う。
この状態で急にジネットが抜けたら、陽だまり亭がパニックになるっつうの。
見ろ。ミリィが不安そうにしてんじゃねぇか。……このメンバーにはまともなヤツが少ないんだから、ジネットがいなきゃまとまらん。
「行きたい気持ちはありますけど、今回は遠慮しておきます」
ジネットも、同じようなことを考えているのだろう。
こいつは責任を放り投げて遊びに行くようなヤツじゃない。
感心感心――と、思っていると、不意にジネットの視線が俺を捉えた。
「『ちゃんと帰ってくる』と、約束してくださいましたし……」
不覚にも、ドキリとさせられた。
「わたしはここで、ちゃんと待ってます」
陽だまり亭名物、太陽のようなジネットの笑顔は……時に眩し過ぎて直視できない時がある。
だから、こんな言葉で煙に巻く。
「帰ってくるさ……ぷるんぷるん例大祭が待っているからな」
「くす……くすくす」
肩を揺らして笑うジネット。
そうだな。これくらいがちょうどいい。直射日光を浴び続けるのは、俺みたいな日陰の人間には毒になる。
「……罰が当たればいいのに」
明るい笑みの隣から、暗黒のオーラを放つエステラ。……そういうお前こそ、おっぱいの神様の罰とか当たってんじゃないのか?
陽だまり亭に一つ欠点があるとすれば、離れるのに時間がかかることだ。
いい加減出発しないと、向こうに着くのが夜中になる。アッスントも待ちくたびれているだろう。
俺とエステラは揃ってドアへと向かう。
先行するナタリアがドアを開け待っていてくれる。
さぁ、外へ出ようという時になって、また待ったがかかる。
「お兄ちゃん、ちょっと待ってです!」
ロレッタが慌てて駆け寄ってきて、折りたたまれた四つの紙を差し出す。
「なんだ?」
「お手紙です! 今みんなで書いたです!」
見れば、ノーマやミリィがテーブルのそばでペンを握っていた。
こんな短時間に慌てて書かなくても……
「あとで見てです。一人一枚ずつで、これはアッスントさんにです」
「よし、アッスントのヤツを見よう」
有無を言わさず、アッスントへの手紙を取り上げて広げる。
そこには――
『がっちり稼いでこい』
――と、書かれていた。
……手紙か、これ?
「……分かった。きちんと渡しておくよ」
「渡す必要あるのかな、それ?」
俺たちの分はあとで読むことにして、俺たちは馬車へと乗り込んだ。
上座にエステラが座り、その隣に俺、向かいにナタリアが腰かける。
こちらが座ったのを確認して、御者が馬を走らせる。
蹄の音を立てながら、馬車はゆっくりと前進を始めた。
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