「あの、ミズ・トムソン……レーラさんでいいかな?」
「は、はい。あの、領主様……すみません、わざわざこのような場所までお越しいただきまして……」
「それはいいから、話を聞いてくれないかな?」
「ですが……私たちのような者のために領主様やみなさんのお時間を使わせるわけには……」
そう言われても引き下がらないのがエステラだ。
エステラのためを思うなら、素直に相談を持ちかけてやった方がいい。無駄を省けるしな。
「エステラさんはあなたとこのお店を、わたしとヤシロさんは娘さんと息子さんを救いたいと思っています。お話を聞かせてくれませんか?」
ジネットがレーラに微笑みかける。
俺を勝手に含まないでくれないか。俺はただ、モツの下処理係が欲しいだけだ。
「申し訳……ございません…………っ! ウチの子たちが、ご迷惑を……そのせいで、こんな辺鄙なところまで…………」
「そんなことありませんよ。トムソンさんとは何度かお会いしましたし、同じ飲食ギルドの仲間として放っては……」
「主人と会ったことが……ある、んですか?」
「えぇ」と答えたジネットの肩を「がっ!」と掴んで、レーラがジネットに顔を近付ける。
目が限界まで開かれて目玉が飛び出しそうになっている。
怖い怖い怖い怖い怖い! 人類史上に残りそうな怖さの横顔になってるよ!?
「……主人と、どういったご関係で?」
「へ? ……あの、飲食ギルドの会合で、何度かお顔を……」
「会話は?」
「特に、これと言っては……あの、わたし、あまり会合でも発言はしませんから」
そもそも、飲食ギルドの会合自体、以前はほとんどなかったようだ。
俺が大人様ランチとか、フードコートとかを持ち込んだきっかけで最近ではちょいちょい開かれるようになったけれども。
ジネットとトムソンが会ったことなど、両手で足りるくらいだろう。
「私、あなたにお会いしたことありましたっけ?」
「は、はい。二度ほど……あの、会合の場所にお子さんを連れてトムソンさんのお迎えに……」
「へぇ~、主人のこと『トムソンさん』ってお呼びになっていらしたの……」
いや、普通だから!
たぶん親しくない知人の九割以上がそう呼ぶから!
「…………」
「…………」
「……チューしました?」
「してませんよ!?」
「モーガン、責任持って引き剥がせ!」
「おい、レーラ! それくらいにしとけ! お前らを心配してここまで来てくれた客人だぞ」
「けど…………主人のこと、いいなぁとか思ってたかもしれないですし……」
「あ、あの、レーラさん。わたしはアルヴィスタンですので、そういったことは一切ありませんよ」
「あっ! そうなんですか? あらっ、やだ! 私ったら……恥ずかしい」
だから、お前の『恥ずかしい』って感覚、ちょっとおかしいから!
周りの人間には「怖ぇ……」としか映らないからな、それ!
「ごめんなさい。私、ちょっとヤキモチ焼きで……ダメな私、こつん」
自分の頭を自分で小突くレーラ。
……ちょっとじゃねぇよ。本物の狂気を目の当たりにしたよ。
で、最初の「申し訳ない」より随分軽い謝罪だな、おい。今のこそ本気で謝らなきゃいけない案件だろうが。
「エステラ。もう帰らない?」
「もうちょっと! もうちょっとだけ粘ってみよう! 子供たちのためにも!」
「いや、でもジネットがさぁ……」
「わたしは、特に気にしていませんよ。不安になる気持ちは、少しですけれど分かりますし」
えっ!?
分かるの!?
「もしかして……ジネットも、あぁなるの?」
「へ? い、いいえ! そんな! わたしなんて……特定の方も、いらっしゃいませんし……アル、アルヴィスタンですから……」
アルヴィスタン、都合よく使い過ぎだろう。
……そっかぁ、ジネットにもヤキモチって概念はあるんだよなぁ。
まぁ、絶対にレーラみたいにはならないだろうけど。賭けてもいい。あぁはならない。アレは特別。
「心根は優しいヤツなんだがなぁ」
「もういいよ、心根」
なんの説得力もねぇわ、心根。
「けれどあの、陽だまり亭さんにドーナツを教わると、子供たちから聞いているのですが……ウチでドーナツは……その……」
申し訳なさそうにレーラが口ごもる。
ざっと見渡せば、店の奥に大きなカウンターがあり、そこには長い鉄板が設置されている。
座席は八人掛けのテーブルが四つ。カンタルチカのように相席で適当に空いた席に座るタイプの店のようだ。
奥へ続く扉があるが、おそらく調理場はカウンターの中の鉄板だけなのだろう。水瓶や食器棚がカウンターの中に置いてある。
この調理場じゃ、ドーナツは無理だな。
「なぁ、あの扉の奥には何があるんだ?」
「え? その……あ、愛の巣です……きゃっ!」
自宅と言えぇーい!
いつまでもラブラブで羨ましいこと、とか絶対思わないからな!?
「俺たちが持ってきた提案はドーナツじゃない。新しい肉の食い方だ」
「お肉の……ですか?」
レーラが頬に手を当て小首をかしげる。
が、すぐにハッとしたような顔をして頭をぶんぶん振った。
「いいえ! いえいえ! みなさんのお手を煩わせるなんて出来ません!」
「けど、なんとかしないとお店を畳むことになるんだよ? 君が愛したご主人の夢が詰まったこの店をね」
「主人の……」
エステラの言葉に、レーラが目を見開く。
しかし、すぐにつらそうな表情を見せ、また首を振った。
「私一人でこの店を守るなんて出来ま……」
パン!
と、大きく手を鳴らす。
「出来ません」なんて否定的な言葉が口からこぼれる前にレーラの言葉をさえぎる。
「決断を下す前に、一度体験してみろよ。時間は、まだあるだろう?」
不適に笑ってみせると、レーラは戸惑いながらも、弱々しく頷いた。
無理やり頷かされた感じか。
けど、今はそれで十分だ。人間、一番重く感じるのは初めの一歩だからな。
それさえ踏み出しちまえば、あとはどうとでもなる。意外と簡単にな。
「よし、それじゃあ準備にかかるぞ」
「はい!」
ジネットの元気な返事を聞いて、俺たちはそれぞれの支度を始めた。
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