「ナタリアもナタリアだぞ。そういうのはちゃんと教え込んでおけよ、事前に!」
「無論、護身術の基本はみっちりと体に覚え込ませております……ただ」
そこには、クレアモナ家ならではの深い理由があったのだ。
「身の破滅をかけてまで、そんな貧相な乳を狙いに来る変質者はいないと踏んで、おっぱい周りの護身術は後回しにしているのです」
「そっかぁ。それじゃあしょうがないか……」
「き、きき、君たち、今のボクにツッコミをさせないで! て、手が出そうだから!」
少しだけ落ち着いて、今になって盛大に照れ始めているエステラ。顔が真っ赤だ。
……これ、下手に触るとナイフが飛んでくるな、絶対。
「ノーマ、助かった。まさかエステラがおっぱいを守る護身術を捨てて他にパラメーター配分してるとは思っていなかったから」
「捨ててないよ!? 今のは、ちょっとした油断だから! 次はちゃんと武器使うから!」
果たして、武器を使うのは「ちゃんと」という括りでいいのだろうか。
日本なら、お前の方こそが犯罪者だぞ。
「ヤシロも、止められる前提とはいえ、迂闊なことするんじゃないさよ」
「あぁ、反省する」
ノーマに軽く叱られ素直に謝っておく。
どうせ、この後いつもの「懺悔してください」が来るだろうから。
「ヤシロさん……」
ほら来た。
「……これを着てください」
と、ちょっと豪華な刺繍が施されたポンチョみたいな衣を渡される。
「罪を祓う聖法衣です」
「そこまでのこと!?」
この聖法衣は、俺がそうとは知らずにパンの密造をしてしまった時に渡されたものだ。
全員が青い顔をしてぶるぶる震えながらシスターに謝りに行った嫌な思い出の残る法衣……そこまで罪深いことはしてないと思うんだが。
「懺悔してください懺悔してください懺悔してください懺悔してください!」
物凄く怒ってらっしゃる。
「そんなに怒るなよ。未遂なんだから」
「怒りますよ。エステラさんはとても大切なお友達なんですから!」
「自分がやられるよりも怒りそうだな、ジネットは」
「当然です! わたしのことは別にどうでもいいんです!」
「えっ、いいの!?」
「懺悔してください!」
なんだ、結局ダメなんじゃん。
「もう! わたしは怒りましたからね! ちょっとやそっとのことでは許しませんからね!」
「ごめんなさい。反省してます」
「………………そこまで反省してくださるのであれば」
「店長さん、甘過ぎるさよ!?」
「確実に口先だけですよ、今のは!?」
「……店長は、ちょっと心配になるレベルの天然」
俺の反省をノーマとロレッタとマグダが認めてくれない。
こんなに反省しているというのに! これっぽっちくらいは!
「店長さん、こういうのはどうでしょうか?」
スッと手を上げ、そしてジネットに渡した紙を指差す。
「その案件に協力することで罪を許すというのは?」
「あっ、そうですね! ヤシロさんなら、いい方法をご存じですし、お願いしてみましょう」
「いえ、お願いではなく、贖罪をチラつかせて強制的に…………いえ、店長さんには無理ですよね、そういう駆け引きは。高望みが過ぎました」
なんだか、俺に面倒ごとを押しつけようとしているらしい。
なにさせる気だよ?
「いい方法をご存じですし」ってことは、以前俺がやった何か――俺の技術に頼りたいって話か?
「以前お話したと思いますが、改めて教会からお触れが出たんだそうです」
そう言って、ナタリアが持ってきた紙を俺へ手渡してくる。
ざっと目を通すと、そこには以前聞いた話が書かれていた。
以前聞いて、蹴った話だ。
曰く、
教会のパンがここ最近売れなくなってきたからもっと美味いパンを作れる者はその技術を無償提供せよ
とかいう、ふざけた内容だ。
……これを、俺に? 協力しろと?
「ナタリアさんがおっしゃるには、パンの売れ行きがここ一年で極端に落ち込んだのだそうです」
「それは企業努力が足りないせいだ。陽だまり亭の売り上げが落ちても、教会は損失を補償してはくれないだろう。逆もまた然りだ」
「ですが、教会の収入が減るということは、その分様々な場所で活用される費用が減るということになりますから……困る方がたくさん出てしまうんです」
「困るのは教会関係者だけだろ? そもそも、俺には一切関係ない話じゃねぇか」
「いいえ。そうとも言い切れませんよ、ヤシロ様」
ジネットとの会話にナタリアが割り込んでくる。
いや、切り込んでくると言う方がしっくりくる。
「極端に売り上げが落ちたのは、外周区――主に、四十二区から三十五区にかけての区がほとんどなのです」
「外周区はもともとさほどパンを食ってなかったろう? 高いし」
不味い上に高い。
貧乏人が最も忌避する食い物だ。
貧乏人は安い物と腹の膨れる物を優先的に買うからな。
「それでも、他に食べる物がなければパンは買われます。それが買われなくなったということは……」
「他に代わりが出来たってことかぃねぇ」
ノーマの答えに、ナタリアはこくりと頷く。
そして、俺を指差した。
「ヤシロ様が持ち込んだタコスやお好み焼き、パスタという美味しい料理が、これまでパンが独占していた『主食』の座を脅かしたのです」
「……最近では、ご飯を主食と考える人も多くなっている」
「確かに、最近パンを食べなくなったですねぇ。他に美味しい物がたくさんあるですから」
「四十二区から三十五区っていうと、ヤシロたちがパレードで陽だまり亭の味を広めた地域さね」
「ほなら、自分のせいやな」
「待て待て待て待て! 俺のせいではないだろうが!」
人聞きが悪いとか、そういうレベルではない。
ここはきちんと否定しておかなければ、言いがかりで責任を取らされかねない。
「ヤシロ様。ここは一つ、エステラ様のおっぱいと引き替えと思い、ご協力を!」
「いや、触ってねぇし!」
「あばら骨から数センチ――おっぱい領域を侵犯したではないですか! あそこは、本来ならおっぱいがあるはずの領域です!」
「本来ならおっぱいがあるはずのその領域内におっぱいがなかったんだが!?」
「それは、不幸な事故です」
「誰の胸が不幸か!? あとヤシロもうるさい!」
一人、熱に呆けていたエステラが復活して参戦してくる。
えぇい、面倒な。
「教会も、今の状況を重く受け止めていてね。外周区の領主に書簡を送ってきたんだよ」
「なら、領主が対策を考えろよ」
「教会の収入が減れば、二十四区教会のような場所への費用も抑えられるんだよ? 保護しきれない子供が出てしまったらどうするのさ?」
「いや、俺、関係なくないか、それ?」
「テレサのような子をなくしたいと、君も思っているんだろう?」
なんで俺が、そんなこと思わなきゃいけないんだよ…………だいたい俺は、ガキは嫌いだし、テレサにしたって、あれはたまたまで…………
「善行を行うための理由を探している顔をしているよ」
「どんな顔だ、そりゃ!? これは、おっぱい領域について考えている時の顔だ!」
「あぁ、そうかい。だったら領主として命令するよ。協力しなさい」
「断る! 俺は、返してもらう恩こそあれど、返さなきゃいけない借りはないからな」
「……じゃあ、痴漢未遂の被害者として命令する。協力しろ」
「…………お前、それは卑怯じゃね?」
なにその「訴えるぞ」みたいな目。
痴漢とか言うのやめてくれる? なんか生々しいから。
「ヤシロさん……」
と、聖法衣を手に俺を見つめるジネット。
……お前、それは脅迫なんじゃねぇのか?
………………ったく、もう。なんで俺が……恩も売れないようなこんな状況で………………しょうがねぇな。
「……あぁ、もう。はいはい、分かっ……」
「英雄っ!」
俺が世の不条理と横暴な権力に膝を屈しかけたまさにその時、バルバラが陽だまり亭へと飛び込んできた。
すごく真剣な表情で。
一瞬、俺はレジーナと視線を交わす。
まさか、テレサの身に何かあったのか……と、思ったからだ。
だが。
「妹の前でカッコ付けさせてくれ! お願いします!」
………………なに言ってんだ、このバカ姉?
しかし、バルバラが持ち込んだこの悩みが、後々教会の悩みを解決するきっかけになるとは、この時は誰も思っていなかった。もちろん、俺もな。
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