現在、絶賛改装中の陽だまり亭。
その玄関先に、エステラが立っている。
手には包みを持っており、ドアの前で大きく深呼吸をする。
「……大丈夫。きっとうまく出来る」
そう呟いた後、ニコッと笑顔を作る。
が、気に入らなかったのか小首を傾げ難しい顔をする。
「……これじゃいつもと変わらないか……よし!」
そして、先ほどよりもにっこりと笑い、眩しいほどに白い歯を覗かせる。
「……何かが違う…………そうだな、セリフを入れてみるか」
時刻は早朝。改装工事を請け負うトルベック工務店の面々はまだ現場に来ていない。
ドアの前にいるのはエステラ一人だ。
「やぁ、ヤシロ!」
誰もいない場所で、エステラはドアに向かって笑顔を見せる。
当然、この店のドアには『ヤシロ』なんて名前は付いていない。
「ヤシロ、頼まれていたものを持ってきたよ!」
エステラが笑顔で話しかけるも返事はない。
ドアは何もしゃべらない。
「いやぁ、結構苦労したんだぞ。感謝してほしいものだね!」
エステラ、笑顔。
ドア、無言。
「……何かが違う…………」
何もかもが違うと思うのだが。
「……おかしいな」
おかしいのはお前だ。
「そうだ! ジネットちゃんのマネをしてみよう」
ならまずおっぱいを育てないとね!
「ヤシロさんっ! おはようございますっ! にこっ!」
ぅわぁ~…………
つか、自分で言ってその半端ない違和感に悶絶してるし。
蹲って顔を伏せ、肩をプルプル震わせている。
耳まで真っ赤だ。
いや、なんつうか、こいつ何がしたいんだろうな。
長年、多くの客を迎え入れてきたこの年季の入ったドアの前でさ。
もうすぐ取り外される運命にある木製の傷んだこのドアも、まさか最後の仕事がエステラの笑顔の練習台になるとは思ってもみなかっただろうな。ご苦労さんだな、お前も。
で、陽だまり亭の店先で絶賛悶絶中のエステラを、店の陰からジッと覗き見ているのがこの俺、オオバヤシロだ。
「何やってんだお前?」
「んなっ!?」
声をかけると、エステラは驚愕の表情でこちらを向き、俺の姿を確認すると全力のエビ以上の速度で後方に飛び退いた。
「なっ、なっ、なんでいるんだ、ヤシロ!?」
「なんでって……便所行った帰りだが?」
「い、いいいいい、いいいい、いい、いつから見ていたっ!?」
「『……大丈夫。きっとうまく出来る』からだが?」
「最初じゃないか! そこにいるなら声をかけておくれよ!」
俺は、建物の陰から出て、エステラの前へと歩み寄る。
「いや、なに。一昨日からお前の元気がなかったからな、ちょっとは心配していたんだが…………なんかすげぇ楽しそうで安心したよ」
「たっ、たた、楽しくなんかないよっ! 穴があったら入りたい気分だよ!」
その穴を埋めたら「何するんだいっ!?」って飛び出してきそうな勢いで怒りをぶちまけるエステラ。八つ当たりもいいとこだ。
「で、何がしたかったんだよ、さっきの百面相は?」
「く、空気を読んで、そこは触れないでいてくれないかなっ!? デリカシーのない男だね!」
「胸のないお前に言われたくない」
「デリカシーないよね、ホントに!?」
「デリカシー『は』、なくても生きていける」
「胸がなくても生きていけるよ! ……誰の胸がないかっ!?」
朝から楽しそうなヤツだ。
「き、君が…………」
怒り満面だったエステラが、少し泣きそうな表情を見せる。
ん……こんな顔は初めて見るな。
「……ボクのパイオツが、カイデーじゃないって言うから……」
うん。
お前のパイオツは全っ然カイデーじゃないよ。
むしろ『無いデー』だな。
「笑顔には、割と自信があったんだ……なのに、あんな全力の否定を…………」
「あ……」
そうか。
こいつは自分の『笑顔』が『素敵じゃない』と言われたのだと思っているわけか。
「あ~、いや、あのだな、エステラ」
「なんだい? これ以上まだボクを貶める気かい?」
なんだか随分とへそを曲げている。
「それには誤解がある……というか、あの解釈はジネットが勝手に思い込んでいるだけで、本来の意味はそんなところにはない」
「……どういうことだい?」
「詳しくは言えん!」
「っ!? ……そ、そう、なのかい?」
ここは勢いで誤魔化す。
絶対本当の意味は教えられない。
「だが、とにかく、お前の笑顔を貶めたわけでも、否定したわけでもないんだ。そこだけは信じてくれ」
出来る限りの誠意をもってそう訴える。
……まぁ、俺のせいでなんか傷付けたみたいだし……こいつにはまだまだいろいろと役立ってもらわなきゃ困るしな。人間関係を拗らせるのは得策ではない。
そのためにもきちんと誤解を解いておきたい。
詐欺師には、信用が大切なのだ。
「……君を信じろというのは、魚に『空を飛べ』と言うようなものだと思うのだけど?」
「……てめぇ」
人間関係拗らせる気満々か、こいつ。
「じゃ、じゃあ聞くけどさ……」
両腕を後ろ手に組み、足元の土をつま先でいじりながら、エステラはやや上目遣いで尋ねてくる。
「ボクの笑顔は…………どう、かな?」
うわ……やべ……
一瞬、可愛いとか思っちゃった。
が、こいつにそんなこと言えるわけがない。
そんな弱みを見せたら、こいつは何を言ってくるか分かったもんじゃないからな。
「…………ノーコメントで」
「帰る」
「待て! その荷物だけでも置いていけ!」
「7万Rb!」
「素敵だ、エステラ! お前の笑顔は最高だぜ!」
「そこまで嘘くさい言葉を、ボクはかつて聞いたことがないよ!」
いや、素敵だと思っているのはマジなんだが。
「よし。じゃあ、『精霊の審判』をかけてみろ」
「え…………?」
「今の俺の発言に嘘があるかどうか、その目で確かめるがいいさ」
素敵だと思っているのは本当だ。……ただ、発したタイミングがちょっと悪かっただけで。
なので、俺がカエルになることは100%ない。
「さぁ、やれよ」
両腕を広げてみせる。
いつでも来いだ。
「いや……いいよ」
しかし、エステラは『精霊の審判』を発動させなかった。
「そもそも、それは『精霊の審判』の領域じゃないからね」
あ、そうか。思う思わないってのは『精霊の審判』では裁けないのか。
う~ん、しくじったな。
「でも……」
俺が己の選択ミスを悔やんでいると、エステラが呟くように声を漏らす。
見ると、いつになく柔らかい表情で俺を見るエステラと目が合った。
「そこまで言ってくれるなら……信じるよ、君を」
「いいのか? 魚は空を飛べないぞ」
「ホント、意地が悪いよね、君は」
そう言ってエステラは、楽しそうに笑った。
とりあえず、機嫌が直ったようでよかった。
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