「難しいよね……実際」
腕を組んで、椅子の背もたれに体を預けるエステラ。大きく体を反らせて天井を仰ぎ見る。
「……もうすでに無いはずのものを、無くす……っていうのはさ」
この街に差別は無い。
無い……はずなのだが、そいつはまだ確実にそこに「有る」。
んじゃ、そんなもんが一体どこにあるんだっつぅと……
それは、そこに住む者たちの心の中に深く深く根付いているものだったりする。
こいつを取り払うのは相当に難しい。
誰に遠慮する必要もないのに、馬車を利用しないミリィ。
そのミリィがわざわざ四十区まで出向いていたのは、そこに住むというヒメカメノコテントウ人族の婆さんに注文を受けたからだった。……もしかしたら、他の者には頼めない理由でもあるのかもしれないな。無いとは言い切れない、くらいの可能性で。
あとは、三十五区の花園にいたカブトムシ人族のカブリエルたちの反応。あいつらとは意気投合できたが、……他の虫人族とはどうなるか分からん。カブリエルが言うには、虫人族の中には人間に対しあまりいい印象持っていない連中が多いようだ。
そして、三十五区の領主ルシアが言っていた、『会わせたい者』……
そいつはきっと、この問題に大きく関わってくるような人物なのだろう。
…………根深いな。
アッスントの忠告が、今になって身に沁みてきたぜ。
非常に面倒くさいことに首を突っ込んでしまったらしい。
だが……
「だからといって、このまま放置はしたくねぇよな」
ウェンディたちの結婚。それにミリィやエステラが、たまにとはいえ、こんなくだらないことで心に影を落とすなんてのは看過できない。
お前らは、年中笑ってりゃいいんだよ。バカみたいにな。そっちの方が、きっと似合っている。
「……消すことが出来ないってんなら」
こいつはかなり強引な手ではあるのだが……
俺は立ち上がり、そこはかとない期待を込めた瞳で見つめてくる連中に向かって言ってやる。
……つか、お前らさぁ………………そんな目で見んなって、いつも言ってんだろうに……
まぁ、今回は……ほら、アレだ…………セロンとウェンディを焚きつけた責任ってのもあるし……あと、ほら……アレとか………………まぁ、しょうがなくだ。うん。
「塗り替えてやろうぜ、その古い価値観をな」
もともとやろうと思っていたことを、少々大袈裟にやっちまえばいいだけのことだ。
光るレンガが誕生した時から……いや、それよりもうちょっと前にはもう考えてはいたかもしれないが…………とにかく、こっちはとっくにやる気になってて、ずっとタイミングを見計らってた状態で、「婚約しました」って言いながら実はまだプロポーズもしてなかったセロンにちょっと焦れたりしたくらいで、結局のところそいつがうまくいけば陽だまり亭が儲けられるカラクリになっているからさっさとやってしまいたかったって側面から見れば俺のための大イベントってことになる、例のアレ――結婚式を大々的に行ってやればいい。
それも、いっそのこと三十五区まで巻き込んで、盛大に、過去に類を見ない大掛かりなバカ騒ぎを巻き起こしてやろうじゃねぇか!
思ってたよりも、ずっと、かなり大掛かりな準備が必要になるだろうが……
「お前らの力に、大いに期待したい」
「はい。任せてください」
さっきまで――
『亜人』だ『いさかいだ』って話をしていた時は、泣きそうな表情を顔面に張りつけていたジネットが、ようやく笑みを浮かべる。
何をするなんて言わなくても、もとより協力するつもりなのだろう。
そして、他の連中も。
「……オールブルームの模範となるべき最先端区域、四十二区が手本を示せばいい」
「そうです! みんなで楽しめば、きっとみんなもっと仲良くなれるです!」
途端に勢いづいて、やる気を遺憾なく見せつけてくる。
もちろん、こいつも――
「さてと……今度は一体何をやらされるんだろうね、ボクは」
そんな憎まれ口を叩きつつも、すでに気合いは十分、そんな表情を俺に向けてくる。
「何をすればいいのかは、正直なところまだ分からん……が、とりあえずは『普通』の準備は済ませておこう」
ここで言う『普通』は、俺の知る『普通』だ。
要するに、俺が納得できるような結婚式と披露宴を執り行うための準備だ。
そこは最低ラインとして、万全を期しておきたい。
その上で、この厄介な問題をちょこちょこっと引っ掻き回してやる。
ウェンディの両親の説得も、根っこの部分は同じ問題なのだと言えるだろう。
なら、動くのは明日、ルシアが会わせたいという人物を見てからでもいいだろう。
今日は、一日かけて四十二区内で協力者を募って……
なんてことを考えていると、陽だまり亭のドアがノックされた。
ここのドアをノックする者はそうそういない。
営業中はノックなどせず、自分でドアを開けて入ってくるのが普通だ。
ノックをするのは店が閉まっている時くらいのものなのだが…………
「はい。ただいま~!」
不穏な気配を感じた俺とは対照的に、無防備に席を立ちドアへと駆けていくジネット。こいつは何も感じていないらしい。
そして、ためらうことなくドアを開け放つ。
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