カールとニッカが部屋から出ていく。
その背中を見送ってから、エステラが俺にこんなことを言ってきた。
「君は、どんな立場の人間をもアゴで使ってしまうんだね。極意を教えてほしいもんだよ」
「やめとけ。変な人種にやたら気に入られる呪いにかかっちまうぞ」
ネフェリーの言ってた呪い、マジでかかってんのかもしれねぇな。
「ねぇ、ぁのかーるさんって……」
「そうかもしれませんね。うふふ」
こそこそと、ミリィとジネットが内緒話をしている。
「なんだ?」
「あ、いえ。もしかしたら、カールさんはニッカさんのことがお好きなんじゃないかと思いまして。一緒に花園に行くことになって、なんだかとても嬉しそうでしたので」
え……、いやいや。
「もしかしたらも何も、あからさまに好き好きビーム発射しまくってただろうに」
「えっ、そんなにですか?」
え~……超鈍感。
アレだけあからさまにしてて、ようやく「なんとなく」気付くレベルなのか?
「やっぱり、いいですね。『好きな人のそばにいたい』と思うこと、は…………」
「まだ言うか」
いい加減にしろよと、ジネットに釘を刺そうかとした時……ジネットの顔が爆発した。
一瞬で真っ赤に染まり、微かに湯気が立ち上った。
「わ、わたっ……わたし、さっき…………っ」
俺の顔を凝視し、しかし焦点は定まらず、見てるんだか見てないんだか分からない熱っぽい視線をこちらに向けて、酸欠の鯉みたいに口をパクパクとさせる。
「あ、あのっ! さ、先ほどのあ、あれは……と、特に深い意味があったわけではなくて……」
先ほどのあれ――
ってのはきっと、俺が言った言葉が嬉しかったとか、その後に言ってた「浅ましいことだと思っていたが~」ってやつのことだろう。
「す、好…………その、そういうものを示唆する発言ではなくてですね……ひ、人として、大切な従業員として……その、好………………むぁぁぁあああっ!」
ジネットが、壊れた。
つまりアレだ。
こいつは、今になってようやく自分が何を言ったのかを悟ったわけだ。
『俺にそばにいてほしい』と願ったことを浅ましく思っていたが、『好きな人のそばにいたいというわがままは許される』と言われて嬉しかったと。
その発言はつまるところ――
――『俺のことが好きだ』と言っているのと同義ではないか。
と、そういう風に解釈をすることも不可能ではないのではないかと、穿った見方をすれば完全否定することは容易ではないかもしれなくもないかなぁ、ってことに気が付いたわけだ。
まぁ、ないだろうけどねっ!
そうそう。そうだよ、そう。
人として、従業員としての好………………………………そういう感じのアレだってことだ。
「で、でででで、ですので、先ほどの発言に他意はななななくなくなくもなく……」
「分かった! 分かったから落ち着け!」
わたわたするな!
……余計に恥ずかしい。
「はぅ………………あの…………すみません………………」
顔を両手で覆い、蹲ってしまった。
今、ジネットのつむじに水の入ったヤカンを乗っければ、物の数分でお湯が沸くだろう。
それくらいに熱を発している。
まぁ、もっとも。
俺のつむじに乗っければ一分で沸くだろうけどな。
…………ジネット。それ、わざとじゃないなら、凶悪だぞ。
「ヤシロ……。ジネットちゃんをいじめるんじゃないよ」
「どこをどうすればそう見えるんだよ、お前は?」
ナタリアにでも言って、眼科に連れて行ってもらえ。
少し不機嫌そうなため息を漏らし、エステラは俺のわき腹に拳を当ててくる。
なんだよ? 触りっこなら躊躇いなくぺったんこをぺたぺたするぞ、コノヤロウ。
「おかわりぃ……」
あぁ、もう、うるせぇなぁ、このババアは!
お前のせいだからな、なんか後半わちゃわちゃしちゃったの!
「カタクチイワシ。シラハをいじめるな」
「お前もか、ルシア!?」
なんだ?
領主ってのは現実をまっすぐ見つめちゃいけない決まりでもあるのか?
ヤな生き物だねぇ、貴族って!
「あまりに美味しいものを与えた結果、シラハ様のわがままは」
ギルベルタがそんなことを言う。が、それは俺を責めるような口調ではなかった。
しょうがないよと、慰めてくれているようで、ちょっとホッとする。
「きっと許されるべき、『好きな物を食べたい』というわがままは」
「うん、それは違うな」
人の恥ずかしい名言風黒歴史を勝手にいじくるな。
悪意がなけりゃ何してもいいってわけじゃないからな?
…………で、だ。
シラハの暴走で話が空中分解してしまったが……
「こいつを旦那に合わせてやろうと思う。ルシア、何か問題はあるか?」
俺の判断で、虫人族が人間に対し武力行使に出る……なんてことになるなら考え直すが。そうでないなら、会わせてやりたい。
なので、行動を起こした際、一番迷惑を被りそうなヤツにあらかじめ許可を取っておく。
「二人を会わせて、一体何になるというのだ?」
ルシアは、至って真面目にそんなことを言う。
「二人が結婚をした結果、このような悲劇が起こったのだぞ。それを再び引き合わせて、新たな悲劇を生み出すつもりか?」
これが、ルシアが積極的な解決策に乗り出せなかった理由か。
現状でいいとは思っていない。しかし、行動を起こすことで大きな反動が来ることは分かっている。
それを恐れて、ズルズルと現状維持を続けてしまった。
……なんだか、昔の四十二区を見ているようだ。
ジリ貧になることが確定していても、打開策を打ち出せない。
そういう時はな、微妙な均衡を保っているものをぶち壊してやればいいんだよ。
かつての四十二区のように。そして、大食い大会の時の四十一区のようにな。
「悲劇が起こると、お前は思うのか?」
「起こらないという保証はあるまい」
領主らしい言い方だ。
だが。
「そうじゃねぇ。悲劇が起こると『お前は思っているのか』?」
もっとミクロな視点で話してるんだよ。
ご大層に風呂敷を広げるから重要なことを見落とすんだ。
もっと自分と向き合え。
今見つめるのは己の心の中だけでいい。
「……思う。思っている」
数秒の間、内なる自分と向き合って、ルシアが答えを出す。
まぁ、そうだろう。
今さら『シラハと旦那を会わせる』なんて言えば、大騒ぎが起こるだろう。
そんなもんは分かりきっている。
分かりきっているからこそ……
「そう思うんなら、問題が起こらないように対策を立てればいいじゃねぇか」
確実に問題が起こるってことは、その問題が起こる前に準備を万全に整えられるってことでもある。
逃げ出しさえしなければ、どんな問題だろうが対策は打てる。
「食い物スイッチが入った時は別として……」
いまだ半泣きで「おかわりぃ」と鳴いているババアをチラ見して、……思わず漏れそうになるため息をグッと我慢して……この短い時間で感じた素直な感想を言ってやる。
「こいつは、今でも旦那を想っているし、会いたがっている。俺にはそう見えるぜ」
シラハに会う前は、人間に傷付けられたアゲハチョウ人族が消し去れない怨嗟を吐き出し続けているのかと思っていたのだが。
なんてことはない。問題なのは過保護過ぎる周りの環境だ。
「思い込みをぶち壊すのは、揺らぐことのない絶対的なリアルだ」
シラハが旦那に会って、幸せオーラでも振り撒きゃあ、固定概念に凝り固まった連中の思想もパウダービーズのようにぐにゃんぐにゃんに解きほぐされることだろうよ。
「そこへ持っていくまでに妨害が生じるはずだ」
「だから、そこに対策を立てるんだよ」
「可能なのか、そんなことが? もし失敗すれば、虫人族たちは一層人間に対して……っ!」
「ちょっと待ってください、ルシアさん」
語調を荒らげ、俺を説き伏せようと息巻くルシアを、横入りしてきたエステラが制止する。
風に揺れる柳のように、吹き荒れる暴風を受け流すような表情を浮かべて。
そんな涼しい顔で、エステラは俺を指さした。
「ヤシロがこういう顔をする時は、何かを思いついている時なんですよ。すべてを丸く収める、奇天烈な解決策を。だよね、ヤシロ?」
「誰が奇天烈だ…………あと、買い被んな」
まぁ、手がないことも、ないけどな。
「あ、あのっ!」
さっきまで、自分の発言に悶絶していたジネットが、いまだ熱の引かない薄桃色の顔で挙手をする。
素の状態ではぽや~んとした大きな瞳を、可能な限り鋭くして、真剣な眼差しをしている。
こういう場で、自分の意見を主張するなんて……やっぱりジネットは少し変わった。
「なんだ、ジネットよ。申してみろ」
「はい」
発言の許可をルシアが出す。
下ろした手を胸元に添え、軽く握って、ジネットは口を開く。
「シラハさんの意見を聞いてあげてください。一番重要なのは、シラハさんが会いたいかどうかだと……思います、から」
もっともな意見だ。
しかし、ルシアに視線を注がれて少し萎縮してしまったようで、語尾が詰まっていた。
それでも、きちんと自分の意見を述べきった。
その言葉はきっとルシアにも届いただろう。
「そうだな」
短く言って、ルシアはジネットの肩に手を載せる。
ジネットが肩を震わせるが、ルシアはそんな様を優しい眼差しで見つめていた。
「もし、シラハが会いたいと言うのであれば、……たとえどんな問題が起ころうと、私が責任を持って対処する」
断言した後、威嚇でもするかのような強過ぎる視線が俺へと向けられる。
まるで宣戦布告を叩きつけるような、そんな眼差しだった。
「これで、いいのだろう?」
だが、その宣戦布告は、そこはかとなく心地のいいものだった。
ルシアがこちら側に動いた。
均衡を保つことで精一杯だった領主が、ようやく決断を下した。
ずっと思い続けていても、いざ行動に移すには相当な勇気が必要になる。
そのきっかけを作ったのは、おそらく……
「ジネット」
「え……?」
「お手柄だな」
裏表なく、純粋に他者を思いやることが出来る者の、思いやりの気持ちだったのだろう。
「い、いえ。そんな、わたしは何も……」
『シラハの気持ちが一番大事』
そんな当たり前のことを明確に分からせた。それは実は相当すごいことなのだ。
その何気ない一言が、今は重要だったのだ。
手柄だよ、お前の。
「わたしは、ただ…………好きな人のそばにいたいという気持ちは……分かりますから」
俯いて、恥ずかしそうに呟くジネット。
…………うん。なんか、蒸し返してないか?
嫌な予感がして、さっさと話を切り上げようとしたところ……俺より早く悪魔が動きやがった。
そう。真っ赤な髪の毛をした悪魔が。
「そうだよね、ジネットちゃん。その気持ちは大切だし、誰にも邪魔させちゃいけないことだよね。だって……」
エステラがジネットの肩を優しく抱き寄せ、二人揃って俺の方へと体を向ける。
そして、この上もないほどのドヤ顔で、……おまけに、声まで揃えて……こう言いやがった。
「「『好きな人のそばにいたい』ってわがままは許される」」
…………お前ら、覚えとけよ。
もし時間が巻き戻せるのなら、さっきの俺をぶっ飛ばしてでも黙らせてやるところだが、そんなことは不可能なのでさっさと忘れることにする。
風化しろ、こんな忌まわしい言葉っ!
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