店の前にエステラと二人で残される。
「……正直な話をしてもいいかな?」
心配性の二人がいなくなった途端、エステラがそんな風に話を持ちかけてきた。
エステラがそういう配慮をするってことは、結構危険水準にまで来てしまっているということか。
視線で続きを促すと、エステラも無言で頷いた。
そして、幾分声のトーンを落として話し始める。
「各方面から相談を持ちかけられていてね……、いろいろと」
「いろいろか……」
なんとも、嫌な響きのある言葉だな。
大きな問題はまだ発生していないが、大きな問題へと発展しそうなくすぶりはあちらこちらに存在している。そんな感じだ。
「川の水位が随分と減ってしまっているんだよ」
「ロレッタもそんなことを言っていたな」
「上流でそれを感じられるってことは、下流ではもっと深刻だってことだよ」
「まぁ、そうなるよな」
水源に近い方が水は豊富だ。
川を流れる間も、水は外気に触れ太陽に照らされ蒸発していくからな。あとは地面へと浸み込んだり。
とにかく、下流に行けば行くほど水位は下がっていく。
だとすれば、デリアは気苦労が絶えないかもしれないな、いろいろと。
「モーマットに泣きつかれたよ」
「モーマットに?」
川の水がなんで……と、思ったところで合点がいった。
「水路に水が流れなくなったのか?」
「そういうこと」
モーマットの畑のそばには、川から水を引く水路が走っている。
去年はそこが増水して畑を水没させていたわけだが……
「去年作った溜め池はどうしたんだ? あそこには結構な水が蓄えてあったはずだろう?」
水没した畑の水を抜くために、当時まだスラムと呼ばれていた地区の住民、ハムっ子たちが掘った溜め池がある。場所も、モーマットの畑のそばだし、活用できるはずだ。
「そこはもうすっからかんだよ」
「そうか……すっぽんぽんか」
「すっからかん!」
なんだよ。空気が重くなってきたからちょっと軽くしようとしただけなのに……
「重い空気の中で会話を続けると、どうしてもマイナスな結論に行きついてしまうことが増えるんだぞ。重さ知らずのお前には分からんかもしれんが……」
「人の胸を凝視しながら失礼なことをのたまうな!」
「…………すっからかん」
「人の胸を凝視しながら失礼なことをのたまうなっ!」
すっからかんの胸を隠し、体を向こうへ向けるエステラ。
今さら隠したって、お前の平らさは周知の事実だというのに。
「デリアからは何か言ってきてないのか?」
「川漁ギルドからは何もないね。真っ先に話が来てもおかしくないんだけど……」
デリアからの話は来てないのか……
「だとしたら、デリアの方も限界が近いのかもしれないな」
「え? まだ余裕があるから相談に来ないんじゃないのかい?」
「楽観視すればそう見えるだろうが、おそらく違う。たぶんデリアは……」
と、そんな話をしようとしたところで、店のドアが開き中からミリィが顔を覗かせた。
「ぁの……ぉ待たせ。もう、入っても、ぃい、よ?」
知り合いを初めて家に招く時は多少なりとも緊張する。
俺でさえ緊張するのだから、ミリィならきっと顔面ファイアー級に恥ずかしいのだろう。
柔らかそうなほっぺたが真っ赤に染まってイチゴ大福みたいになっている。
「『はむっ』てしたいな」
「それには同意だけど、やったら追放だからね」
「エステラ。この街には『精霊の審判』っていう魔法があってだな……」
「残念。大真面目だよ」
……ちっ。
これでは、エステラの目を盗んで『はむる』ことも出来ないではないか。
あ~ぁ、はむりたいなぁ。
「ぁ、ぁの……なんの、お話?」
「あぁ、大丈夫、気にしないでいいよ。いつものくだらない話だから」
俺の話がいつもくだらないというのか?
俺ほど教養に溢れている人間はそうそういないだろうに。失敬なヤツだ。
「それじゃあ…………ぁの、せまいけど……どうぞ」
「お邪魔するよ」
照れつつも店の入り口に立ち俺たちを中へと誘うミリィ。
エステラが嬉しそうに店へと入り、俺もそれに続く。
「ぁ、ぁの、てんとうむしさん……っ」
店に足を踏み入れる直前で、ミリィに呼び止められた。
どことなく必死な表情で、ミリィが俺を見上げている。
「さ、最近ね、ずっとね……その……忙しかったから……っ」
ん?
それはさっき聞いて知っているが……
「だからね…………時間、あんまりなかったからね、……あんまり待たせるのも悪いと思ったし……だからね……あのね………………ちょっと、散らかってるけど、いつもはね……もっと綺麗にしてるん……だ、ょ?」
要するに、片付けたものの納得がいかず、前もって知っていればもっと完璧な状態でお迎えできたのに……ということらしい。
「分かった。その辺を考慮して、部屋を見せてもらうな」
「ぁう…………あんまり、見ないでくれると、うれしい、な…………恥ずかしいから」
はっはっはっ。
女子を辱めるのは男子のDNAに刻み込まれた本能のようなものだぞ。
……が、無駄な羞恥は与えない方がいいだろう。
「はいはい。それじゃあ、上がらせてもらうぞ」
「ぅ、ぅん…………ぁの…………いらっしゃい、ませ」
大切なお客様をお迎えするように、恭しく礼をするミリィ。
ホームパーティーとか、そういうのに憧れでもあるのかもしれないな。そういう感じの所作だ。
「じゃあ…………どうぞ」
そう言って、俺の前を歩くミリィ。
エステラは先に行かせるのに俺は先行させないようだ。
油断した時にうっかりと変なものを見せないようにだろう。
なんともいじらしい感情だな。
…………単純に信用されてないだけかもしれんがな。
ミリィに監視されるように店内を進み、その奥――居住スペースへと続くドアをくぐる。
そこは、店内に立ち込めている花の香とは違い……なんと表現するべきか少し迷うが……ミリィのような香りがした。
「あ、ヤシロさん。すみませんが、配膳を手伝っていただけますか?」
俺たちが外で待っている間に、ジネットの料理は出来ていたようで、美味そうな湯気を立ち上らせるコンソメスープが堪らん香りを放っている。
「ぁ、それくらいなら、みりぃがやるよ?」
「いいえ。ミリィさんはお休みしてください」
働き詰めのミリィを気遣って、ジネットはきっぱりと言い切る。
ジネットはとことんミリィを労うつもりのようだ。
「店長命令ならしょうがねぇな。ミリィ、お盆はあるか?」
「ぅ、ぅん。食器棚の横に……」
「よし。じゃあ運んでやるからミリィは先に行ってドアを開けておいてくれ」
「ぅ、ぅん。ぁの…………ありがとう、ね?」
申し訳なさそうな顔をして、ミリィが先に駆けていく。
「じゃあ、ジネット。お盆を……」
「ヤシロさん」
ミリィがいなくなったのを見計らって、ジネットが体を寄せてくる。
そして、素早く俺の耳に唇を近付けて囁くような声で言う。
「ミリィさんを救ってあげてください」
吐息交じりに発せられたその声は、少し掠れるような音色で……妙にぞくりと背筋を撫でた。
「……助けるたって、俺に何が出来るわけじゃねぇし」
「お願いします。ヤシロさんならきっと、ミリィさんの苦労を取り除いてあげられる何かを思いついてくれると思うんです」
そんなことを勝手に思われてもだな……
「ご迷惑とご苦労をおかけすることは重々承知の上で、お願いします。どうか、わたしのわがままを聞いてください」
その願いを「わたしのわがまま」と表現するあたり、ジネットらしいというか……
「わたしに出来ることでしたら、どんなことでもいたしますからっ。どうか……」
……ホントに、こいつは。変わったのか変われてないのか……
「前にも言ったと思うが、気安く『なんでもする』なんて言葉を使うな。言質を取られてどんなことを要求されるか……」
「はい。分かっています」
分かっているなら、なんでお前はそう軽々しく……
「分かった上で、『なんでもします』と申し上げました」
「…………へ?」
「それくらい、わたしの言っていることは無茶苦茶ですから……」
つまり、ジネットは……俺にあんなことやこんなことをされるかもしれない危険を理解した上で『なんでもする』と言っていると…………それはつまり………………
「アホか」
「ひゃんっ!」
ジネットにデコピンを一発お見舞いする。
「いちいち仰々しいんだよ」
少し赤くなった額をさすり涙目のジネット。
今回のアホな発言はそれで許してやるから、二度とこんなことは口にするな。
そんな気持ちを込めて、……不本意ではあるが……こう言っておく。
「出来ることがあれば、出来る範囲でなんとかしてやる」
「……ヤシロさん…………はい。お願いします」
く……こんな一銭にもならないようなことに労力を、それも自ら進んで割くことになるとは…………
「ただし! 金になりそうなことが転がってたら全部独り占めするからなっ!」
「くすっ……はい。その際は、わたしも拾い上げるのをお手伝いしますね」
本当に転がってるわけじゃねぇっての。
まったく、こいつは…………
「それじゃ、運んじまおうぜ」
「はい」
ジネット特製の食事をお盆に載せて、ミリィの待つ部屋へと向かう。
その間、俺は無言を貫いていた。
先ほど終了したはずの会話が、どうにも脳内を駆け巡って仕方なかったのだ。
まぁ、つまり……
「なんでもします」の「なんでも」は、混浴と添い寝――どっちがお得かなぁ、なんてことをだ。
くそっ! もうどっちも実現しないと思うと妙に悔しくなってきた!
なんか損した気分だ! くそ! くそっ!
「あの、ヤシロさん? どうかしましたか?」
「別になんでもねぇよ」
心配するなら、俺の心をいたずらに掻き乱さないでもらおうか!
とにかく、今後は……あんま危険なことは口走んじゃねぇぞ。
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