「この風景…………こんな風景を、俺は見たことがある」
「えっ? 本当ですか?」
古びた廃屋。
周りの空気は重苦しく、心なしか空も薄暗く感じられる。
いや……明らかに、その建物の周りだけが他よりも薄暗く、どんよりとくすんで見える。
ざわざわと風が鳴り、鼓膜への振動がそのまま背筋へと伝わり、ぞくりと震わせる。
なんの変哲もないはずの……ただ薄気味の悪い風景…………それをジッと見つめていると、不意にこんな言葉が聞こえてくるのだ――
――お分かりいただけただろうか?
「俺の故郷では、こういう場所の話が一部の人間に人気があってな…………暑い季節なんかには特に」
「ヤシロ。それって、怪談なんじゃ?」
「あの、英雄様。確かに寂れてはおりますが、ここにはそういう類いのお話は存在しませんよ。普通に、私の家族が住んでいるだけですので」
そんなこと言ったって……
この場所は、どこからどう見ても心霊スポットで、なんならテレビで見たんじゃないかって気すらする。それくらい『ありそう』な風景なのだ。
例えば、あの廃屋の窓なんかに…………
「…………っ!?」
窓に視線を向けて、俺の全身は硬直し、脳の全機能が停止した。
窓から………………長い髪をした女が「ジ……ッ」とこちらを見つめている…………
「おっ、おぉぉぉおおおおおおおおおお分かりいただけただろうかぁぁぁあああっ!?」
「ヤシロさんっ!? どうされたんですか!?」
「お分かりいただけただろうぅぅぅかぁぁぁあああっ!?」
「英雄様、お気を確かに!?」
「えぇい、離せセロン! ここには魔物が棲んでいるっ!」
「いえ、住んでいるのは私の家族ですよ、英雄様!?」
「でもっ、あ、あぁぁあ、あそこを見ろ! あの窓に女がっ!
と、指を差して視線を向けると……
「いなくなってるぅぅぅぅううっ!?」
やっぱりだ!
やっぱり幽霊だったんだ!?
だって消えたもんっ!
一瞬、目を離したこの隙に!
「ヤシロさん、落ち着いてください」
「お、ぉぉお、おち、おちち、おちち、おちちちっ!」
「『お乳』『お乳』言わないでくださいっ」
「落ち着いてられるか! で、でで、出たんだぞ!?」
「お乳がかいな?」
「お乳は常に出てるもんだろうが、エステラ以外はっ!」
「うっさいよ!」
「みなさん、落ち着きましょう! 英雄様も、深呼吸を!」
ウェンディがその場をとりなそうと声を張り上げる。
……その時。
「よくも帰ってこられたもんだね、ウェンディ」
ウェンディの背後に、先ほど窓からこちらを窺っていた女の幽霊が立っていた。
出たぁあっ!? ――と、叫びかけてやめた。
なんだ、こいつ……生きてんじゃねぇか。
その女は、結構な歳を取った女で、顔には「いつも厳めしい顔ばかりしているのだろうな」と思わせるようなシワがくっきりと刻まれていた。
頭には二本の触角が生えている。……ってことは、虫人族…………つうか、こいつが……
「……お母さん」
ウェンディが低い声で呟き、ゆっくりと振り返る。
想像通り、この幽霊もどきがウェンディの母親らしい。……の、だが。
「家を捨てたヤツに『お母さん』なんて言われる筋合いはないね。あんたはもうアタシの娘じゃない。どこぞのなんとかいう男の所有物になるんだろう? もうここには来ないでくれるかい、一族の恥さらしが!」
「…………また、そうやって…………」
ウェンディの髪がふわりと持ち上がり……そして――
バチバチバチィッ!
――と、激しいスパークが巻き起こる。
「ウェンディ、落ち着け! 深呼吸だっ!」
先ほどウェンディに言われた言葉を、そのままウェンディへと返す。
「はっ……す、すみません。また、興奮してしまいまして…………」
俺の顔を見ると、ウェンディは少し落ち着きを取り戻し、スパークも収まる。
よかった。あのままじゃ実の母親を感電させかねない勢いだったからな。
「くっ……一体なんなんだい、おっかない娘だねぇ! 人間と関わるから、そんなけったいな体質になっちまうんだよ!」
「――っ!?」
再び、ウェンディの体が発光し始める。
そして、小さなスパークが起こり、それは感情の波に比例してどんどん大きくなっていく。
「そんなのっ、関係ないでしょう!?」
「あぁ、関係ないとも! あんたが人間にいいように使われて、やがて捨てられようとも、アタシにはなんの関係もない話だよ! だからさっさと帰っておくれ!」
「そういうことじゃなくてっ、私の体質と、人間云々は関係ないでしょうって言ってるの!」
「関係なくなんてあるもんかい! あんたがおかしくなっちまったのはナントカいう男にうつつを抜かすようになってからだ! 大方、甘言に惑わされて利用されてるんだよ!」
「セロンはそんな人じゃないっ!」
落雷が同じポイントに落ち続けているのかと思うような、凄まじいスパークが起こり続けている。
雷様なる架空の存在が実在したら、きっとこんな感じだろう。
「ふん! そうやって騙された連中がどれだけいると思ってるんだい! あんたもその一人さっ!」
金色に輝くスーパーウェンディに一歩も怯むことなく、ウェンディの母親は強い口調で怒鳴り散らす。そして、その視線が今度は俺たちへと向けられた。
「まったくっ! こんなに人間を連れてきて……っ。数で押せばアタシたちが揺らぐとでも思ったのかい!? 残念だったね! アタシは人間なんか怖くないんだ! 言いなりになんかならないよ!」
言いなりだとか、数で押すだとか、怖くないだとか……こいつは何かを勘違いしているのではないだろうか。
いや、確実に勘違いしているんだろうが……
「亜系統なら、言いなりに出来ると思ったら、大間違いだよっ!」
……『亜系統』?
エステラに視線を向けると、バツが悪そうな表情をされた。
「聞かれると思ったよ」とでも、言いたげな表情だ。
なので、今は聞かない。
あとで、詳しく説明を求めよう。
これが、カブリエルの言ってた『気に障る無礼なこと』か……
「おい」
敵意剥き出しの目で、ウェンディの母親がこちらに声をかけてくる。
「そこの、顔のいい方の男」
「なんだ?」
「あんたじゃない方の男だよ!」
「顔がいい方つったじゃねぇか!」
「だから、あんたじゃない方だつってんだよ!」
「英雄様にまで失礼なことをっ!?」
ウェンディのスパークが一層激しくなる。
「それじゃあ、あんたは、あっちの方が顔がいいって言うのかい!?」
「…………」
ウェンディのスパークが落ち着く。
……って、オイ!
「あ、あの、ヤシロさん。外見の良し悪しは好みによるところが大きいので、あまり気にされない方がいいですよ?」
「そうだよ、ヤシロ。個性っていうのは長所にもなり得るからね」
「せやせや。元気出しや、自分。よう言うやろ? 『ハンサムは三日で飽きるけどおもろい顔は三日で慣れる』いうてな」
「お前ら全員、フォローしきれてないからな!?」
後ろ二人は論外として、ジネットのも結局『セロンの方が俺よりカッコいい説』の否定にはなっていない。『土俵が違えば勝てる可能性もある』というだけの話だ。
そんなもん、勝てないヤツの言い訳じゃねぇか。負け犬の遠吠えだ。
……まぁ、セロンに顔だけの勝負を挑むつもりはさらさらないけどよ。
「あの……。それで、僕に何か用でしょうか?」
控えめに、『顔のいい方の男』が一歩進み出る。
……けっ。
「あんたがこの娘の結婚相手かい?」
「え……は、はい! ウェンディさんとは、いいお付き合いをさせていただいています」
「ふん! 『あんたにとって都合のいい』お付き合いだろうに」
「お母さんっ!」
ウェンディのスパークが激しさを増す。
これまでにないほど広範囲に亘り、今にも母親に襲いかかりそうな勢いだ。
稲光のようなスパークが母親に向かって触手のように伸びていく。
……ん?
これって……
「これ以上セロンを悪く言うと、本当に許さないからっ!」
「許さなくて結構! 人間が亜系統とまともな結婚なんかするもんかい! 妾が精々、下手すりゃ奴隷のように扱われるに決まってる! 亜種のアゲハチョウ人族でさえあんな目に遭わされたんだよ!? それなのに、人間を信用してるだなんて、正気の沙汰じゃないね!」
「アゲハチョウ人族のアレは……確かに…………けど、それとセロンは関係ないっ!」
「人間なんてのはどれも同じさっ! 亜人を見下し、亜種を食い物にし、亜系統を奴隷のように思っているのさっ!」
「お母さんっ!」
「『お母さん』と呼ぶんじゃないよっ! あんたはもう他所の娘だっ!」
ウェンディのスパークが勢いを増し、世界の色彩を塗り潰していく。
その向かいで、ウェンディの母親からも何か霧のようなものが噴出している。
キノコが胞子を吐くように、白っぽい何かが辺りへと撒き散らされる。
そして、その霧のようなものがウェンディのスパークに触れてバチバチと火花を散らす。
……ふむ。やっぱりか。
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