「ここが水路の入り口だ」
四十二区を流れる長い川の中ほどに、水路の入水口が設けられていた。
割と大きな入水口で、レンガでしっかりと補強されている。
「この辺は流れが穏やかなんだな。水深は割と深そうだけど」
「あぁ。この辺りは斜面が緩やかで、ほとんど平坦なんだ。たまに上からすげぇ勢いで水が流れてくることがあってさ、そういう時にこの入り口が壊れないようにって、親父がここに作ったんだ」
「デリアの親父さんって、前のギルド長なんだっけ?」
「あぁ。カッコいい親父だったぞ」
……『だったぞ』か。
まぁ、深くは突っ込むまい。
「親父が作ってくれてよかったよ。あたいだったら、そこら辺に適当に作っちゃうもんな」
「適当は、……困るかな」
エステラの笑顔が引き攣る。
親の代に済ませておいてよかったな、お互いに。
「これは、親父がちゃんと考えて作った入り口なんだ。下手に壊せねぇよ」
水害の危険性や工事の難しさ云々を抜きにしても、デリアは現在の入水口がベストだと考えているようだ。
あるものに固執して融通が利かなくなるのは困りものだが、今回の場合はそうじゃない。俺も、現状はこの入水口がベターだと思う。場所も強度も形状も。
何か対策を立てるとすれば、新しい入水口を臨時で作って、水不足の解消と共に埋めてしまうってやり方か……けど、それもどうなのかな。
街道の開通にあわせて、ここら一体も綺麗に整備されているからな。下手に掘り返してまた埋めてってのは難しいかもしれない。
去年は、どこもかしこも土が剥き出しの田舎道だったからな。遠慮なく掘り返せたんだが。
「この入り口よりいい入り口を、あたいは作る自信がないな。ヤシロが手伝ってくれたら別だけど」
「いや、そこはウーマロにでも相談しろよ」
「だってあいつ、まともに会話できないぞ?」
……まぁ、そりゃそうか。
「やっぱ入り口のことはヤシロに任せないと……」
「デリア。『入水口』な?」
「にゅーしゅいこ?」
「……いや、なんでもない。いい入り口だな」
「だろぉ~? やっぱ分かるヤツには分かるんだよなぁ」
「……ヤシロ。折れたね」
いや、別にいいんだ。入水口だろうが入り口だろうが。
ほんのちょっと気になっただけで。
とはいえ、デリアの愛着もなみなみならない感じだ。これはいよいよもって破壊は難しくなってきたな。
「しかし、本当に水位が下がっているね」
エステラは水面へと視線を注いでいる。
入水口のある川の側面は、かつての水位を示すように変色している。
以前は入水口が半分ほど水に浸かっていたようだ。
だが、現在は入水口の底から、さらに20センチほど低い場所に水面がある。
「この付近って、水深どれくらいなんだ?」
「オメロが沈むくらいはあるぞ」
「……沈めたことあんのかよ」
「勝手に沈むんだ、あいつは」
ここは流れが穏やからしいし、何かを洗うには絶好のポイントかもな。
で、勝手に滑って川へと落ちるのか……ありそうだ。
まぁ、それはいいとして。
オメロが沈むってことは、2メートルは優に超えるか。
水位が下がっても、まだまだ十分に水はありそうだな。
「モーマットたちがうるさいからさぁ、この前オメロに桶で水を汲み上げさせたんだよ」
「水路にかい?」
「あぁ。水が流れれば文句ないんじゃないかと思ってさ……けど、桶だとどんなに頑張って汲み上げても全然水が流れなくてさぁ」
「また無謀な……」
「オメロのヤツ、根性ないからなぁ」
「いやいや……」
エステラの笑顔が引き攣っている。
デリアから川漁ギルドの話を聞く時、エステラは大抵こんな顔をしている。
エステラ。常識にとらわれていると、こいつらの相手は出来ないぞ。
理屈の通じないヤツなんか五万といるんだから。
「けど、だからって川を堰き止めるのは絶対ダメだから……」
眉根を寄せ、俯き加減で、『らしくない』表情を見せる。
いつもの竹を割ったようなデリアの豪快さは影を潜め、子供がわがままを貫こうとする時の強情さと、でもそれが悪いことかもしれないと感じている後ろめたさと、そんなもやもやした気持ちに泣きそうになっている脆さと……そんなものをごちゃ混ぜにしたような暗い表情をしている。
「…………あたいさ、ミリィに酷いこと、言ったかもしれない」
ジネットが目撃したというデリアとミリィの口論。
ジネットの話では、デリアはかなり怒っていたらしいが……
「なんかさ……モーマットとか、米農家のホメロスとか、養鶏場の連中とか、……あ、あと、ちょっとだけだけどムム婆さんにも……水位を上げられないかって言われてさ」
どいつもこいつも、川から離れた場所で水を使う連中だ。
「でも、あたいはっ、川が大事だし、魚が大事だし……そう簡単には納得できなくてさ」
それで、人が来る度に追い返していたところ、「自分が間違っていて、わがままを言っている悪者なんじゃないか……」と、思ってしまったわけだ。
「ムムお婆さんも来ていたんだね」
「あぁ。ムム婆さんはさ、歳だし、獣人族でもないし、水を汲んで運ぶとかかなりしんどいんだよな……だから、なんとかならないかって……」
「ボクのとこには相談に来なかったなぁ」
「たぶん、オメロに水を運ばせてるからじゃないか?」
「……オメロ、ホントに忠実だよね、ギルド長に」
いや、エステラ。そこは「ギルド長に」ではなく「デリアに」だな。
だが、デリアの機嫌を損ねるくらいなら肉体労働くらい進んでやるのがオメロだ。
「デリアもデリアなりに、対策を考えてたんじゃねぇか。たとえ、ムム婆さん一人だったとしても、お前のおかげで救われた人がいるんだ。上出来だよ」
「でもさっ! 他のヤツらは何回も来て……来る度に、ギスギスしちゃってさ…………」
そりゃあ、向こうも死活問題だ。
水がなければどんな仕事も立ち行かなくなる。
「堰き止めるわけにはいかねぇけど、水はまだあるからさ、各自で勝手に汲んで持ってってくれって言ったんだよ」
「けど、一度に運べる水の量なんかたかが知れてるよね」
「あいつら、力弱いからなぁ」
「……いや、デリアを標準だと考えて非難するのはさすがに可哀想だよ」
エステラ。デリアは常に自分を基準に物事を考えるヤツなんだぞ。
いい加減慣れろ。
「それでさ……あまりにしつこくてさ…………だってな、水はあるんだから汲めばいいだろ? それを運ぶのが大変だからって川を堰き止めろって、それは違うんじゃないかって、あたいは思うんだよ! しんどいのとか、面倒くさいのとか、そんなの、魚がいなくなっちまうことに比べたら全然大したことじゃないだろ!? 魚の方が大切だろ!? 面倒くさくても死にはしないんだしさ! でも、魚は死んじゃうんだぞ!?」
一理は、ある。
他のギルドの連中は、自分たちが『通常の業務』を行うために川漁ギルドに『妥協』を迫っている。
それを川漁ギルドが突っぱねることで、追わなくてもいい『負担』を負わされていると感じてしまうのも無理はない。
けれど、『快適さ』を求めて『安定』を壊してしまうのは愚策だ。
川を堰き止めるってのは、かなり極端な言い方をすれば環境破壊に近しい。これまでそこで行われていた自然のサイクルを人の手で壊す行為に他ならない。
そのせいで失われる生態系があるかもしれない。
そういう観点で見れば、デリアの言うことは正しい。
生態系を壊してまで『楽をしたい』と言う、他ギルドの連中を疎ましくも思うだろう。
だが。
逆の立場から見れば状況はがらりと変わる。
デリアの言うところの『面倒くさい』仕事は、通常業務を圧迫し続け、作業員に無理を強いている。一日二日ならば我慢も出来るが、一週間、二週間と続き、さらにそれがいつ終わるかも分からないとなれば、不満は相当溜まるだろう。
現に、その『面倒くさい』仕事をムム婆さんは行えずにいる。
オメロが手を貸さなければ、ムム婆さんの洗濯屋は店を閉じなければいけない。
しかし、この四十二区においてのんびりと休暇を満喫できるレベルの裕福さを持っている人物など数えるほどもいない。
連中は必死に働く。
通常業務に追加された、水汲みという『面倒くさい』重労働を、毎日こなしながら。
それはかなりの苦痛だ。
実際、ミリィは倒れそうなほどふらふらになっていたしな。
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