「酷い目に遭った」
たぷたぷと重い腹と、喉の奥でイガイガとするコーヒーの後味と、口内に広がる煩わしいまでのナッツの香りが俺の気分を限界まで悪くさせる。
カフェ帰りの後味じゃねぇぞ、これ。
「ボクも、噂には聞いていたけれど、ここまで徹底しているとは思わなかったよ」
カフェに行きたいと言っていたエステラが、行ったことを少し後悔している。
こいつも、あの酷い対応は初体験らしい。
「ボクはもともと、『BU』に呼ばれることなんかほとんどないし、たまに来ても領主の館での晩餐か、特定のレストランでの食事しか知らないからね。父は何度か来たことがあるみたいだけど」
「私は、先代様のお供で何度となくこちらの区に来たことがあります。まぁ、総じてクソみたいな店ばかりですね」
「おい、ナタリア! 言葉には気を付けろ!」
他区の店をクソ呼ばわりはマズい。ナタリアの立場を考えれば、外交問題にすらなり得る。
つか、女の子がそんな言葉を使うんじゃない。
「どこも排泄物のようなものです」
「言い方まろやかにしたつもりか!? 全然なってないから!」
さっきまでナッツ食ってた店を排泄物呼ばわりすんじゃねぇよ。……なんか嫌な気分になるだろうが。
「ナタリア。ボクも今の発言はいただけないな」
「エステラ様は、排泄物はいただかない主義だと?」
「いただく主義の人なんかいないよね!?」
おぉッと、ナタリア。そこでジッと俺を見つめているのは宣戦布告と捉えて差し支えないのかな? ぶっ飛ばすぞ、コノヤロウ。
「クレアモナ家の給仕長として、一流のレディのような振る舞いを心がけてもらわないと困るんだよ。発言はもちろん、行動も、所作もね」
「…………」
俯き、細いアゴを指で押さえ、ナタリアが深く黙考する。
これまでの自分の言動を顧みて、反省しているのかもしれないな。
「…………仕える主のスタイルが一流ではないのですが、それは……」
「うるさいよっ!」
……反省なんか、しちゃいねぇ。
「しかしながら、先ほどの発言は度が過ぎておりました。深く反省し、今後二度と、あのような発言は致しませんことを誓います」
騎士がするように、右腕を曲げて自分の胸を押さえ、深い敬礼をエステラに捧げる。ナタリアは、こういう所作がすごく様になる。正直に言ってカッコいい。
礼を向けられたエステラも、少し気圧されるくらいの気品がほとばしっている。
ナタリア……お前って、ホンット、口さえ開かなければいい女だよな。最高級の。……最高級に残念だよ。
「給仕長は、そこの領主を表す鏡であると言える。エステラにはよく似合った、ユニークな給仕長ではないか」
あははと、ルシアが豪快に笑う。
ほほぅ。どうやらルシアは、自分のところの給仕長が割と残念な娘であるということを失念しているようだ。
ギルベルタも、大概残念だからな。
「今以上に気を付ける、私は、私がルシア様を映す鏡というなら」
「ふふん、どうだ! 主に恥をかかさぬようにと己を律する。これぞ、給仕長というものだ」
「互いを映すもの、鏡は。ルシア様の鏡なら、私もまた鏡ということになる」
ギルベルタがルシアを映す鏡なら、ルシアもまたギルベルタを映す鏡であると、そう言いたいらしい。
「……いささか変質的過ぎる面があるということ、私にも。律する、私は、自分を」
「おい、ギルベルタ!? それは私が変質的過ぎるということか!?」
「肯定する、私は」
「そういう時はもっと主を立てるものだぞ、ギルベルタ!」
「物凄く肯定する、私は」
「そうじゃないっ!」
ルシアが変質的であることを、物凄い力強さで肯定したギルベルタ。
うん。やっぱり給仕長は領主を表す鏡だわ。どこのコンビもうまくボケとツッコミが噛み合っている。大したもんだなぁ。
「ルシアは知っていたのか、この街の異常性を」
「先ほどの店の過剰なサービスについてか?」
あの嫌がらせのようなおかわり攻撃を『サービス』というのか? 嫌がらせだろ、あんなもん。
「庶民的な店が、あそこまで過剰なサービスをしているとは思わなかったが……まぁ、想像は出来たな」
「ってことは、この街は庶民レベルから貴族御用達の店まであんな感じなんだな」
「サービス精神が旺盛なのだろうな」
イヤミにしか聞こえない発言をし、乾いた笑いを漏らす。
この街の飲食店は軒並み危険ってわけだな。気を付けよう。
「皆様。間もなく農業区へと出ます」
カフェを出た後、再び細い裏路地を練り歩いていた俺たちだったが、ようやく農業区へとたどり着いたらしい。
距離は大したことないのに、何度も迂回させられ、その度に登ったり降りたりを強要され、もうくたくただ。腹も重いし。
農業区に出れば、道も広くなり、平坦になるらしい。
道が安定してるってのはいいな。安心感がある。
俺は、モーマットの畑を想像し、雄大な気持ちになっていた。
なんだかんだ言って、俺もやっぱり農耕民族日本人の血を引いているのだな。田園風景を見ると心がほっと安らぐのだ。
「この階段の向こうが農業区になります。足元に気を付けてください」
きびきびと、俺たちを案内するナタリアの背を追いかけて、俺たちは細く長かった階段を下りていった。
地面がレンガから土に代わり、靴に感じる大地の反発力が少し和らぐ。
掘り返した土と堆肥、そして植物の匂いが曲がり角の向こうから漂ってくる。
心持ち速度を上げて、俺は角を曲がり、裏路地を抜け出した。
「狭っ!?」
目の前に現れたのは、家庭菜園かと思うくらいにこぢんまりとした畑だった。
「二十九区は土地が狭いからね。限られた土地でしか植物を育てることが出来ないんだよ」
自身もあまり詳しくないと言っていたエステラが、訳知り顔で聞きかじった知識を披露している。ドヤ顔しやがって。
そこは、限られたスペースを極限まで利用しようという思いがにじみ出しているような、ぎっちぎちに詰め込まれた畑だった。
段差になっているところも、斜面すらも、畑として利用されているようだ。
レンガを使って小さく区切られた畑がいくつも並んでいる。
小学校の学級菜園のようだ。クラスごとに花壇が区切られ、限られた範囲で球根なんかを育てている。そんな懐かしい光景を思い起こさせる。
けどこれ、生活がかかった『農業』なんだよな。
だとしたら、いささか心許なくないか?
「ここは、通りに最も近い畑ということで競争率が激しい土地らしいです」
ナタリアのセリフに、都心の一等地に家を建てようと躍起になっている日本のサラリーマンが脳裏をかすめていった。
つまり、運搬の便がいいここの畑は大人気で、それ故に細かく区切られてこんなありさまになっているというわけか。
畑に埋まっている植物を眺める。どの畑も、同じ植物を栽培しているようで、同じ葉っぱがずらりと並んでいた。
これは…………豆の葉か?
あまり詳しいわけではないが、豆はどんな土地でも育てやすい強い植物ってイメージがある。
これだけ密集した畑なら、豆くらいしか育てられないのかもしれないな。
「ここ以外にも畑はあるんだよな?」
「はい。ですが、領土の狭さから、どこもここと似たような状況だと伺っています」
限られたスペースを、奪い合うように畑にして農業か。狭いのは狭いで大変なんだな。
モーマットの畑は広過ぎて何割かを活用できていなかったが、こっちは逆に休ませる暇もなさそうだ。
年中作物が取れるオールブルームでは、畑を休ませたりはしないのだろうか? 同じ植物を同じ場所で育て続けるとよくないと聞いたことがあるんだが。
「ここから先は、私も実際に見たことはありません。先代の給仕長……母から伝え聞いた情報だけしか持ち合わせておりません」
そういえば、先代の領主に仕えていた給仕長はナタリアの母親だったな。
ナタリアがこの付近に詳しいのは、母親から譲り受けた知識があったからか。
心なしか、ナタリアが堂々として見えるのは、母親からの知識に絶対の信頼と自信を持っていることの表れだろう。
ふふ……頼もしいじゃねぇか。
「ギルベルタは詳しくないのか、この付近?」
エステラ以上に、何度もここへ呼びつけられていると言ったルシア。その給仕長なら、実際に見て得た知識などがあるのではないか。と、そう思ったのだが。
「持ち合わせていない、私は、ナタリアさん以上の知識を」
そうでもないらしい。
「ここに来る度、『もう飽きた、早く帰りたい』に代わる、ルシア様の口癖は」
「お前……他区の視察とか情報収集とか、そういうのにもっと興味持てよ」
「情報収集ならしている。この先に可愛いアブラムシ人族の女の子が住んでいるぞ」
「チャラ男レベルの情報量だな、お前は」
めぼしい美少女の情報だけ集めてるとか、どこのギャルゲーのサポートキャラだよ。
「まだ、正午までは時間があるよね。このまま視察を続けよう。実際にこの目で見ておきたいものがいくつかあるんだ」
「アブラムシ人族の女の子か? 分かるぞ、その気持ち!」
「ギルベルタ」
「了解した、私は。ルシア様、めっ!」
「ギ、ギルベルタが、エステラの言うことを聞いただとっ!?」
アンチ変質者同盟とか組んでんじゃねぇの。俺も加盟しとこうかな。
「では、先へ進みましょう。レンガの上は通行可能だそうですので、他人の畑の上ですが遠慮なく通らせていただきましょう」
ここから別の畑に行くには、もう一度裏路地を通って迂回するか、他人の畑の上を通過するしかないらしい。
……絶対荷車使えねぇじゃねぇか、こんなんじゃ。
俺たちは、所狭しと葉を広げる豆畑を突っ切って、さらに奥の畑を目指した。
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