異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

206話 ウサ耳 -3-

公開日時: 2021年3月20日(土) 20:01
文字数:2,509

「妹というのは、リベカさんのことですよね。麹職人の」

「えぇ。そのとおりよ」

「なぜ、ソフィーさんはリベカさんに会うことを避けているんでしょうか? 姉妹なのに」

 

 何か理由があるはずだ。

 だが、それを俺たちが聞いていいのか。

 そして、このシスターが話してくれるのか。

 

 エステラは真剣な表情でバーバラを見つめる。

 バーバラは笑みを浮かべたまま、しばし口を閉じ――何も話さなかった。

 ただの好奇心では教えてくれないようだ。語るに足る何かを提示しないと。

 

「あの耳が原因なんだな」

 

 俺が言うと、細められていた目がかすかに開いた。

 推測でしかなかったのだが、どうやらアタリのようだ。

 

 ここにいる獣人族は、みんな深い傷を負っている。

 そんな連中を、ソフィーは守ろうとしていた。それも、ただならぬ気迫で。

 本当に信頼できると判断した者でなければ、見せることもしない。徹底した態度。

 それは、ともすれば自身の怪我に対する思いの裏返しではないかと考えたのだ。

 

『こんな耳を見られたくない――』

 

 それは、特定の誰かに対して抱く強い感情。

 特定の相手に対するものだと思ったのは、ベルティーナの手紙を見た後、俺たちの前に姿を見せたから。

 誰にも見られたくないのであれば、バーバラに丸投げすることだって出来たのだ。

 対応をすべてバーバラに任せて、自分は姿を隠すことだって出来た。だが、そうはしなかった。

 

 その点からも、ソフィーは折れた耳を『誰にも見られたくない』とは思っていないと分かる。

 

 では、その特定の人とは誰か…………言わずもがな、リベカだ。

 もしくは、リベカを含む自身の家族、親族、一族……

 

「折れた耳ではホワイトヘッドを名乗れない――そんなことを考えているんじゃないのか?」

「驚いたわね……その通りよ」

 

 沈黙を守っていたバーバラの口が開かれる。

 その声音は、少しだけ嬉しそうだった。

 

「ウサギ人族の中でも、ホワイトヘッドの一族は特別耳がいいのよ。そして、ホワイトヘッドの一族は『耳』で麹を育てる」

 

 リベカもバーサも、麹を作ることを『育てる』と言っていた。

 それに必要不可欠なのが、ホワイトヘッドの『耳』なのだという。

 ウサギ人族の中でも抜きん出た超聴力……か。

 

「幼い日に事故で耳を負傷し、あの娘の聴力はとても悪くなった……そう言っていたわ」

「聴力が落ちた者は、麹職人になれない……だから、家を出たということでしょうか?」

「さぁ、どうかしらねぇ……本当のところは、本人にしか分からないわねぇ」

 

 麹職人への道が断たれ、後継者にはなれなかったソフィー。

 それで家を出た……自分が継げない家になど興味がないと…………いや、違うな。

 リベカの話をした時のあの寂しそうな目は、まったく逆の感情を如実に表している。

 

 リベカが気に病むから、あえて会わない――そんなところだろう。

 

「あの怪我、リベカが原因なのか?」

「直接的ではないけれど……」

 

 バーバラは目を伏せる。

 周りの景色を完全に遮断し、俺たちの姿を視界から消す。

 さも、これから話すのは独り言だというアピールでもするように。

 

「リベカ・ホワイトヘッドは、百年に一人の天才と呼ばれるような娘だった。生まれてまもなく麹の『音』を聞き分け、それを『声』と呼んだ。先代や先々代ですら聞くことの出来なかった麹の『声』を聞き分けられたのは、彼女だけだったわ。まだ、ろくにしゃべれもしないような年齢のうちから、その才覚は現れていたの」

 

 そんな天才が生まれて、先に生まれていたソフィーはどんな気分だっただろうか。

 先代や先々代をも凌ぐ天才。

 リベカを見る限り、ソフィーの上に兄姉はいないのだろう。

 そして、ソフィーの年齢を考えると、リベカが生まれるまでの数年間はソフィーが後継者として期待されていたに違いない。

 

 後継者としての才能を持って生まれた妹に、軽く追い越され……ソフィーは必死になったはずだ。

 必死になって……そして、無理をし過ぎた。

 

「麹の『声』を聞こうと無理な努力を繰り返し、ソフィーは事故を起こしたんだな」

「そう聞いているわ。麹の樽に落ちて、耳を折った……育てていた大量の麹をダメにしてね」

 

 育てるべき商品をダメにした。

 職人に必要な耳を負傷した。

 

 果たして、ソフィーの心をより深く傷付けたのはどちらだったのか。

 

「ほどなくして、ソフィーは教会へ訪れ、シスターの道を目指すようになった……彼女が九つの時だったわ」

 

 そして、それから数年が経ち、リベカが麹職人を継承した。

 

「リベカさん……寂しがったんじゃないかな」

「そうね。幼いながらにソフィーが出て行くことが分かって泣きじゃくっていたらしいわね」

「ソフィーは今年でいくつなんだ?」

「十五歳ね」

 

 ってことは、ソフィーが家を出た時、リベカは三歳か。

 もしかしたら、大人たちにすごいと褒められる自分の才能を姉にも褒めてほしかったのかもしれないな。それが姉を追い詰めることになるなんて、理解できる年齢じゃない。

 当時のリベカにとっては、青天の霹靂だっただろう。

 

「あまりに大泣きをする妹に、ソフィーは言ったそうなの。『あなたが大人になったら、また会えるわ』と――」

 

 大人に……

 

「ねぇ、ヤシロ。もしかして、リベカさんはそれで……」

「あぁ。自分のことを『大人』だと言っているんだろうな。一日でも早く、姉に会いたくて。だが……ソフィーは頑なに妹に会おうとはしない」

 

 視線を向けると、バーバラはゆっくりと首肯する。

 

「えぇ、そうよ。あの娘は恐れているのね、妹に会うことを……自分は、逃げ出したのだと、思い込んでいるから」

 

 ぐんぐん頭角を現し、今や歴代最高の呼び名も高いリベカ。

 一方の自分は、努力が空回り取り返しのつかない負傷を負った……そして、教会へと逃げ込んだ。――なんて考えているわけか。

 

「それじゃあ、リベカさんの思い人って……」

「間違いなく、ソフィーだな」

「男の人じゃ、なかったんだね」

「みたいだな」

 

 その点は安心できた。……だが。

 くっそ、なんとかならねぇもんかな、この問題……………………あ、よりよい麹製品をリベカに作ってもらうためにな! 精神の安定は、麹の品質に影響を及ぼすだろうからな。最高の豆板醤を作ってもらわないと、陽だまり亭の売り上げにも影響が出かねないからな。うん。

 

 

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