陽だまり亭に戻ると、店内はガランとしていた。
「おかえりなさい、ヤシロさん。いらっしゃいませ、ミリィさん」
「暇そうだな」
「みなさん、運動場へ行かれているようですよ。先ほどまでエステラさんがお昼ご飯を食べにいらしてたんですよ」
「あいつは今日、イベントにかかりきりか?」
「そうみたいです。夜には帰ってくるとおっしゃってましたよ」
帰って……あぁ、そうか。エステラの館は今日から十日間閉鎖されるんだっけ?
給仕たちは館へは寄らずに寮へ直帰するのだ。
「給仕の方が数名、陽だまり亭で食事したいとおっしゃっていたそうです」
「休みの時じゃないと来られないもんな」
基本給仕は館に詰めている。
給仕と呼んでいるが、掃除や庭の整備も賄う使用人たちだ。
お昼にふらっと外食に出かけるような暇はない。
エステラはしょっちゅうふらふらしてるけどな。
「日替わり定食を毎日食べに来たいとおっしゃっている方もいるんだそうですよ」
くすくすと嬉しそうに笑う。
日替わり定食は、何が出てくるかその日にならないと分からない。
最初は、余り物の処分用にと思って作ったメニューだったのだが、今ではジネットが作りたいものを作るために存在している。
毎日毎日、その日の日替わり定食を考えるのが楽しいのだそうだ。
言われてみれば、ジネットは言われたものを作るばかりで、自分で何を作ろうかと考えることは滅多になかった。
俺らの飯も、俺らが注文したものを作ることがほとんどだ。
世の母親たちが頭を悩ませている毎日の献立も、ジネットにとっては程よい刺激なのかもしれない。
本人が楽しんでいるならそれでいい。
もっとも、ジネットだから丸投げできるわけで、これがマグダやロレッタだったら、ドーナッツ定食やハンバーグパスタオムライス全部乗っけ盛り定食とか、ふざけた内容になるから厳しいチェックが必要になる。
ジネットが考える献立は、ちゃんと利益が出る予算内で考えられているから、一応安心だ。
……いまだに、腹を空かせてるヤツには自動で大盛りになったり、ガキ相手だとちょっと特別な付け合わせが付いたりするけどな。
「ミリィさん。何か召し上がっていきますか?」
「ぅうん、平気。お弁当、とっても美味しかったもん」
「……もん?」
森の中でジネット特製の弁当を食った。
三人で食っても十分な量があり、あまり多くを食べる方ではないミリィとレジーナはそれだけで満腹になっていたようだった。
「それじゃあ、みりぃは生花ギルドに行くもん。てんとうむしさん、頑張ってもん」
にっこにこと手を振って、ミリィが陽だまり亭を出て行く。
ここへは、荷物を運んでもらっていたのだ。
俺とレジーナ、それぞれに研究用の花をプレゼントしてくれた。ちゃんとギルド長の許可ももらっていたらしい。
レジーナはゴムの木とヘリオトロープを。
そして俺は、ヘリオトロープと、もう一つ――
「ミリィさん、なんだか嬉しそうでしたね」
「あぁ、まぁ……」
――ジネットへのプレゼントを。
「森でいいものを見つけてな」
「いいもの、ですか?」
「それで少し分けてもらってきた。買ったわけじゃないから、あまりデカい顔は出来ないんだが――」
言いながら、ミリィが玄関先へ置いて行ってくれた鉢植えを取ってくる。
ミリィ愛用のボストンバックサイズのポシェットに忍ばせてあった鉢植えに植え直してくれた、肉厚のハーブ。
丸い小さな葉が茎から四方八方に開き、まるで緑の花のようにも見えるそのハーブは日本でもなじみの深いもので、触るととてもいい香りがする。
「ジネットにプレゼントしようと思って」
「へ?」
「こうして鉢植えで育ててもいいし、伸びてきたら剪定して花瓶に活けてもいい。繁殖力が強いからじゃんじゃん増えるぞ。紅茶やサラダに入れてもいいんだ」
「あ、あの……っ」
やや早口で説明をする俺の言葉を、ジネットは慌てて遮る。
どうにも思考と理解が追いついていないようだ。
「わざわざ、持ち帰ってくださったんですか?」
「まぁ、たまたま見つけたからな」
本当は、ヘリオトロープを見つけた後、ミリィに言って探してもらったんだが。
そこは濁してもいいだろう!?
ミリィも内緒にしてくれるって言ってたし!
レジーナには、口外すると卑猥なお仕置きを敢行すると忠告してある。
「受け取って、くれるか?」
「……はい。あの、ありがとうございます」
どこか呆然としたような顔で、ジネットが鉢を受け取る。
「まぁ、もらいもんみたいなもんだから、プレゼントなんておこがましいんだが」
「そんなこと! ……嬉しいです、とっても」
鉢を抱きしめ、ぎゅっと胸に抱く。
ジネットの腕の中で緑の茎が揺れる。
「葉っぱを触ってみ」
肉厚の葉を摘まんで言ってやると、ジネットも俺を真似して葉を摘まむ。
「産毛がふわふわで、ぷにぷにしてます。可愛い……」
「そしたら、その指を嗅いでみ?」
「え? ……すんすん。わっ! いい香りですね」
ハーブは、葉の裏を撫でてから触った指を嗅ぐといい匂いがする。
「これは、アロマティカスってハーブだ。いい匂いだろ?」
「はい。これなら、紅茶に合いそうですね」
そう言って、アロマティカスの葉に鼻を近付ける。
「ありがとうございます。大切に育てますね」
「あぁ……まぁ。フロアに飾ってもいいかと思ってな」
「はい、是非飾りましょう。見た目にも可愛いですし、お客さんに撫でてもらって、この匂いを楽しんでいただきましょう」
「食用も出来るから、不衛生でもないしな」
そしてもう一つ。
アロマティカスを食堂に飾る大きなメリットが存在する。
陽だまり亭は、毎日ジネットやマグダたちが清潔に保っているので問題ないが、他の飲食店では頭を悩ませているところもあるであろう『ヤツ』の対策にもなる。
「アロマティカスの匂いは、虫が嫌うんだ。特に――こいつを置いておけば『G』が逃げていく」
台所に潜む黒い悪魔。
ヤツが逃げ出すハーブとして、日本で知名度を爆発的に上げたのがこのアロマティカスだ。
「そうなんですか。では、飲食店の強い味方ですね」
葉を揺らし、その香りを楽しむジネット。
ま、効果もさることながら、見た目にも可愛いしな。多肉植物。
「ありがとうございます、ヤシロさん」
「何度目だよ」
「何度でも、嬉しくなってしまいますから」
何度目かの「ありがとう」を言って、ジネットはアロマティカスの置き場所を模索し始めた。
それに合わせて、ヘリオトロープの鉢植えを店内へ持ち込む。
「この花もいい香りだぞ」
「もう一つあるんですか?」
「こっちはハンドクリームの研究用だ」
「では、一足先に香りを楽しませていただきますね」
アロマティカスをカウンターに置いて、ヘリオトロープの花に鼻を近付けるジネット。
「甘い香りですね」
「美味そうだが食えない。ベルティーナには十分注意するように言っといてくれ」
「なんでもかんでも食べたりしませんよ、シスターは」
「買いかぶりじゃないか?」
なんでもかんでも食うだろう、あのシスターは。
いや、苦いものは苦手だったか。コーヒーを『毒』って言って残してたっけな。
「あの、置き場所が決まるまで、こちらに仮置きということでいいでしょうか?」
「ジネットの好きにすればいいよ」
「はい。……ふふ。これで、毎朝起きる楽しみが一つ増えました」
ちょんっと、アロマティカスの葉を突き、香りを楽しむジネット。
こんなちょっとしたことでも、全力で喜んでくれるんだもんなぁ。
持ち帰ってよかった!
「ヤシロさんもお腹はいっぱいですか?」
「いや、実は、俺はちょっと足りなかったんだ」
「では、何かお作りしますね。リクエストはありますか?」
「そうだな……」
ここ最近、ジネットは新しい料理ばかりを作っていたから――
「クズ野菜の炒め物がいいな」
「はい。では少々おまちください」
「……なんか俺、リクエスト聞かれる度にクズ野菜の炒め物頼んでる気がする」
「ふふ、気に入ってくださって嬉しいです」
うぐ……っ、まぁ、気に入ってると言えばそうなんだが。
「わたしも、嬉しいですよ。最近ではヤシロさんくらいしか頼んでくださいませんし」
一時、クズ野菜の炒め物ブームがあったが、どんどん新しい料理が増えていくせいか、ブームは長続きしなかった。
今ではすっかり下火だ。
特に思い入れでもない限り、注文するような物でもないからな。
……別に、俺にとって特別思い入れがあるってわけでも、……まぁ、ないというかあるというか。
「それに、……思い入れのある料理ですし、作っているととても楽しいです」
…………ジネットには、思い入れがあるらしい。
まぁ、俺も、ないかと言われれば……
「あう、すみませんっ! 変なことを言ってしまいましたね」
「い、いや……」
「あの、でも、わたしに気なんて遣わずに、食べたい物があればなんでも言ってくださいね」
「あぁ、そのうちな」
「…………」
「…………」
「つ、作ってきます!」
「お、おぅ、頼む!」
妙な空気を置き去りに、ジネットが厨房へ逃げた。
くぅ……取り残されたこの感じ、俺はどうすればいいのやら。
やっぱり、柄にもないことをしたせいだろうか。
いやいや、アロマティカスは食堂の救世主だ。さらばG。二度と会うこともないだろう。
うん、俺の選択は間違ってなかった。うん。
その日の夕方、ゴムの木とヘリオトロープの移植の許可が出たと、生花ギルドの女性が陽だまり亭へと訪れた。
なんでミリィじゃないんだろうと思ったら……
「ところでヤシロちゃん。……ミリィちゃんが『もん』って言っていたんだけれど、あれってあなたのご趣味なのかしら?」
……ミリィ、『今日一日』ってルールを忠実に守っていたのか、はたまた言ってるうちに癖になって無意識だったのか。
なんにせよ、指摘されて恥ずかしさが込み上げてきたそうで、陽だまり亭への報告には来られなかったそうだ。
……え、俺のせい?
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