俺から薬の袋を受け取った上官らしき兵士は、館内部に続くのであろう扉を開けて入っていく。
ってことは、ドールマンジュニアもそっちに行ったってわけね。
この緊急事態に、手に入れた薬をくすねようなんて小賢しい悪知恵は働かさないだろう。
バレたら確実に処刑だ。
どうしていいか分からない場合は、即上司に報告。指示を仰ぐこと。
ウィシャートが臆病であればあるほど、その辺の教育はしっかりとしていることだろう。
教育ではなく、ただ単に恐怖で従わせているのだとしても。
上官風兵士の足音が遠ざかるのを確認して、俺は中庭へと出る。
……そしたら、いるわぁ、兵士。
ホント、多いよな。
全部で兵士は三人か……
「どうした。早く持ち場に戻れ」
「いえ、上官より命を受けました。自分は新人でありますので使いをするようにと」
「使いだと? 内容は」
「はっ! 先ほどの賊が高価な傷薬を落としていったということで、負傷した兵士に与えるようにと」
「傷薬だと!? それは本当か!」
「はっ! 医務室の場所が分かる兵に手渡し届けさせるようにとのことでした」
「そうか。上官の名は?」
「えっと……で…………ど…………も……」
「モードレス上官か?」
「はっ! そうであります!」
「バカモノ! 上官の名くらい早く覚えぬか!」
「申し訳ございません!」
こういう時、ありそうな文字を思い出している風に呟けば向こうが焦れて該当する名前を教えてくれる。
「モードレス上官であれば、下級兵士のことを気にかけてくださるのも納得だ。で、その傷薬は? 私が直々に届けてやろう」
「それが、数が多く――」
と、懐から八個の袋を取り出す。
それぞれに、ちゃんと薬が入っている。
「なぜそんなにあるのだ?」
「賊がここに乗り込むつもりだったからだと、上官が」
「なるほど……ゴッフレードめ。怪我を覚悟の上での特攻か……愚かな」
下っ端に情報をもらったら、上官はいかにもそれっぽい理由を考えて分かった気になるものだ。
「え? それどーゆーこと?」とは、部下には聞けないもんな。
あとは勝手に解釈して、勝手に納得してくれる。
「数が多いな。お前たちも一緒に来てくれ」
「はっ!」
残り二人の兵士に言って、上官風兵士が俺から袋を奪う。
「負傷した兵の中には、我が部隊の者もいた。これで助けられるかもしれん。礼を言うぞ」
「はっ!」
敬礼すると、兵士三人は布袋を抱えて館の中へと入っていった。
ゴッフレードの名を知ってる兵士もいる……っと。
結構長いことバオクリエアに戻ってたって言ってたから、ゴッフレードの名を知ってるのは古くからいる兵士ってわけだな。
うんうん。
「さぁ~て……っと」
鎧の中に隠し持っていた竹筒を取り出す。
軸を押せば水が飛び出す竹水鉄砲だ。
中身はもちろん海水だ。
「こいつをぴゅ~っとね」
竹水鉄砲三本分の海水を、ゴッフレードが通ったであろうルートを中心に散布する。
すると、海水を浴びたフロッセの種が驚異的な速度で発芽し、成長して、開花する。
周りにあった芝はみるみるうちに茶色くなり萎れていく。
わぁ、怖い。
二重壁の前まで来て、四本目の竹水鉄砲で海水を撒く。
やはりここに隠し扉があるようで、他よりも多くフロッセの花が咲いた。
壁を調べると、うまくカモフラージュされた扉を発見した。
「よし、行くか――」
大きく息を吸い、けたたましい音が鳴るように勢いよく扉を開けて中に飛び込む。
「モードレス上官より伝令! 手の空いている兵は全員中庭に集合! ゴッフレードが中庭にバオクリエアの害虫をまき散らしたらしい! これはゴッフレードの拘束が甘かった我ら兵士の失態だ! ドールマンジュニア様のお目に触れる前にすべての害虫を探し出し駆除せよ! 当然、ウィシャート様にも気付かれるな!」
「そのような命令は聞いていないぞ! 貴様、名は?」
「一大事なのです! 疑うのなら中庭をご覧ください!」
「中庭だと……んなっ!? なんだこれは!?」
この部屋を守る部隊の隊長みたいな兵士が、茶色く枯れ果てた中庭を見て言葉を失う。
兜を被っていなかったせいで、額から吹き出す大量の汗が確認できた。
「……この惨状がウィシャート様に知られたら……まして、この後やって来るクレアモナに見られでもしたら……っ」
「ぬぐっ! マズい! 確かに一大事だ! 総員、中庭に出て害虫を探し始末せよ! 枯れた芝はすべて刈り取れ! 枯れた芝より、むき出しの土の方が見栄えはよい!」
「「「はっ!」」」
室内にいた兵士たちがバタバタと中庭へ出て行く。
「地下にいる兵にも声をかけます! 害虫は1センチに満たない小さな虫です! 芝の枯れる速度から見て数十匹はいると思われます!」
「うぬぅ! 分かった! 貴様、私に代わり兵を呼びに行け! その際はダートラットの命だと言え!」
「はっ! 了解しました、ダートラット上官!」
はい、お名前ゲットだぜ☆
「ダートラット上官より緊急の指令! 総員中庭に出てバオクリエアより持ち込まれた害虫の捜索、駆除をせよ!」
「害虫だと?」
「なぜ俺たちが!?」
「いいから行こうぜ。遅れるとまたうるさいぞ」
「だな……」
「あ~ぁ! 折角の内勤だってのに……」
「地下牢の鍵はしっかりかけとけよ」
「当たり前だろ。殺されたくねぇからな」
ガチャンと重々しい音を鳴らして鉄扉の鍵をかけ、不満を垂れながらも兵士たちが全員中庭へと向かう。
……というわけで、二重扉の間には人っ子一人いなくなりましたとさ。
つい先ほど施錠された鉄の扉の鍵をほほほいって解錠する。
無駄に重い鉄の扉を開けると、目の前に小さい牢屋が一つあった。
扉の真ん前に牢屋? 普通は出口が見えない場所に牢屋を作るだろうに……
視線をスライドさせると、その奥に四つの牢屋が並んでいた。
一番手前の牢屋には、ついさっきまで見ていた悪人面があった。
「よぉ。待たせたか? ゴッフレード」
「あぁ、待ちくたびれたぜ」
「お前を助け出すのは、胃に穴が開きそうなほど嫌なんだけどな」
「へへ、そうしなきゃ、テメェの大切な領主様が泣くことになるぜ?」
「……しょうがねぇな」
エステラを引き合いに出し、ゴッフレードは勝ち誇っている。
俺が逆らえない状況に優越感を味わっているのだろう。
「言っておくが、まだ暴れるなよ。ウィシャートを仕留め損ねるぞ」
「分かっている。そもそも、この一件が終わるまではお前に従うって『約束』だ」
「終わった途端に裏切ってやるって意味にしか聞こえねぇな」
「くはは。勘がいいじゃねぇか」
小声で笑って、ゴッフレードが立ち上がる。
牢屋の鍵を開けてやると、感心したように「ひゅ~」っと口笛を吹きやがった。
静かにしろよ。ガキか。
「ノルベールは奥か?」
「あぁ。さっき少し会話をした」
「妙なことを口走ってねぇだろうな」
「心配すんな。俺の利益が減るようなことはしてねぇ」
妙なことを口走れば兵士が警戒する。
そんなヘマはしないか。
ゴッフレードを連れて、ゆっくりと奥へと進む。
一番奥側の牢屋。
……いる。
牢屋の前に立つと、そこには猛獣のような存在感を放つ人影が蹲っていた。
クマが座ってるみたいなデカい図体のシルエット。
明かりのない地下牢の中にいて、その威圧感が半端ない。
お前、本当に二年近くも監禁されてたのかよ。
「ゴッフレード、明かりを持ってきてくれるか。暗くて顔がよく見えない」
「ん? おぅ」
「……待て、ゴッフレード」
牢屋の中から、静かな声が聞こえる。
「顔なんざ見えなくても、俺にははっきり分かるぜ――」
牢屋の中の影が突然立ち上がり、こちらに向かって突進してくる。
「テメェの顔も声も、ここにいる間、一秒たりとて忘れたことはないからなっ!」
ガッシャン! ――と、デカい音を立てて牢屋を揺るがし、血走った目でこちらを睨み付けてくる男。
「よ、よぅ、久しぶりだな……ノルベール…………さん」
うん。
無精髭にこけた頬を見ると、さすがに痛むよね、良心。
でもさ、ほら、逆に考えたらさ、無事でよかったじゃん。ね? ね?
「俺をここから出せ。テメェを捻り殺してやる」
「そう言われると、回れ右して帰りたくなっちまうなぁ」
「ゴッフレード! そいつを殺せ! 俺が許可する!」
「そいつは出来ねぇな。コイツを殺すと、俺は四十二区の領主にカエルにされちまう」
「四十二区がなんだ! あんな最底辺の区に何が出来る! ヤレ!」
「まぁ、待てよノルベール。なんで兵士が全員いなくなったと思ってる?」
ゴッフレードが、まるで自分の手柄のように言う。
俺の話を聞く耳は持たなくても、ゴッフレードの話なら聞こえるらしい。
ノルベールが俺の顔をじろりと睨む。
「この男、見た目よりずっと『使える』ぜ?」
「……あぁ。知ってるよ…………嫌ってほどな」
あはは~。
閉じ込められていた長い時間で、俺が何をやったか思い至っちゃった感じかな?
「ノルベール。ウィシャートは今日で終わる。こいつが終わらせる」
「……こいつが?」
「あぁ。こいつと四十二区の領主がな」
「病気が治ったのか」
「いや、娘だ。前領主はもう引退した」
「娘? たしか、まだまだ小娘だったはずだろう」
ちゃんと調べてんだな。
そりゃそうか。
付け入る隙と、取り入る隙を常に狙ってるのがこいつら悪党だもんな。
「ここは一時休戦と行こうや。俺も、テメェに対する不満を、今だけは飲み込んでやる」
「へっ! ほざいてろ。助けにも来やがらねぇで」
「今来てやっただろ? 感謝しろよ」
「遅いんだよ」
「だが、今日で決着だ。そう悪くはない。違うか?」
「…………」
ノルベールがゴッフレードを睨んだまま黙る。
「失敗したら?」
「四十二区に責任をおっかぶせてトンズラすりゃあいい」
「成功した際の、俺らの旨味は?」
「バオクリエアに情報を持って行ける。三十区が落ちたとなれば、立て直しに相当時間がかかる。なにせ、ウィシャートは上の連中に相当深く食い込んでやがるからな」
「後釜を据えるにも、上位貴族どもの勢力争いが起こる……か」
「テメェ、バオクリエアと連絡は取っていたんだろ?」
「あぁ。ウィシャートに捕らわれていると、暗号で伝えた。バオクリエアは近く救出に来ると言ってくれていた」
うわぁ、胡散臭ぇ。
バオクリエア、そんなことしてる暇ないだろう。
ノルベールを飼い殺すための方便だな。
「なら、ウィシャート失脚の一報は王族にとっても吉報になる。お前を不当に捕らえていたウィシャートが失脚すれば、責任を取るのはウィシャートに爵位を与えた王族だ。失脚後なら、しらばっくれることも出来ねぇ」
「なるほどな……あとは俺が被害を訴えればバオクリエアが動く理由になるか」
「オールブルームの王族は折れざるを得ないだろう。うまくすりゃ三十区にバオクリエアの貴族を置くことになるかもしれねぇ」
「そうなりゃ、バオクリエアはオールブルームに影響力を持てる……か。よし、その線で攻めるぞ」
「そのためには、ここから出ねぇとな」
「……そのためには、そのクズ野郎を許せってか?」
「そうだ。輝かしい未来のために、な」
「…………」
ノルベールが俺をじぃ~っと睨み付ける。
これまでの鬱憤をすべてぶつける勢いで睨み付け、たっぷりと息を吐いた。
「はぁ~っ! ……分かった。テメェに危害を加えねぇと約束してやる」
「忘れてるかもしれんが、この街で嘘を吐きゃあ――」
「忘れるか! 俺も、『精霊の審判』はおっかねぇんでな。おい、クズ野郎。名を聞かせろ」
「……オオバヤシロだ」
「ならオオバ。俺をここから出せ」
「それには条件がある」
「過去を水に流してやるってんだ! 欲張るんじゃねぇ!」
「なら、ここに置いていくまでだ。ウィシャートの仲間として共に裁かれるか、バオクリエアのオールブルーム侵攻の足を引っ張った大罪人として差し向けられるか、好きな未来を選ぶんだな」
「テメェ……っ!」
「自分の置かれている立場を理解しろ。時間がない。判断の遅い無能は使えない」
「チッ! 分かったよ。ゴッフレードと同じ条件でいい。この件が終わるまではテメェの下に付いてやる」
「よし」
利益に敏感なだけあり、話が早くて助かる。
ノルベールの牢屋の鍵を開ける。
さすがに少し手が震えて一秒だけ余計に時間がかかった。
「ほぅ。大したもんだ」
俺の鍵開けを見て、ノルベールが低い声で呟く。
牢屋が開き、ノルベールが190センチを超える体を折り曲げて外へ出る。
俺の隣を通る際、――まぁ、ケジメとしてな。
「……悪かったな」
あの頃の俺は、他人の痛みに鈍感だったかもしれない。
自分の痛みにも、鈍かったからな。
「……ふん。妙なタイミングで言いやがる」
呟いて、めっちゃ重い拳骨を頭に落としやがった。
「い゛……っ!?」
痛ぇぇえ!
兜被ってなきゃ頭蓋骨陥没してたぞ、絶対!
「これで勘弁してやる。見抜けなかった俺も甘かった。何より、またこうして外に出られた。だから、これでチャラだ」
俺のせいで捕まり、俺に助けられた。だからチャラ、か。
まぁ、捕まったのはウィシャートの館で暴れたせいだけどな。
「じゃあ、命令をくれや、ボス」
にやりと笑って、ノルベールが俺を見下ろしてきた。
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