朝、目を覚ますと腕の中にマグダさんがいました。
……おや?
一体いつの間に?
昨日の記憶を懸命に思い出してみます。
「……ん……みゅう」
「あっ、すみません。寒いですね」
いつもなら、すぐにベッドを出て身支度を始めるのですが、マグダさんが寒そうにされているので、もう一度布団をかけてベッドに横になりました。
ぐりぐりと、胸に頭を押しつけてくるマグダさんが可愛くて、そっと頭を撫でます。
「……むふー」
こうして、無防備な頭を撫でさせてもらえるのは役得ですね。
そういえば、夜中にマグダさんが部屋に来て、一緒に寝たいとおっしゃっていたような気がします。
はっきりとは思い出せませんが、まぁ、マグダさんの願いであればわたしはいつでも聞いてあげたいと思っていますし、こうして一緒に眠るのはわたしも嬉しいので問題ありません。
……ということは、わたしは昨日、部屋の施錠をせずに眠ってしまったということですね?
いけませんね、不用心です。
エステラさんにも強く言われていますのに。
『何があっても、部屋の施錠だけはしっかりするようにね。最近物騒だし……一番危険な男がひとつ屋根の下にいるんだからね』
――と。
もっとも、ヤシロさんがそんなことをするなんて思いませんけれど。
…………しないと、信じています、けど。
少しだけ、顏が熱くなりました。
マグダさんと一緒に寝ていたからでしょうか。
マグダさんは眠っている時体温が高くなりますからね。きっとそのせいですね。
でも、昨日は自分で思う以上に疲れていたということですよね。
施錠を忘れて眠ってしまうだなんて。
お子様ランチがたくさん売れて、嬉しさのあまり少々張り切り過ぎてしまったのでしょう。
ふふ、子供みたいですね、わたし。
嬉しいとついつい張り切り過ぎてしまって。
それでも、体は疲れてしまって、そして片付けもそこそこに眠ってしまったのでしょう。
あぁ、そうでした。
ヤシロさんに言われて、先に休ませてもらったんでした。
イメルダさんがお帰りになる前だったのに、わたしったら…………
「…………ぁ」
そう、でした。
たしか昨晩は……
「……え? ……えっ、え?」
徐々に脳が覚醒していき、それに合わせて鼓動が速くなっていきます。
「そういえば、昨日、ヤシロさんは……」
ぎゅっ! ――と、胸が締めつけられました。
そうです。
昨晩、ヤシロさんはイメルダさんを送って……
そうです、そうです。
たしかイメルダさんが給仕の方たちより一日早く四十二区へ引っ越しされたとかで、館には誰もいなくて、オバケが怖いイメルダさんは一人で帰りたくないとおっしゃって……
それでたしか、陽だまり亭にお泊まりになられてはどうかと提案したのですが、ワラのベッドはお気に召さないということで、それで……
「今、ヤシロさんは……」
今、ヤシロさんは、誰もいないイメルダさんの館で、イメルダさんと二人きりで――
ぎゅぅううっ! ――と、胸が苦しくなりました。
ドッドッドッドッドッ……っと、鼓動が速くなっていきます。
少し眩暈がして、呼吸が難しくなって、目に涙が溜まっていきます。
もしかして、これは……とんでもない事態なのではないでしょうか?
「えっと……あの……」
縋るようにマグダさんを抱きしめると、「……んみゅっ」っと、腕の中からするりと逃げられてしまいました。
少し力を籠め過ぎたようです。
背を向けて丸まるマグダさん。
途端に胸に冷やりとした空気が触れ、体から温度を奪っていきます。
体を起こして、部屋の向こう――ヤシロさんのお部屋がある方へ視線を向けます。
……そこに、ヤシロさんはいない……ん、です、よね?
……ドキドキドキドキドキドキ。
なんでしょう、嫌な感じです。
不安で、苦しくて、……吐きそうです。
どうしましょう……
イメルダさんは、とても綺麗な女性ですから……
「……はっ!? 違います、そうじゃないです」
頭を振って、思い浮かびかけた想像を振り払います。
今、とても嫌なことを考えそうになっていました。
心の醜さは笑顔を曇らせます。シスターがいつもおっしゃっています。
イヤな娘になれば、イヤなモノばかりが集まってきてしまうと。
わたしの周りにいてくださる方はみなさんいい方ばかりですから、そんなみなさんに相応しいいい娘でありたいとわたしは思います。
ヤシロさんは、軽率な行動をされる方ではありません。
誰かを傷付けるような方ではありません。
だから、大丈夫です。
「……ふぅ。まったく、困りものですね、わたしの早合点は」
でも、もし……
その行為が軽率でなかったとしたら?
きちんとした責任を負う覚悟の上であれば、それは――
「……うぐぅ」
ぎゅっと、息が詰まりました。
違います。
違いますよ、わたし。落ち着いて。
そもそも、ヤシロさんがどなたとどうなろうと、わたしが口を挟む権利など……
「……違います。そうではないでしょう、わたし」
卑屈になるのではなく、信じるのでしょう?
ほら、いつものように笑いましょう。
こんなしかめっ面をしていたら、ヤシロさんに嫌われてしまいますよ?
ヤシロさんに嫌われたら……ヤシロさんは、本当に木こりギルドへ…………
「…………違い、ます。そうじゃ……なくて……っ!」
……あぁ、わたし。
きっと今、すごく嫌な顔をしているのでしょうね。
こんな顔、ヤシロさんにはお見せできません……
自分にほとほと呆れ返り、みっともなくて涙が出そうになった時、わたしの手を、小さな手がキュッと握ってくれました。
「……マグダ、さん?」
お布団の中から、とろんとした寝ぼけ眼がこちらを見つめていました。
「……店長。泣いちゃ、ダメ」
「へ? あっ、いえ、これは、その……!」
慌てて涙を拭います。
マグダさんに心配をかけるなんて、店長失格です。
信じて待ちましょう。
もうすぐ日が昇ります。
朝になれば、ヤシロさんはきっと……
「……女は、度胸」
「……へ?」
予想外の言葉に、間の抜けた声を出してしまいました。
……女は、度胸?
「……マグダは、店長のこともヤシロのことも信じている。けれど、二人とも、たまにちょっと抜けていることがある」
あぅ……
それは、否定できませんけれど。
「……どんな人でも、失敗することはある。そんな時、助けてあげるのも信用のうち」
マグダさんの言葉に、目が覚める思いでした。
鈍器のようなもので後頭部を殴られたように強い衝撃を受けました。
信じるというのは、ただ待つことだけではない。
そうです……そうですよね。
信じることと、無関心は異なります。
信じているからこそ、過ちを未然に防ぐ手助けをするべき時がある。
それは、わたしの中に新たな価値観を芽生えさせてくれる言葉でした。
わたし、こんなに可愛いマグダさんに、こんな大切なことを教わって……まだまだですね、わたしは。
「……昨日、マグダは店長に怒られるかもしれないと思った。勝手に部屋に入って……信じていても、それは、怖かった」
わたしがマグダさんを叱るなんて、そんなことあり得ませんのに。
でも、その気持ちは分かります。
わたしも、シスターに叱られるかもって、怖くなる時はあります。信用していても、です。
あぁ、そうなんですね。
それと同じなんですね。
誰よりも優しいシスターなのに、こんなことでは怒らないと分かっているのに、心が勝手に委縮する時があります。
でも、思い切って疚しい心の内を打ち明けると、シスターはやっぱり優しくて、「よく話してくれましたね」と頭を撫でてくれるんです。
信じるって、何もしないで待っているということでは、ないんですね。
「……気になるなら、迎えに行くべき」
「ですが……」
「……平気。ヤシロは、店長が思う通りの人間。マグダが保証する」
なんでしょう。
マグダさんにそう言っていただけて、わたしの心はすごく軽くなりました。
一人で慌てふためいていたことが恥ずかしくなるくらいに。
「はい。では、少しだけ様子を見てきますね」
「……うん」
わたしがベッドから出ると、マグダさんはお布団をかき集めるようにして包まり、体を丸くしました。
「……ただ、一つだけ約束」
「なんですか?」
「……マグダが起きる前に帰ってきて、優しく起こして」
ふふ。
目が覚めた時に独りぼっちだと、寂しいですものね。
「はい。約束します」
「………………うん」
言い終わる前に、マグダさんは再び寝息を立て始めました。
「……よし」
空はまだ暗く、心臓はまだ嫌なリズムでドキドキしています。
けれど、わたしは嫌な娘にならずに済みそうです。
「迎えに行きましょう」
今はただ、早くヤシロさんに会いたい。
そんな思いでいっぱいですから。
そうして、イメルダさんのお宅に伺った後は、てんやわんやの大騒ぎになるのですが……ふふ、ヤシロさんったら、オバケが怖くて一晩中……笑っては申し訳ないのですけれど……可愛くて……ふふふ。
結局、わたしの取り越し苦労でした。
そして、マグダさんのおっしゃる通りでした。
信じているから……いえ、信じたいからこそ行動を起こすべき時がある。
もし、あのままヤシロさんの帰りを待っていたとしたら、わたしはきっととても嫌な顔をして出迎えてしまっていたかもしれません。
それは、わたしの未熟さゆえであり、その不安をぶつけるのは八つ当たりに等しいことです。
わたしも、もう少しだけマグダさんを見習って甘え上手になってみようかなと思います。
だって、甘え上手なマグダさんはあんなに可愛いですし。
それに……
今回、わたしが身勝手ながらも行動したことで、ヤシロさんがわたしにおっしゃってくださったんです。
「気にするな」って。
わたしの不安を取り除くために、わたしを、甘やかしてくださったんです。
あさましいとは知りつつも――
わたしは、そんな風に甘やかしていただけて、ちょっと嬉しいなって思ってしまったのでした。
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