大通りに、人の姿がない。
いや、なくはないのだが、とてもまばらだ。
「お兄ちゃん。人いないねー」
「そうだな」
住人の多くが自分たちの家なり職場なりの復旧作業に従事しているため、昼時のこの辺りをうろついている者が少ない……というだけの理由ではなさそうだ。
人もまばらな大通りを屋台を引いて進む。
工事をしているのは大通りを越えた先だ。大通りには飲食店をはじめ様々な商店が軒を連ねている。それらの店が出す生活排水を処理するために、この通りの下水は他よりもしっかりとした造りにするのだ。ここで下水が詰まったり、逆流なんてことがあると大参事だからな。
しかし……
本来、近くで大きな工事が行われると飲食店はその恩恵を受けて大盛況になるものなのだが……閑古鳥だ。
いくら俺たちが賄い料理を持っていくからといって、誰一人近隣の店に出向かないってのはおかしいだろう?
だって、たまには違うものだって食いたいだろうし、酒だって飲みたいはずだ。
この世界の人間には、「仕事中に昼間っから酒を飲むなんてけしからん!」なんて考えは根付いてないだろうし……なにせ、酒が水代わりのようなものなのだ。
飲むと言えば酒。それが一番安全だからな。幼い子供でも薄めたワインを飲んだりしている。もっとも、酔いやすいからガブガブとはいかないが。
なのに、誰もいない。
閑古鳥に次ぐ閑古鳥……
と、前方に『カンタルチカ』が見えてきた。
ここはイヌ耳店員のいる酒場だ。店のどこにも店名が書いていないんで今まで分からなかったのだが、トルベック工務店の大工にこの店の常連がいたのだ。そいつが店の名を『カンタルチカ』だと教えてくれた。
やっぱり、看板って必要だよな。
例えば「カンタルチカの酒が美味い!」なんて言われても「どこそれ?」になってしまってはもったいない。
ウチなんかしつこいくらいに『陽だまり亭』の名を宣伝している。
そうそう。言い忘れていたが。
現在、妹たちは俺が作った屋台用の制服に身を包んでいる。
お揃いのワンピースにお揃いのエプロン、そして、お揃いの帽子だ。
エプロンの胸元には大きな文字で『陽だまり亭』と書かれている。
帽子は、三角巾を袋状にしてゆったりとさせたような形状で、給食エプロンの帽子を可愛らしく改造したような感じに作ってある。見た目の可愛らしさと清潔感が大切だからな。
そして、その帽子にはハム耳を出せるように穴があけてある。
隠しはしない。こいつらは、もう二度とこそこそしたりはしないのだ。
前に一度、妹たちの制服を見た幼女が「かわいい」と呟いたのを聞いた時は思わずガッツポーズをしたくなったね。それでこそ、徹夜で作り上げた甲斐があるというものだ。
夜なべして、妹たちに可愛い制服を……って、俺、健気だよな。
何より、妹たちが大喜びしてくれたのが嬉しかった。
みんなで順番に袖を通したりして。今ではこの制服を着られるのは一種のステイタスになっているようだ。売り子は持ち回りなんだけどな。
服を作る時間が出来れば、一人一着ずつ支給できるようになるだろうが……
まだ先の話だ。
「あ、お兄ちゃん! 誰か倒れてるよ!」
俺の隣を歩いていた妹が前方を指さしながら言う。
酒場『カンタルチカ』の店先に一人の少女が蹲っている。背を丸め、小さくなってしゃがみ込むその少女の頭には、ゴールデンレトリバーのような耳がぶら下がっていた。
「パウラ?」
声をかけると、蹲っていた少女がゆっくりと頭を上げる。
やはりパウラだ。
元気が取り柄の働き者。大通りの高級(四十二区内では、だが)酒場『カンタルチカ』の看板娘。褐色の肌と、笑うとチラリと覗く犬歯がチャームポイントのパウラだ。
が、今のパウラからはそんな快活な印象は微塵も感じられない。
頬がこけて目の下にはクマが出来ている。
目を開けてはいるが、意識があるのかどうかは怪しい。
一体何があったんだ?
ロレッタを叩き出した時はあんなに活気に満ち溢れていたってのに。
「………………ぁ。あの時のお兄さん」
そよ風にすら掻き消されてしまいそうな細い声でパウラが呟く。
マズいマズい! なんか、今にもふっと消えてしまいそうな儚さを感じる。
「おいおい、どうしたんだよ?」
最後に見たこいつは、元気いっぱいにロレッタを怒鳴り散らしていた。
わずか半月ばかりでこのやつれようはどうしたことだ?
「……ぁ、うん。……大丈夫」
「全然大丈夫じゃねぇだろ、どう見ても」
「…………だってさぁ……」
パウラの顔がくしゃりと歪む。
涙に揺らいだ声には、悔しさが滲み出ていた。
「お客さんが………………来ないんだもん……」
精神的に参ってしまっているのか……本当にそれだけか?
「お前、飯食ってるか?」
「………………」
食ってないのか。
「酒場の店員が腹を空かしててどうするよ。服屋の店員が全裸だったら、お前そんな店で買い物しねぇだろ?」
「…………何屋でも、店員が全裸の店じゃ買い物しないよ」
ん……まぁ、それはそうか。例えがまずかったな。
「床屋がハゲていたら?」
「……そこは仕方ないじゃん」
あれれぇ? おかし~ぞぉ?
なんでかうまい例えが出てこない。
あ、じゃあ!
夜のお店のお姉さんが貧乳だったら…………たぶん、これも違うっ。
「とにかく、飲食店の人間は腹いっぱいに食ってなきゃ格好つかねぇだろ? 『ウチの店の食いもんはこんなに美味いんだぞ』ってよ」
「…………だってさぁ……っ!」
パウラは両手で耳を掴み、グイッと引き下げる。
前髪に隠れた瞳から涙が零れ落ちていった。
「…………食べ物が、買えないんだもん…………っ!」
大雨のせいで食糧が不足している。
大通りの店が手に入れられないほどに、四十二区の食い物は不足しているのか…………
………………
………………
………………いや、おかしいだろ。
行商ギルドは区を越えて商売を行っているんじゃないのか?
四十二区が大ダメージを受けたからといって、他の区からの食糧までもが断たれているってのはどういうことだ?
じゃあ一体、なんのための行商ギルドだよ。
「食い物がないって、行商ギルドの連中が言ってるのか?」
「…………災害の影響だって」
災害の影響で…………『何』かを言っていないのか。
それじゃあ例えば、『災害の影響で働くのが嫌になったので暴利を貪ります』って可能性もあるな。
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