「歩いてみないか?」
「え?」
「少しだけ……今なら、貸し切りだぞ」
そう言って、光に満ちた道をアゴで指す。
途端にジネットの表情が輝き出して、嬉しさが込み上げ溢れて噴き出すのが視認できそうなほど喜びに満ちた笑みが浮かぶ。
「はい! 歩きたいです!」
そんなに喜ぶほどのものではないと思うのだが……この道は、これからずっとこんな感じなのだし。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
ジネットと二人、並んで陽だまり亭を離れる。
光るレンガは道の両端に、等間隔に設置され、日中溜め込んだ光を夜の闇へと還元している。
さすがに、少しだけ光量が落ちている。夜明け頃には光も弱まるだろう。ちょうど一晩持続するように、ウェンディとセロンが調整してくれたようだ。
毎朝、教会への寄付を届けるために歩いている道をとぼとぼとのんびり歩く。
何があるわけでもない。ただ光が溢れている。
それだけで、特別な空間にいるような、不思議な高揚感があった。
「綺麗ですね」
教会のそばまで来たところで、ジネットが呟いた。
俺は、少し考えて…………結局、無難な言葉を返した。
「…………あぁ、そうだな」
お前の方が……なんて、そんなキザなセリフが吐けるヤツがこの世に存在することが信じられない。……そんなことを口走ったら、俺の心臓が鼻の中から波動砲並みの破壊力を伴って発射されちまうぞ。
世界平和のためにも、そんな世迷いごとは口に出来ん。
「少し……肌寒いですね」
さすがにもう浴衣は脱いで普段着になってはいるが、夜はやはり寒い。
日中は人出も手伝って相当な熱気に包まれていたのだが……この街の気候は、本当に読みにくい。
上着のひとつでも羽織ってくればよかったか。
ジネットを見ると、両手を揉み合わせるようにして指先を温めている。
…………寒い、よな?
どう考えても、寒い、よな?
「な、なぁ……」
「はい?」
うん。寒いわ。
俺も寒い。
特に指先は血管が細いから体温が逃げやすく、また温まり難いんだ。
しかしながら指先を冷やすとそこから外気の冷たさが体内へ浸透してきて…………まぁ、つまり、なんかよくない気がする。
だから、指先は温かい方がいいに決まっているのだ。
だからだな……
「手…………繋がないか?」
「え……?」
「あ、いや! ほら……さ、寒い、から……な?」
「…………はい」
少し照れたようにはにかんで、ジネットが静かに右手を差し出してくる。
「よろしくお願いします」
そんな一言で、心臓が横隔膜にめり込むんじゃないかと思うほどに暴れ出した。
「こ、こちらこそ……っ!」
訳の分からない言葉を発し、俺は差し出された手を…………ジネットの手を………………取れねぇ…………なんでだ、くそっ! フォークダンス! フォークダンスを思い出せ! 手くらい繋ぐ! 誰でも繋ぐ! ……あぁ、フォークダンスでちょっと浮かされたことが…………いや、しかし! ジネットだぞ! ジネットはそんなことしない! むしろ、こっちが「きゅっ」ってしたら「きゅっ」って仕返してくれるタイプの人間だ! ……試したことないから分かんないけど。
「ヤシロさん?」
「あ、いや。なんか、アレだな…………改まってこういうことをすると……緊張するな」
「――っ!?」
途端に、ジネットが顔を背け、差し出した右手はそのままに、空いた左手で前髪を忙しなく弄り始める。
「そ、そいうことを言われますと……余計に…………あの……照れます」
「そ、そうか…………悪い」
そうだよな。
ジネットも恥ずかしいのだ。
こういうのは、男がリードして、サラッと、さりげなく、自然な感じで繋ぐべきだろう。
…………んぁああっ! さりげなく女子と手が繋げる男など、この世に存在するものかっ!
「繋ぎます!」
「えっ!? あ、はい! ……お願いします」
もう、無理なんで、勢いに任せて一気に行く。
体面を気にしている場合ではない。
そう、低体温による生命の危機なのだ。これは人命救助措置だ。人工呼吸がエロくないのと同じように、今ここで手を繋ぐことにおいて一切の邪な感情などあろうはずがない。
人工呼吸では舌を入れても犯罪にならないだろう。ならば、手を繋ぐくらいなんだ!
えぇい! 繋ぐぞっ!
まぶたを閉じるのはさすがに格好悪いので、奥歯を噛み締め、俺はジネットの手を取った。
…………柔らかぁい。
「…………あぅ…………温かい、です……」
「そ、そうか? ……なら、まぁ、よかった……」
ジネットの指を包み込むように手で覆い、再び並んで歩き出す。
あれぇ、おかしいなぁ。さっきまであんなに視界に入り込んできた光の道が、全然認識できないやぁ……俺、今、どこ歩いてるんだ? なんか妙にふわふわしてるんだが……
それからしばらく無言で歩き、気が付くと、俺たちは道の端にたどり着いていた。
西端だ。ここに、木こりギルドの支部と街門が出来る。
そうなれば、この道はもっと多くの人々が行き交う街道になる。
「ここに街門が出来るんですね」
「あぁ。マグダの仕事も楽になるし、人もそれなりに増える。陽だまり亭はますます忙しくなるぞ」
「え?」
驚いた声を上げるジネット。
あ、そうか。言ってなかったっけ。
「街門と大通りを繋ぐこの道は、重要な街道になる。人々の往来が今の何倍……いや、何十倍にもなるだろう。そうすれば、その街道に面した陽だまり亭にもたくさん客がやって来るだろう」
「ヤシロさん。まさか……、そのために街門や木こりギルドさんの誘致を?」
「え、あっと……まぁ…………商売は繁盛した方がいいからな。俺にとっても」
「…………」
なんとなく気恥ずかしくて、ジネットの方を向けなかった。だから、この時ジネットが何を思い、どんな顔をしていたのかは分からなかった。
ただ、俺の手を握るジネットの手に、「きゅっ」と力が込められたのだけは確かだ。
「……ありがとうございます」
風に消されそうな小さな呟きを聞き漏らさなかったのは、奇跡かもしれない。
よかった。喜んでもらえて。
それからまた、二人並んで、無言で、光が照らす夜の道を歩き始める。
今度は、さっきよりも周りが見えている。
じゃりじゃりと土を踏む足音も聞こえている。
「まだ、出店が残っているんですね」
「ん? あ、あぁ。そうだな。片付けは明日だ。明るい方がいいからな。暗いと、危ないし」
ただ、まだ多少緊張しているのか、俺らしくもなく妙に多弁だ。
やっぱ手かな?
手が原因なのかな。
くっそ、なんでこんなぷにぷにしてんだ。毎日水仕事してるのに。
あぁ……もっとこう、思いっきりぷにぷにしたいっ。
もにゅもにゅしたぁーいっ!
……しかし当然出来るわけもなく。
ぷにぷにに触れているにもかかわらずぷにぷに出来ないこのもどかしさよ。
世間的にはマグダの耳より触りやすい部位であるはずなのに、……なぜだ。
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