「では、まずは大きなものから順に下ごしらえしていきましょう」
ジネットの号令とともに、四十二区ガールズの花嫁修業が始まった。
「……これ、結構な時間待たされそう……ですよね?」
ただ一人、俺の隣で花嫁になる気のまったくないシスターが泣き言を漏らしていたが……まぁ、それは無視しておこう。
「あぅっ! …………うぅ、指を切っちゃったです」
「……ロレッタはドジっ子」
「はぅ……面目ないです」
「いいや、ロレッタ! それでいい! そいつは新妻の必須スキルだ! 高ポイントだっ!」
「な、なんか褒められたですよっ!?」
指を切って人差し指を「かぷ」っと咥える……いいねっ!
この際、唾液だとか衛生面だとか、細かいことは言わない! だって新妻だぞ? 唾液だって素敵な調味料さっ!
……まぁ、出来たおかずに「だばぁ~」っと垂らされたらぶっ飛ばすけど。
「理想としては、男の方が『バカだなぁ……大丈夫か?』とか言いながら人差し指を『かぷ』っと舐めてやるのがベストだけどな」
「はぅっ!? そ、そう……なんですか?」
「まぁ、お約束だな」
「ふぅぅ…………で、では……っ、ど、どうぞですっ!」
と、ロレッタが薄く切れた人差し指を差し出してくる。……指先がほんのり濡れている。
……うん。いや、違う違う。
「『新婚の二人なら』そうするべきだという、一つの例だ……今は、違う」
「にょぅっ!? そ、そそ、そうですね!? あたしとお兄ちゃん、新婚さんじゃないですもんね、今は!?」
『今は、違う』の『今は』を拾うな。
意味深になるだろうが。
「よしっ! あたいも切るぞっ!」
「食材をなっ!」
思いっきり指を切ろうとしていたデリア。……お前、その威力で行くと完全に切断されちまうぞ……『あはは、ドジだなぁ』では済まない大惨事になるぞ!?
「……メドラママは、以前このような状況で…………ナイフを壊したっ」
「相変わらずエピソードが濃いな、メドラは!?」
指とナイフが接触してナイフが負けたのか!?
鋼かよ!?
「アタシも、未熟なうちはよく指を切ったさねぇ」
「若い頃の話か?」
「……っ」
おい、デリア。
ノーマがわざわざ『未熟なうち』っつってんだから、それでいいじゃねぇか。
「ま、まぁ。指を切るのは最初のうちさね。その傷も、舐めてりゃ治るさよ」
「ノーマもよく自分で舐めてたのか」
「…………っ」
デリア~。
今の、わざわざ『自分で』って言葉つける必要あったかなぁ?
その時は相手がいたかもしれないだろう?
まぁ、ノーマの反応からして、いなかったんだろうけど。
「ご、ごほん……料理なんてのは、要は慣れさね。やってりゃどんどんうまくなっていくさよ」
「ってことは、ノーマレベルになるには相当時間がかかるんだなぁ」
「デリア、あんたアタシにケンカ売ってんのかぃ!?」
「なんだよぉ? あたいは素直な感想を……!」
「素直な感想だから性質が悪いんさねっ!」
「あの、厨房で暴れるのは危険ですよっ!」
「君たち、どっちも包丁持ってるからねっ!」
睨み合う獣人族を、ジネットとエステラが止めに入る。
本気を出されたら手に負えないな。
しょうがない……
「あ~、早く食べたいなぁ。ノーマの落ち着く味とか、デリアの初挑戦のご飯とか」
「さぁ、店長さん。サクッと作っちまうさよ!」
「そうだぞ。ヤシ……客が待ってんだからなっ!」
「え……あ、はい。では、急ぎましょうか」
「……君らは、まったく…………単純なんだから」
エステラの視線が俺へと向けられる。
……んだよ。
暴れる二人を大人しくさせただけじゃねぇか。そんな『君も大概だけどね』みたいな目で見んじゃねぇよ。
「あの、ヤシロさん」
俺の隣に座り、一連のゴタゴタを静観していたベルティーナが、落ち着いた声で言う。
「『四十秒で作れ』とか、みなさんに言ってみてくださいませんか?」
「『もうちょっと待ってろ』」
「うぅ……ヤシロさんは、たまにとても厳しいです……」
しょんぼりする食いしん坊シスター。
この中で、一番の問題児はお前だからな。こと、食い物に関してはな。
「早くしないと、ヤシロさんとジネットがこの後作る結婚式用の美味しい料理を食べている時間がなくなってしまいますね……そわそわ」
くっ!
こいつ、どこでその情報を!?
つか、そっちもしっかり食う気でいやがるのか!?
「ウェンディさん。作業は順調のようですね」
「はい。お料理って、やってみると楽しいですね」
「うふふ。そうですよね」
ジネットがウェンディに話しかけている。
ウェンディも楽しんでいるようで何よりだ。
「ですが、野菜を切る時は包丁を使いましょうね」
「またちぎってたのかウェンディ!?」
『料理って、やってみると楽しい』とか言うなら、まずは基本を覚えろっ!
「す、すみません英雄様。私、ほんの少しだけ、握力に自信がありまして……」
「いや、自信があるのはいいんだけどさ…………ジネット、教えてやってくれ」
「はい」
まぁ、料理教室だからな。
最初はこんなもんでいいんだろう。
最終的に、それなりの物が作れるようになればな。
「なぁ、店長~」
「はい。なんですかデリアさん?」
「野菜が無くなったんだけど?」
「……細かく、切り過ぎましたね」
「どこまで細かく切ったの!?」
……いくら最初でも、これはない。
誰が野菜を粉にしろっつったか。
「……店長」
「はい。どうしました、マグダさん?」
「……美味しかった」
「食べてんじゃねぇよ!?」
何を満足げな顔をしてんだ!?
「店長さん!」
「は、はい。どうしましたロレッタさん!?」
「何かハプニングが起きてほしいのに、普通に出来ちゃうですっ!」
「それでいいんだよ、ロレッタ!?」
お前は『普通であること』に怯え過ぎだ! いいんだよ、普通で!
普通がいい時だってあるんだ!
「ねぇ、ジネットちゃん」
「あ、はい」
「この包丁、刃先が綺麗だね。……どこで売ってるの?」
「刃物に興味を示すな、このナイフマニア!」
誰か真面目に料理してぇー!
「店長さん。こんな感じでどうかぃねぇ?」
「わぁ! ノーマさん、とても上手です! 完璧な包丁捌きですねっ!」
「さすがノーマだな」
「ふふん。アタシにかかれば、こんなもんさね」
「「「あれで、どうして嫁のもらい手が……」」」
「うっさいよ、そっちの獣っ娘三人っ!」
だから、ノーマ。包丁は振り回すな。な?
そんなこんなでにぎにぎしく、料理教室は数時間に亘って開催された。
途中途中やって来た客(主にウーマロとその関係者)に、試作品を食わせてみたりして、夕暮れが迫る頃には、ウェンディもそれなりの物が作れるようになっていた。
「披露宴で、新婦が作った一品をお出しするというのも面白いかもしれませんね」
「おぉ、それはいいな。少し早く来てもらって、セロンの飯に一つ混ぜておこう」
「えぇっ!? わ、私に出来るでしょうか?」
「出来るようにするよ。ジネットがな」
「はい! 任せてください!」
「では……よろしくお願いします」
結婚式まであと二週間あまり。
四十二区は再び祭りの前の賑わいを見せていた。
ちなみに。
後日セロンから聞いたところによると、ウェンディは料理教室の後、セロンに手料理を振る舞ったらしい。
「ちぎり野菜の炒めもの、とても美味しかったです!」……だ、そうで。
…………ウェンディ。まだ包丁使いきれてないのか。再教育が必要だな。
あぁ、そうそう。もう一つ。
アッスントが――
「ここ数日、野菜ではなくクズ野菜を欲しがる方が増えましてねぇ……ヤシロさん、何したんですか?」
――とか聞いてきたのだが……俺のせいじゃねぇよ。
たぶんな。
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