異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

283話 帰る場所 -1-

公開日時: 2021年7月22日(木) 20:01
文字数:3,704

 目の前にカエルがいる。

 つい先ほどまで人間だった男だ。

 

 カエルは、呆然と何もない空中を見つめ、口を半開きにしている。

 体が縮んだおかげで、首と腰を締めていたベルトは外れ、鎖からは解放されている。

 にもかかわらず、カエルは逃げ出そうとしない。

 

 唐突に訪れた人生の終了に、思考が追いついていない様子だ。

 

「おっと、悪い」

 

 俺が声を出すと、カエルはビクッと体を震わせ、恐る恐る俺を見上げてきた。

 

「ついうっかり、出来心でカエルにしちまったぜ」

 

 そう言って、こちらを見上げる顔を覗き込む。

 

「まぁあれだ。『魔が差した』ってヤツだ」

 

 ヤツが言った動機。

 金を積まれ、魔が差した。

 

 そんなくだらない理由で、他人の人生を滅茶苦茶にしようとしたこいつには相応しい結末だろう。

 

「どうやら俺は、『うまくやった』みたいだな」

 

 言ってやると、カエルの大きな瞳に涙が溢れ、ぼたぼたと音を鳴らして零れ落ちていった。

 

「なに泣いてんだよ」

 

 苛立ちが、声を震わせる。

 

「テメェがやろうとしたことじゃねぇか」

 

 失敗しただけで、テメェが『うまくやっていれば』犠牲者が出ていたところだ。

 未然に防がれたからセーフなんて甘い判定が下されると思ったか?

 

「つい魔が差して――そんな理由でマーシャの人生を台無しにしようとしたテメェが、今さら被害者ぶった顔で泣いてんじゃねぇよ」

 

 世の不幸を一身に背負ったような顔で、めそめそ泣いてんじゃねぇよ!

 

「テメェがこうなったのはテメェの浅慮が招いたことだが、マーシャやマグダ、メドラが被害に遭ったのはあいつらのせいじゃない! あいつらには落ち度なんかなかった! テメェらくだらねぇクソ野郎どもがクソみたいな思考でクソにも劣ることを仕出かした結果だろうが! テメェが被害者を名乗る資格は未来永劫存在しねぇ!」

 

 ぶつける場所が見つからず、振り返って牢屋の鉄格子を蹴りつけた。

 グヮングヮンと、耳障りな音が響く。

 

 もう一度振り返ると、カエルが頭を抱えてうずくまっていた。

 全身はガタガタと震えている。

 

 たしか、カエルにされた人間は人権を剥奪され、何をしても咎められない……だったか?

 仮に俺が今ここでこいつの息の根を止めたとしても、誰も俺を裁くことは出来ない。

 

 ゆっくりとカエルの傍へ近寄り、頭のそばへしゃがみ込む。

 

「もし今、俺がお前を殺したとしよう……」

 

 俺の囁きに、カエルがビクッと体を震わせる。

 

「お前が死んで、お前の雇い主は悲しんでくれると思うか?」

 

 カエルが、動きを止める。

 抱え込んでいた頭を微かに上げ、床をじっと見つめる。

 

「『大切な仲間になにしやがるんだ』と憤り、俺に報復をしてくれると思うか?」

 

 ゆっくりと、カエルがこちらを向く。

 

「……お前の生き方は、そういう寂しい生き方だったんだよ」

 

 その言葉に、カエルが一粒、大粒の涙を零した。

 

 マーシャやメドラ、マグダには悲しんでくれるヤツがいる。

 怒ってくれるヤツがいる。

 困った時に手を差し伸べてくれるヤツがたくさんいる。

 

 

 大切な人間がいるのかどうかで、そいつの人生の価値は大きく変わる。

 

 

 こんな状況になって、ようやく自分が独りぼっちだと気付いてしまうような、この男のような生き方をしていてはいけない。

「つい魔が差した」

「俺は悪くない」

「反省してるから助けてくれ」

 そんな上っ面の言葉しか口に出来ない人間になってはいけない。

 

 あのメドラでさえ間違いを犯した。

 だが、その時にきちんとおのれの非を認め謝罪をした。

 そこが、人間としての器の違いなんだ。

 

 マグダも、マーシャも、エステラやジネット、ベルティーナだって完璧な人間じゃない。

 失敗もするし、他人に迷惑もかける。

 間違うし、迷うし、時にはズルくだってなるだろう。

 

 それでも、その後保身に走るあまりに責任を別の何かに転嫁するような卑怯なことは絶対にしない。

 転んだのを「道が悪いからだ」と当たり散らすような無様は絶対にさらさない。

 

「テメェは、誰か他人の役に立ったことがあるのかよ? 役に立とうと思ったことがあるのか?」

 

 おのれの利益だけを考え、他者を嵌めて、欺き、蹴落として、一時の利益や優越感を得ることを『うまくやった』なんて思っているようなヤツが、一丁前に泣いてんじゃねぇよ。

 テメェは悪人にすらなり切れてないんだ。

「これだけ悪事を働いてりゃ、こんな最期も仕方ない」って言える器でもない。

 

 中途半端に善人ぶって、常識を捨てきれず、人とのつながりへの未練が立ち切れないなら――潔く悪人なんかやめちまえ。

 

「誰かに頭を下げるのも、一所懸命作ったものが評価されないことも、誰かに指を差されて笑われることも、別にカッコ悪いこっちゃねぇよ」

 

 本当にカッコ悪いのはな。

 

「テメェのカッコ悪さを誤魔化すために他人の足を引っ張るヤツが、この世で一番ダセェんだ。二度と忘れないように、その空っぽの頭ん中に刻み込んでおけ」

 

 そう言って、ゴミ箱をカエルの目の前へと差し出す。

 

 きょとんとした顔でゴミ箱を見つめるカエル。

 じぃっと見つめて、そして俺の方へと顔を向ける。

 

 その昔……ってほど前でもないが、この街に来たばかりの頃。俺がまだ陽だまり亭に住み着く前で、なんならジネットの名前すら知らなかったくらいの時期。

 

 俺はカンタルチカである情報を得ていた。

 

 ゴッフレードって取り立て屋が、泣きすがる男をカエルにしたのを目撃した直後。

 人がカエルに変わる様を見て、明日は我が身かと震え上がり、駆け込んだカンタルチカの中でパウラに教えてもらった。

 

 あの情報が本当かどうか、俺はずっと確かめてみたいと思っていたのだ。

 なかなかそのチャンスが訪れなかっただけで、いつかは確認をしなければと思っていた。

 

 いざという時、かなり強力な切り札になるであろうその『噂』が事実かどうか。

 

 あの時は、『嘘を吐くとカエルにされる』って事実が強烈過ぎてその後で聞いた情報の印象が薄くなっていたのだ。

 だがパウラははっきりと言っていた。

 

 俺がした、「カエルになった人間は、もう二度と元の姿には戻れないのか?」という質問に対し、「戻るには、反故にした約束を果たす必要があるんだって」と。

 

 そう。

 

 

 カエルになった後で、人間に戻ることが可能なのだと。

 

 

 だが、試すことは出来なかった。

 それがあくまで噂でしかなかったら。カエルになったまま元に戻れなかったら。

 そう思うと、気軽に誰かをカエルにすることも、実験だと割り切って自分がカエルになることも出来なかった。

 

 だが、今。お誂え向きな悪党が現れた。

 目の前で野垂れ死のうが心がまったく痛まない、真正のクズ野郎。

 この実験が成功しようが失敗しようが、俺の心には細波すら起こらない。

 

 まぁもし、元の姿に戻れたのなら……

 

「次の生は、もう少しまっとうに生きるこったな」

 

 もう一度、ゴミ箱をカエルの前へと突き出す。

 カエルは、俺を見つめたまま、涙に瞳を潤ませて、そっと……串をゴミ箱へ捨てた。

 

 

 その瞬間、『会話記録カンバセーション・レコード』が立ち上がり、目の前に半透明のパネルが浮かび上がる。

 そこには短く、こんな一文が表示されていた。

 

 

 

 

『許せるのか?』

 

 

 

 

 不思議な疑問文だ。

「許しますか?」ではなく、「許せるのか?」。

 まるで、こちらの度量を試されているような文章だ。

 

 嘘を吐いた者を、本当にお前は許せるのか?

 

 そんな問いに、ほんの少しだけこの街で嘘を吐くということがどういうことなのか、理解が出来そうな気がした。

 もっとも、出来そうな気がしただけで、理解できたわけではないのだが。

 

 

 表示された問いに、俺は明確に回答する。

 

「あぁ。許してやらぁ」

 

 その瞬間、眩い光が世界を包み、思わずまぶたを閉じてしまった。

 まぶたの向こうで光が消えたのが分かり、再び目を開けると、そこには全裸の男が蹲り、ゴミ箱を抱えて号泣している姿があった。

 

「ありがど……ぁでぃが……どぅ……おれ……おれ、もぅ終わりかと…………うぅうぐぅ……っ!」

 

 憚ることなく泣きじゃくり、見当違いな「ありがとう」を繰り返す。

 ゴロツキに感謝されても嬉しくともなんともない。

 

 ただ、ゴロツキを返上するってんなら、まぁ、感謝を受け取ってやるくらいはしてやるさ。もっとも、返上した後でな。

 

「後日、領主から刑が科せられるだろう」

「あぁ……なんだってする……今度は本当だ! 俺は……生まれ変わるっ!」

「……勝手にしろ」

 

 だったら決して忘れないことだな。

 

 テメェが「魔が差して」やろうとしたことは、今俺がテメェにやったこと以上に最低な行為だったってことをな。

 

 素っ裸で泣きじゃくる男を見下ろしていても、楽しくない。

 俺は牢屋を出て、しっかりと施錠し、その場を離れた。

 

「ヤシロ」


 牢屋の中からは見えないテーブルの位置まで来ると、エステラが俺を迎えてくれた。

 バカだな、こいつ。

 なに泣きそうになってんだよ。


 エステラは涙の膜が張る瞳を緩やかに細めて、腕を伸ばす。

 エステラのしなやかな指先が俺の頬を撫で、耳に触れる。

 それだけで、ティーカップの中で溶ける角砂糖のように俺の中の何かがほどけていって……


 とすっ……と。

 エステラの肩に額を落とした。

 お嬢様モードの時とは違う、飾らない、いつものエステラの香りがした。


 後頭部の髪を、そっと撫でられる。


 ほんの少しだけ……

 ほんの短い時間だけ、俺はそうしてエステラの温かさに身を委ねていた。

 

 

 

 

 

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート