四十二区に戻ったのは、とっぷりと日が暮れた後だった。
「マグダ~、ちょっと手伝ってくれ~!」
「……なに?」
ドアを開けてマグダを呼び出す。
ルシアのとこの馬車が陽だまり亭の庭に横付けされている。ここから豆を運び出してほしいのだ。
「すまんが、これを運んでくれないか……俺はもう、見るのも嫌なんだ」
くっそ、この豆どもめ……馬車が揺れる度に豆臭さを放ちやがって…………
「……買い付け?」
「押し売りだよ」
「……そう」
深くは聞かず、『二十九区』という烙印が押された木箱をひょいひょいと持ち上げる。
軽々とまぁ……
当然といえば当然だが、二十九区で関税を取られたこれらの豆は、『BU』内の他の区を通過しても関税をかけられることはなかった。烙印があれば通過できるらしい。
なら、あの木箱を使い回せば……と、思ったのだが、烙印にはご丁寧に日付までもが入っていた。日本で見たデータ印みたいな作りだった。もっとも、こっちは金具を組み合わせて高温で熱するんだけどな。
「お兄ちゃん、お帰りなさいです」
「あれ、ロレッタ。まだいたのか?」
「今日はお泊まりしていくです」
いつもなら、閉店作業も終え、ロレッタは帰っている時間だ。
「もし万が一、お兄ちゃんが遅くなることがあったら、あたしが店長さんとマグダっちょを守らなきゃと思ったですっ!」
えへんと、鼻息を盛大に漏らして胸を張る。
長らくエステラとルシアがそばにいたからお前の胸が大きく見えるよ。
あ、いやでも、ナタリアとギルベルタも同じだけ一緒にいたから、それと比べれば小さいか。
「まぁ、間を取って普通だな」
「なんですか!? 帰って早々悪口ですか!? あたし普通じゃないです!」
きゃいきゃい騒ぐロレッタに、小袋に入ったピーナッツを渡す。
ぶーぶー文句を言いながらも、ロレッタが豆を店内へと運んでいく。
「それじゃあ、私たちはこれで」
豆を全部降ろしたところで、御者が二人揃って頭を下げる。
大型の馬車を長い距離、事故を起こさず移動させるには、交代要員が必要になる。万が一にも御者がダウンして移動できない、なんてことがあっては困るからな。
そんなわけで、馬車を見送り店に入ろうとしたところで――
「おかえりなさい。ヤシロさん」
ジネットが出迎えに出てきた。
手が濡れており、今の今まで厨房で作業していたのだとハッキリ分かる。
「すみません。遅くなりまして」
「いや、別に出迎えとかしなくていいからな? 仕事中なんだし」
「でも。やっぱり、無事に帰ってきた姿を早く見たいですから」
微笑み、嬉しそうにそんなことを言う。
……俺を照れさせてどうする気だよ。おだてても何も出んぞ。
「今日は、お土産がたくさんですね」
満面の笑顔を振りまくジネットとは対照的に、俺の顔からは表情が抜け落ちていく。
……思い出させるなよ、それを。
「『BU』に行く度にこういう目に遭うらしい」
「そうなんですか? すごいですね」
「もらいものじゃなくて、押し売りされたものだ。喜ばなくていい」
「いえ。遠い区の物が手に入るのは、やはり嬉しいですよ」
こいつは……俺のネガティブをことごとくポジティブに修正しやがる。
何がそんなに嬉しいんだか。豆だぞ豆。
ぽりぽりみんなで齧って「楽しいですね~」とか言うつもりか?
……言いそうだな、ジネットなら。
「さすがに量が多いからな。少し加工品を作ってみようと思うんだ」
「新しいお料理ですかっ!?」
物っ凄い食いついてきたっ!?
こいつら、俺が作る料理を特別なものと勘違いしてんじゃねぇのか?
日本じゃ、そこらのスーパーで手に入るようなありふれたものくらいしか作れねぇぞ、俺は。
「料理というか、調味料みたいなものだ」
「調味料?」
首をこてんと傾けた後、急に「ぱぁあ……っ!」と顔を輝かせる。
そして、とっておきの秘密を打ち明けるような、わくわくした表情で俺に手招きをする。
「実はですね、今日、とっても美味しい調味料をいただいたんです」
「いただいた? 誰に?」
「アッスントさんです」
「『売っていただいた』だな」
「はい。代金はお支払いしました」
いただいたとは言わねぇよ、それ。
「今まで食べたこともないような調味料でしたので、是非ヤシロさんにも食べていただきたいんです!」
昇りつめたテンションそのままに、ジネットは俺の手を両手でしっかりと掴み、店内へと引っ張り込む。
早く早くと急かす子供のような笑みを浮かべている。よほど美味しかったのか…………いや、この顔は、最近ちょいちょい顔を覗かせるようになった「イタズラ顔」だな。
ジネットは何かを企んでいる。
もっとも、くっだらない企みなんだろうが。……激辛調味料とか、そんなところだろう。
店内に入ると、豆の木箱が積み上げられ、その上に小袋が載っていた。
エステラとナタリア、ルシアとギルベルタ、そして俺の分。要するに、『BU』で押しつけられた豆を全部引き取ってきたわけだ。
…………はぁ。見ているだけで胃がもたれる。
「ヤシロさん。これです!」
俺をフロアに残し、厨房へと駆けていったジネットが、中瓶に入った調味料を持って戻ってくる。
しっかりと密閉されたその瓶の中には、とろりとしたオリーブ色の液体――オリーブオイルらしきものの中に赤い獅子唐が入っていた。
「ピカンテオイルか」
「――っ!?」
瓶を持っていたジネットの両肩が跳ねる。
「……ご、ご存知だったんですか?」
「いや、まぁ、故郷で見たことがあってな」
イタリアンレストランに行くとよく出てくるヤツだ。
タバスコみたいな感覚で使っていたな。
「す、すみませんっ、ヤシロさんが辛くてビックリするところを見てみたくて、このようなイタズラを……っ!」
「いや、いい! いい!」
そんなに反省されるようなことでもない。むしろジネットがこういうイタズラを画策するようになったのは、それだけ現在の生活にゆとりがある証拠だとも言えていい傾向だと思っている。
「それくらいのイタズラはむしろ大歓迎だよ」
「そうなんですか?」
「あぁ。そうだ」
食堂内の空気がまるで違うのだ、ジネットに笑顔がある時とない時では。
数日前のような、悩みに笑顔が曇っているのはあまり好ましくない。
笑っていてくれた方が、こっちも安心できるというものだ。
客だってみんなそう思っているだろう。
「ジネットの笑顔を見ると、楽しい気分になれるからな」
「ふぇっ!?」
素っ頓狂な声を上げて、手に持ったピカンテオイルの中瓶をぽろりと落とす。
――危ねぇっ!? ……ビックリしたぁ……よくキャッチ出来たな、俺。
「わ、わたしの笑顔で、ヤシロさんは楽しい気分になれるんですか?」
ん?
いや、『俺が』というか、『みんなが』なんだが……
「で、ではっ、これからもずっと笑顔でいられるよう頑張りますね! イタズラもいっぱいします!」
「いや、いっぱいはしなくていいから!」
「大歓迎されましたので、たくさん考えておきますっ!」
元気に言って、ジネットは厨房へと駆けていく。
「パイオツカイデー」なんて言葉を呟きながら。……あいつはどこへ行ってしまうのだろう。
つか、これから豆の加工品を作りたかったんだが……
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