異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】揺れる炎を見つめながら

公開日時: 2020年11月27日(金) 20:01
文字数:4,092

 イメルダさんとハビエルさんが帰られた後、ヤシロさんはずっとテーブルに突っ伏したまま何かを考えているようでした。

 お茶をお出ししても、心は落ち着かなかったようです。

 

 きっとまた、何か大変なことを抱えて、それをなんとかしようと一人で悩んでいるのでしょう。

 力になりたい。

 けれど、ヤシロさんにはヤシロさんのやり方やタイミングというものがあります。

 下手に口を出しても煩わせてしまうだけになりかねません。

 

 わたしに、何か出来ることがあればいいのですが。

 

 そういえば、わたしがまだ小さかった頃、お料理が全然上達せず悩んでいた時に、お祖父さんはずっとそばにいてくれました。何を言うわけでもなく、ただ黙ってわたしのそばにいてくれました。

 それだけで、わたしは一人じゃないんだなって、心強く思えたものです。

 

 わたしが、ヤシロさんにとってそのような存在になれればいいのですが……

 

 それから少しお話をして、彫刻を勧めてみたりしたのですが、ヤシロさんは乗り気ではない様子でした。

 少し残念です。ヤシロさんが作った物なら、きっと素敵なものになると思ったのですが。

 

「ジネット、お前さぁ」

「はい、なんですか?」

「どこかに出かけたいとか、そういう欲はないのか?」

「外に、ですか?」

 

 不意にそんなことを言われ、わたしは少し自分を顧みました。

 お出かけは、確かに好きです。

 晴れた日にお散歩したり、仲良くしてくださる方にご挨拶に伺ったり。

 けれど、やっぱり。

 

「わたしは、このお店でいろんな方にお会いできるのが嬉しいですし、楽しいですよ」

 

 以前よりも多くの方が来てくださるようになった陽だまり亭。

 ここ最近は、この場所で笑顔を見ない日がないほどです。

 楽しげな声が聞こえてきて、人のぬくもりを感じられて。

 わたしは毎日がとても楽しいです。

 

 それに、いつもそばに、ヤシロさんがいてくださいますし。

 

 ……えへへ。

 少し照れますね、そんなことを考えてしまうなんて。

 

 なので、わたしはとても満たされています。

 わたしなんかよりも、ヤシロさんにこそ息抜きが必要だと思います。

 ここ最近は、本当に忙しく動き回られていましたし。

 

「息抜きといえば」

 

 疲れたヤシロさんに、是非試していただきたいことを思い出し、わたしは手を打ちました。

 ベッコさんが持ってきてくださったキャンドルがとても綺麗で、ほのかにはちみつの香りがするとマグダさんやロレッタさんと話をしていたんです。

 揺らめく炎を見ていると、なんだか心が落ち着く気がして、おまけにはちみつのほのかに甘い香りが漂ってきて、三人で「癒されますね~」って言っていたんです。

 

 是非ヤシロさんにも試してほしい。

 そんな思いで話をすると、「炎のように不規則にゆらゆら動くものを見ると、人間は落ち着くもんなんだよ」と、教えてくださいました。

 やっぱり、そうだったんですね。

 ふふ、ヤシロさんは相変わらず物知りさんです。

 

「では、今ここで少し灯してみましょうか?」

「ん?」

「ヤシロさん、少しお疲れのようですから」

 

 ヤシロさんのお墨付きをいただいたのですから、きっとヤシロさんにも効果があるはずです。

 疲れた心が少しでも癒されるように、いくつかあるキャンドルの中から最も香りのいいものを選びました。

 テーブルに座り、向かい合うわたしとヤシロさんの間にキャンドルを置きました。

 火を灯すと、ふわりと甘い香りが立ち昇りました。

 

 薄暗くなり始めた店内に柔らかい灯りが満ちて、ゆらゆらと影が揺れていました。

 とても静かで、とても穏やかな時間が流れていきます。

 

 しばらくの間、揺れる炎を眺めていました。

 

 今、ヤシロさんは何を考えているのでしょう。

 そんなことを思いながら、ふと、お祖父さんがたくさんロウソクを作ってくれていたことを思い出しました。

 丹念に精製され、臭みの一切ない綺麗なロウソクです。

 お祖父さんのロウソクもとても綺麗なので、いつかまたこうしてヤシロさんと二人で眺められるといいなと、そんなことを思いました。

 

 ふと視線を上げると、炎をじっと見つめているヤシロさんの顔が、ほんの少しだけお祖父さんと重なって見えました。

 全然似ていないのに、ふとした拍子に印象がダブって見えるんです。

 優し気な眼差しや、気難しそうに考え込んでいる口元なんかが。

 ……ふふ、また怒られるでしょうか? 「誰が年寄りだ」と。

 

 難しい顔をされていますね。

 ヤシロさん。今、何を考えていますか?

 また、誰かを幸せにするための方法を考えているんですか?

 

 それは、とてもヤシロさんらしくて素敵なことだと思いますけれど、でもどうか忘れないでくださいね。ご自分が幸せになることを。

 ヤシロさんはご存じなんですか?

 

 どうすれば、ヤシロさんが幸せになれるのかを。その方法を。

 

 そんなことを聞けば、優しいヤシロさんは困ってしまうでしょうね。

 いつも自分のことは後回しで、周りの方の――わたしやみなさんのために行動してくださる方ですから。

 ヤシロさんの周りにいるみんなが幸せになることが何よりも嬉しい――そんな方なのかもしれませんね、ヤシロさんは。

 なら、これだけは忘れないでくださいね。

 

 

 ヤシロさんがそばにいてくださるから、わたしは今、とても幸せですよ。

 

 

 いただいた分と同じだけの幸せを、わたしはあなたに返したいです。

 わたしに出来ることであれば、なんだって、どんな方法でだって構いません。

 

 こんなにもよくしてくださるヤシロさんに、わたしは一体、何が返せるというのでしょうか。

 

「ヤシロさんは……」

 

 わたしに何かしてほしいことはありませんか?

 そんな押しつけがましい言葉は飲み込んで、今いただいている厚意に対する感謝を述べましょう。

 

「陽だまり亭を繁盛させるために、頑張ってくださっているんですよね」

 

 その事実を受け止め、きちんと感謝し、そして徐々にでも恩返しをしていきたい。

 そうお伝えしようと思ったのですが……

 

「まぁ…………約束、したからな」

 

 そんな言葉が出てきて、目を丸くしてしまいました。

 

「覚えていてくださったんですか?」

「当然だろう……俺が言い出したことだ」

「……そうですね。でも、嬉しいです」

 

 ヤシロさんが陽だまり亭に来た当初、そう言ってくださいました。

 それは決意表明というより、意気込みのようなものだと思っていました。

 一緒に頑張りましょうという意味合いの、もっと軽いものだと。

 

 それなのに、ヤシロさんはあの言葉をちゃんと覚えていて、そしてそのための努力を今に至るまで実直に続けてくださっていたんですね。

 

 なんだか、とてもヤシロさんらしいです。

 もう、そのお気持ちだけで十分です。

 

「ヤシロさんのおかげで、陽だまり亭は以前よりずっとずっと、お客さんが来てくださるようになりましたよ」

「祖父さんがいた時と比べると、どうだ?」

「……それは…………」

 

 お祖父さんがいたころの陽だまり亭は、毎日多くのお客さんで溢れ、朝から晩まで笑顔が絶えない、そんなお店でした。

 けれど、それはお祖父さんがいたから出来たことであって、わたしの力では……

 

 

「じゃあ、まだまだだな。陽だまり亭はまだまだ繁盛できる」

 

 

 わたしの思考を遮るように、ヤシロさんの言葉がすっと胸の奥に沁み込んできました。

 まだまだ……

 今ですら、こんなにも幸せな気持ちになれているのに、まだまだ、なんですか?

 

 あの頃のように――

 お祖父さんがいたころのような陽だまり亭に、追いつけると、ヤシロさんは思っているんですね。

 

「不思議ですね……」

「ん?」

 

 自分の中の『あたりまえ』が、どんどんと書き換えられていくようです。

 

「ヤシロさんがそう言うと……」

 

 お祖父さんがいたころの陽だまり亭。

 遠い過去のものだと思っていた、二度と見ることが敵わないと諦めかけていた、あの賑やかで楽しい空間に、わたしたちの陽だまり亭が追いつける――

 

「本当にそうなりそうな気がします」

 

 ヤシロさんがいれば、きっと。

 

 

 わたしたちなら、きっと。

 

 

 

 ――と、そんなことを考えてしまった瞬間、ヤシロさんと目が合ってしまって……一瞬で顔が熱くなりました。

 だ、大丈夫です。

 揺らめく炎は赤いですから。

 わたしの顔が真っ赤に染まっていることは、バレていないはずです。

 

 とはいえ、ヤシロさんのお顔を見つめているのは恥ずかしさが増してしまうので視線を逸らします。

 浮ついた心を誤魔化すようにキャンドルの炎を見つめていると、不意に「……ふむ」というヤシロさんの声が聞こえました。

 

「どうかしましたか、ヤシロさん」

「やってみる価値はあるかもしれんな……」

 

 独り言のように呟いて、こちらに真剣な瞳が向きました。

 

「ジネット、協力してほしいことがある」

「はい。なんでも言ってください」

 

 その瞳が、あまりにもキラキラしていて、わたしの胸は知らず高鳴っていました。

 この次にどんな言葉が出て来るのか、そんな期待を寄せてヤシロさんを見つめ返します。

 

「お祭りをやるぞ」

「……おまつり?」

 

 祭事のこと、でしょうが、一体どのようなことをするつもりなのでしょうか。

 説明を待ちましたが、ヤシロさんは一人であれこれと思案を始めたようで、言葉は続きませんでした。

 

 けれども、自然と口角が持ち上がり、瞳はいたずらを計画する少年のようにきらめき始めて――

 

「くす……」

 

 思わず笑ってしまいました。

 

「どうした?」

「いえ……ヤシロさんがまた、アノ顔をされていたもので」

 

 先ほどまでの疲れた様子も、悩みに刻まれた眉間のシワも、今はすっかり影を潜めています。

 ヤシロさんの顔に浮かんでいるのは、『これから楽しいことをするぞ』という頼もしい笑みだけです。

 

「ヤシロさんがその顔をされたということは、もう何も心配はいりませんね」

 

「そんな思い込みと決めつけはするんじゃない」と、ヤシロさんは嫌そうにおっしゃいますが、わたしは期待を抑えることが出来ません。

 だって、他でもないヤシロさん自身が楽しそうな顔をされているのですから。

 

「では、わたしは、うまくいくかどうかを楽しみにしておきますね」

 

 本当に本当に楽しみで、頬が自然と緩んでしまうわたしを見て、ヤシロさんは「勝手にしろ……」と呟きくしゃくしゃと頭をかきました。

 

 そんな顔も好きだなぁ~と、わたしは揺れるキャンドルの炎越しにまた笑ったのでした。

 

 

 

 

 

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