ベルティーナを教会の前まで送り、帰る前にふと気になったことを尋ねてみた。
「ベルティーナは、誰かを嫌いになったことはないのか?」
「嫌いに、ですか?」
「怨むまではいかなくても、『こいつの顔を見たくないな』とか」
幼い頃には、それくらいの感情を抱いたりもするものだろう。
いや、幼い頃よりももう少し成長して多感な時期になればそんな相手の一人や二人は現れるはずだ。
大人になった後だって、反りが合わない相手はいるはずだ。
苦手な相手や、理解の及ばない相手がいるはずだ。
中には、あきれ果てて軽蔑してしまうようなどうしようもないヤツだっていただろう。
ベルティーナほど長い時間を生き、多くの者と触れ合いながら生きてきた者なら、相容れない人物の一人や二人くらいは――
「思い当たりませんね」
「一人もか?」
「そうですね。幼少期の、記憶が定かではない時期のことまでは明言できませんけれども」
「いや、なにもそんな昔まで遡らなくても――」
「そんなに昔までは遡っていませんよ?」
おぉう……今、俺が嫌われたんじゃないだろうか?
笑顔が素敵におっかないぞ、ベルティーナ。
「怒ることはあります。ですが、だからといって嫌いという感情には繋がりません」
「かといって、誰でも彼でも好きではいられないだろう?」
「信用しないというのと嫌いという感情は同じではないでしょう? 私も、警戒心くらいは持っているんですよ?」
よく知らない相手のことは信用しないが、それが『嫌い』かと言われると……まぁ違うか。
「嫌いにならないようにしてるのか?」
「いえ。普通に付き合っていれば、その人のいいところが見えてくるでしょう? そういう部分を好きになる方が楽しいなと思っているだけです」
なるほどな。
この発想が、ジネットにも受け継がれてるわけだ。
「ヤシロさんはいるのですか? 嫌いな方が」
「数え切れないくらいにな」
「うふふ。では、今度人を嫌う練習に付き合ってもらいましょうか。嫌いだという感情を少しだけ味わってみたくなりました」
そんなことを嬉しそうに言う。
きっと無理だろう、お前が誰かを嫌いになるのは。
精々「悲しいなぁ」とか「残念だなぁ」ってところで止まるさ。やらんでも分かる。
「では」と頭を下げ、パーティーに参加できなかったガキたちの分のケーキを抱えてベルティーナは教会へと入っていく。
ベルティーナが教会に入るや否や、ガキの嬉しそうな声が外にまで聞こえてきた。
こんな時間にケーキ食って、虫歯になっても知らねぇぞ。
踵を返し、陽だまり亭に戻ろうとした時、談話室の窓が開く音がして、そこから大音量のガキの声が飛んできた。
「にーちゃん、ケーキありがとー!」
「「「ありがとー!」」」
談話室の窓にずらりと並ぶガキの顔、顔、顔。
どいつもこいつもにこにこと嬉しそうに、悪党の俺を見てやがる。
全員のデコに『警戒心』という言葉を書いてやりたい気分だ。
「ジネットに言えー!」
「うんー! 明日言うー!」
代表して、最年長のガキが言って、他のちんまいガキどもは嬉しそうに両手を振っている。
お前らの前にいるのは、今日、一人の人間をカエルにした男なんだぞ。
もっと怖がれっての。
そして、嬉しそうなガキどもの後ろから、そっとベルティーナが顔を覗かせて、幸せそうに微笑んでいた。
頬っぺたに生クリームを付けて。
「そこにつまみ食いの犯人がいるぞ!」
「シスターずるーい! あとでって言ったのにー!」
「うふふ。バレてしまいましたね」
「ケーキ食べるー!」
「ケーキー!」
「ぅははーい!」
だ~れもつまみ食いを責めやしない。
ここで育てば、誰かを嫌ってる暇なんかないのかもなぁ。
ケーキに釣られたガキどもが窓辺から散っていくのを見届けて、最後までこちらを向いていたベルティーナに片手を上げて挨拶しておく。
陽だまり亭に帰ったらチクってやろう。ベルティーナがガキどものケーキをつまみ食いしたって。
まぁ、あのケーキは自分の分なんだろうけど。
……パーティーで散々食ってたはずなんだけどなぁ。
明るい夜道を歩きながら、昔はこの辺にも人が住んでいたのかなぁなんてことを考えた。
豪雪期の時にジネットがチラリと言っていた。
昔はこの辺にも人が住んでいたのだと。
ついでに、その辺のことも聞いておけばよかった。
なんとなく、ジネットには聞きにくいというか、聞かない方がよさそうな感じだしな。
ま、大方稼げなくなって移動したんだろう。
四十区で農業を始めるために引っ越していったアリクイ兄弟の家族のように。
昔の四十二区は、貧富の差が激しかった……というか、貧し過ぎたんだろうな。
西側なんかなんもなかったもんな。
川があるからデリアたちはいたけれど、モーマットの畑も外壁側は放置されていた。
やっぱり、関係あるのかね。
湿地帯に近いってことが。
人が好んで住むような環境ではなかったのだろう。
今では木こりギルドの支部が出来て、そこのお嬢様が毎日楽しそうに暮らしている。世の中どうなるか分からんよな。
わざわざ風呂に入りに来るリカルドやハビエルなんかもいる。
西側も、これからまた変わっていくのだろう。もっと賑やかに。もっとやかましく。
「……やかましいのは、勘弁してもらいたいけどな」
そんな呟きが口から漏れたころ、陽だまり亭へとたどり着いた。
陽だまり亭はずっとここに建ち、この街の変遷を眺めてきたのだろう。
どっしりと構えるその様は、どこか頼もしくすらあった。
入口へ回れば、中から賑やかな声が聞こえてくる。
「どうして『一口ちょうだい』で上のイチゴを取るんさね!?」
「だって、美味しいからさぁ」
「美味しいからこそ遠慮するのがマナーさよ!」
「でもノーマよりあたいの方がイチゴ好きだぞ、たぶん」
「バカも休み休みお言いな! アタシがどれだけイチゴ好きか……三日三晩語り聞かせてやろうかぃ!?」
たぶん、陽だまり亭史上、今が一番騒がしいんだろうな。
「なに騒いでんだよ」
「あ、ヤシロさん」
ドアを開けて中へ入ると、ジネットがこちらへ駆けてくる。
「外まで聞こえてたぞ」
「聞いとくれな、ヤシロ! デリアが酷いんさよ!」
「なんだよぉ! 一口くれるって言ったじゃねぇかよぉ!」
「イチゴは一口に含まれないんさよ!?」
「あぁ、もう。ジネット、ノーマに新しいケーキを出してやってくれ。俺の奢りでいいから」
「では、わたしがご馳走しますね」
「店長もヤシロも、ノーマに甘過ぎじゃねぇか?」
「あんたの不始末さよ!? むしろ、あんたを甘やかし過ぎてるってクレーム入れたいさね!」
デリアとノーマはよく言い争っているが、その実とても仲がいい。
阿吽の呼吸(ノーマがデリアに合わせている)や、アイコンタクト(ノーマがデリアの言いたいことを察してやっている)など、高水準な連携を見せることも多い。
「……ジネット。ノーマにプリンアラモードも付けてあげて」
なんか、苦労を押しつけちゃってごめんね。
ホントごめんね。
「ヤシロ、あたいもプリン食べたい」
「太ればいいんさね」
「ん? あたい太らないぞ?」
「若いうちだけさよ、そんなことを言っていられるのも!」
「へぇ、ノーマくらいの年齢になると変わるのか」
「あんたとは…………そんな、変わんないさよ」
果たして『そんな変わんない』とは何歳くらいまで適用されるのか。
ただ、デリアより年上なのは確実、と……
よし、今度デリアに年齢を聞いてみよう。
「デリア。ヤシロに年齢を教えるんじゃないさよ」
「え、なんでだ?」
「約束するなら、アタシのプリンアラモードあげるさね」
「約束する!」
くっ。
先手を打たれてしまった……!
そして魔神がこっちを見てる。
めっちゃ見てる。
「まぁ、今日は二人とも好きなだけ食べてくれ」
さりげない笑顔で誤魔化しておく。
ノーマの視線が一向に俺から離れていかないけれども。
笑ぅとけ笑ぅとけ。
笑ってりゃ誤魔化せるさ。
デリアとノーマは暴漢の撃退と、その後の対応で世話になったので「今日はスペシャルサービスです」と店長が無料ご招待したのだそうだ。
スペシャルサービスじゃない時でも、結構タダ飯食ってないか、こいつら?
いや、いいんだけどさ。
「随分とスッキリした顔になったね」
イチゴのショートケーキの乗った皿を手に、エステラが俺の前まで歩いてくる。
……置いてこいよ、意地汚いヤツだな。
「ほにゃあ!? 誰です、あたしのケーキのイチゴ食べたの!?」
「……残っていたから、いらないのかと思って」
「ちょっとお手洗いに行っただけですよ!?」
「…………にゃは☆」
「その笑顔で誤魔化せるのはウーマロさんとハビエルさんだけですからね!?」
なるほど。
席を離れるとあぁいう目に遭うのか。
……あ、マグダが自分のイチゴをロレッタにやってる。
なんだよ。ちょっと構ってほしかっただけなんじゃねぇか。
「それで、お前はそのイチゴを俺に取れってネタ振りしてんのか?」
「違うよ!? 絶対あげないからね!」
ケーキを体の陰に隠して威嚇してくるエステラ。
これがこの区の領主だってんだからなぁ……
「シスターとどんな話をしたんだい?」
「おっぱいの話はさほどしてないな」
「それじゃない話題を聞いているんだよ」
ケーキの上のイチゴをフォークで刺して、それで俺を指す。
食うぞ、イチゴ。
「ま、大した話じゃねぇよ」
ありがたい説法をちょっとな。
……あ、そうだ。
「ベルティーナと話したことじゃないんだが、聞きたいことがあったんだよな」
「なんだい?」
エステラなら詳しく知っているかもしれない。
西側が寂れる前のことを。
ちらりと窺い見れば、ジネットは新しいケーキを取りに厨房へ入るところだった。
近くでは相変わらずデリアとノーマがじゃれ合っているが、ジネットの耳にさえ入らなければ問題ないだろう。
「昔はこの付近にも民家がたくさんあったんだろ? どう――」
どうしてそいつらはいなくなっちまったんだ?
そう聞こうとした俺の口が、エステラの突き出したイチゴによって塞がれた。
「……その話は、ここではなしだ」
俺を見るエステラの瞳は、寂しそうに揺らめいていた。
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