昼間だというのに、カーテンが閉めきられた応接室。
「給仕長。暗いですわ。カーテンを開けなさいませ」
ワタクシはそばに控える給仕長にそう命じますが、給仕長は静かに首を横に振るのみ。
「パーティーの準備が行われておりますので、庭が見えないようにせよとご命令を受けております」
主であるワタクシよりも優先すべき命令があるというのですか?
なんということでしょう。
外からは会場の準備をする賑やかな音が聞こえてきているというのに、ワタクシは今日一日館を出ることも、バルコニーに出ることも、窓の外を見ることすら禁止されているのです。
ワタクシの館で、ですわよ?
ワタクシが主ですのに、ですわよ?
「あり得ませんわ!」
ここはワタクシ、イメルダ・ハビエルの館なのです。
主たるワタクシの命令が通らないなど、考えられないことですわ。
「給仕長、カーテンを開けなさいまし!」
きつく命令すれば、給仕長は神妙な面持ちでカーテンのそばへと移動します。
そうですわ。最初からワタクシの言うことを聞いていればよろしかったのですわ。
「今、カーテンを開けることでイメルダ様の驚きが減り、折角用意してくださったパーティーが盛り上がりに欠ける中途半端なものとなり、ヤシロ様や他の皆様から生温かい目で今後最低半年間は見られ続けることになることが容易に想像できますが、お嬢様のご命令とあれば逆らえません。カーテンを開けます」
「お待ちなさいましっ!」
ダッシュで駆け寄り、給仕長の腕を捕まえましたわ。
「カーテンを開けるのはおやめなさいまし」
「かしこまりました」
慇懃に礼をして、給仕長が定位置へと戻っていく。
大体いつも、ワタクシが座るソファの斜め後ろ付近に立っている給仕長。
今も、寸分違わず同じ場所に戻り、同じ姿勢で立っていますわ。
目印でもつけてあるのでしょうか?
ともあれ、ヤシロさんたちの努力を無駄にするのは心苦しいので、仕方なく我慢して差し上げることにいたしましょう。
「それにしても、この薄暗い雰囲気だけはなんとかなりませんこと?」
「でしたら、この薄暗さを逆に利用して楽しんでみてはいかがでしょうか?」
暇を持て余すワタクシに、給仕長が楽しい催し物の提案をするようですわ。
聞いて差し上げましょう。
面白い提案であれば、給仕長は給金アップの上に特別褒章を考えて差し上げますわ。
「この館にまつわる怪談百物語を語りましょう……」
「却下ですわ!」
何を言い出すのでしょう、この給仕長は!?
減給の上、何か罰則を与えなければいけませんわね!?
「夜、一人でお手洗いに行けなくなったらどうしますの!?」
「現在でも、お嬢様は夜中のお手洗いへはお一人で行かれておりません」
「それは、行けないのではなく行かないのですわ!」
淑女たるもの、いついかなる時もおのれの身を守る必要があるのですわ!
夜間に暴漢が忍び込んでこないとも限りませんもの!
そういう理由からですわ!
「そもそも、我が館には百もの怪談などございませんわ。新築ですのよ?」
「第一の怪異……寝ぼけて割と激しめのダンスを踊るお嬢様……」
「それは怪異ではありませんわ!? ……そんなことしていますの、ワタクシ!?」
一切、身に覚えがありませんのですけれど……?
「第二の怪異……お嬢様の『ワタクシのパンツはこめかみの次にパイナップルですわ』という、謎の寝言……」
「それも怪異ではありま……本当の話ですの!? 盛ってませんこと!?」
「第三の怪異……」
「もうよろしいですわ!」
とりあえず、就寝時の見張りから給仕長を外しますわ。
えぇ、今夜から、即。
「家にいても退屈ですわね。ワタクシ、少々表を散歩してまいりますわ」
「お嬢様。もしそのようなことをお嬢様が申された場合、このように返答するようにと、ヤシロ様からマニュアルをお預かりしております。音読してもよろしいでしょうか?」
ヤシロさんから?
一体、何が書かれているのでしょう?
「興味がありますわ。読み上げなさいまし」
「は。えっと……『誰のためにやってると思うんだ、わがままぬかすな、揉むぞこら』……以上です」
「罵詈雑言ですわ!?」
ヤシロさんのマニュアルはそれなりの厚みがあり、見るからに膨大な量の文章が書かれているようですわ。
おそらく、ワタクシが言うであろうセリフを想定し、それぞれに対応した返答が書かれているのでしょう。
まったく、ヤシロさんは、芸が細かいですわ。
「ちなみに、他には何が書かれていますの?」
「こちらは企業秘密ですので、絶対に見せないようにと仰せつかってございます」
……この給仕長は、自分の主をヤシロさんだと思っているのではありませんこと?
「ワタクシが見せろと申しているのです。お見せなさいまし!」
「――と、言われた場合は、『誰のためにやってると思うんだ、わがままぬかすな、揉むぞこら』……以上です」
「一緒ですわ!? 先ほどと一言一句違わぬ罵詈雑言ですわ!」
給仕長が反抗的なこともさることながら、ヤシロさんのこの手抜き感も気に入りませんわ!
「気分を害しましたわ!」
「――と、ふくれっ面をした場合は……『誰のためにやってると思うんだ、わがままぬかすな、揉むぞこら』……以上です」
「手抜きが過ぎますわ!」
様々な場面を想定されているようですが、返答がまったく同じとはどういうことですの!?
ワタクシがわがまましか言わないと思っておいでですのね!?
それならば――
「分かりましたわ。大人しくしておりますわ……と見せかけてマニュアルを奪い取りますわ!」
「――という場面も想定されておりましたので、余裕でかわします」
「凄まじいですわね、ヤシロさんの想定力!?」
あの方は予言者か何かではありませんの?
未来を予見し過ぎですわ!
「ちなみに、その際におかけする言葉は……『誰のためにやってると思うんだ、わがままぬかすな、揉むぞこら』……以上です」
「もう『以下同文』でよろしいですわ!」
まったくもう。
サプライズなどお願いするのではありませんでしたわ。
「……折角、街のみなさんが一丸となって動いていますのに、ワタクシだけ蚊帳の外だなんて……寂しいですわ」
「お嬢様……」
少し、寂しい気持ちに表情を曇らせてしまいましたが、給仕長がワタクシを慰めるように近くへ寄り添い、穏やかな笑みを向けてきましたわ。
出来る給仕長ですわね。
慰めてくれるだなんて……
「サプライズを強要すれば、こうなるのは目に見えていたでしょうに」
「なんて気の利かない給仕長ですの!? 慰めなさいまし! ワタクシ、今、割と可愛げたっぷりに寂しがっておりますのよ!?」
うっすらと涙が溜まった目で睨むと、給仕長はぱらぱらとヤシロさんから受け取ったマニュアルを開きました。
「お嬢様が寂しがった時には、こちらの言葉を贈るようにと書かれております」
「どうせ同じセリフなのでしょう?」
「いいえ。これはお嬢様のわがままではありませんので、別のセリフです。音読してもよろしいですか?」
別のセリフ。
返答はすべて同じセリフだと思っていましたけれど……さすがヤシロさんですわね。
ワタクシが寂しがることもちゃ~んとお見通しだったのですね。
「伺いますわ」
寂しがるワタクシに、ヤシロさんがどんな言葉を贈ってくださるのか楽しみですわ。
給仕長が息を吸い、そして、マニュアルの言葉を音読する。
「『離れていても俺たちの心は一つだ』――」
それは、孤独を感じ始めていたワタクシの心を癒し、元気を分けてくれるような言葉で、だからこそ――
「――『パイForオール、オールForパイ』」
――がっかりしましたわ!
「一人はみんなのために、みんなは一人のために、ということですね」
「違いますわ! 『おっぱいのために』ですわ、そのセリフは!」
「あっ! 最後の一行を忘れておりました! 『揉むぞこら』……以上です」
「役に立たないマニュアルなど捨ててしまいなさいまし!」
揉ませませんことよ!?
こうなっては、意地でも揉ませませんわ!
「もう拗ねましたわ! パーティーなんて出てやるものですか! ぷん!」
「いやぁ、お嬢様……それはさすがに……」
「知りませんわ! ぷんったらぷん!」
さーみーしーいーですわー!
…………みぃ。
「ごめんくださーいでーす!」
「……邪魔をする」
その時、応接室にロレッタさんとマグダさんが入ってきましたわ。
手には、可愛らしいラッピングのプレゼントを持って。
「お兄ちゃんからの特別ミッションです!」
「……そろそろイメルダが寂しさの限界を迎えるだろうから、明日のパーティーで出すクッキーの味見という名目でしゃべり相手になってやってこい……という裏ミッション」
「それ、全部しゃべってしまってよろしいんですの!?」
「……あ、しまったー」
「……よろしいんですのね」
わざとらし過ぎる演技に、ちょっとほっとしましたわ。
サプライズを要求した以上、本番での驚きを爪の先ほどでも減らしてはいけないのではないかと、謎の使命感を抱いておりますもので。
「しかし、絶妙のタイミングでしたわね」
「お兄ちゃんには、なんでもお見通しです」
まったくですわ。
……ふふ。
これは、明日のパーティーも期待できそうですわね。
「では、お二人ともおかけになってくださいまし。いただいたクッキーに合う紅茶をお出ししますわ」
「やったです!」
「……イメルダの家の紅茶は高いから好き」
「値段よりも、紅茶を入れる給仕長の腕がいいのですわ。給仕長――」
マグダさんたちが座ったのを確認して給仕長に命じます。
「美味しい紅茶をお願いいたしますわ」
そう言うと、給仕長は深く頭を下げ――マニュアルを開きました。
「――と、紅茶を要求された時には……『誰のためにやってると思うんだ、わがままぬかすな、揉むぞこら』――」
「そのマニュアル、早急にお捨てなさいましっ!」
「――『追伸』」
追伸?
給仕長が「すぅ……」っと息を吸い、姿勢を正して続きを音読しましたわ。
「『ちゃんと言うことが聞けて偉いな。お前はなんだかんだ言いながらも、絶対に越えてはいけないラインを越えてこないからやりやすいよ。だから、そんくらいのわがままなら、まぁ……許容範囲だ』」
給仕長の口から語られたその言葉は、まさしくヤシロさんの言葉で、まるで目の前に彼が立ってワタクシに語りかけているのではないかと錯覚するほどでした。
「『あと、あんま給仕長を困らせてやんなよ。すっげぇパーティーにしてやるから、もうちょっと大人しく待ってろ』……以上です」
「……そう、ですの」
ヤシロさん……
まったく、あなたという人は。
「パーティーが、断然楽しみになってまいりましたわ」
パーティーが始まる前から、こんなサプライズを仕込んでくるだなんて……
ワタクシ、あなたのそばにいるとどんどんわがままになってしまいそうですわ。
あなたが、ワタクシの想像も出来ないような驚きを次々に与えてくださるから。
ですから、ワタクシのわがままの半分くらいはヤシロさんの責任ですのよ。
だって、あなたがワタクシを肯定してくださるから。
今回のような強引な行動を取っても、迷惑そうな顔をしながらもワタクシを許してくださるのだもの……あなたの責任は大きいですわ。
だからこそ。
ヤシロさんには責任を持ってこの街にいていただかなくてはいけませんわね。
ワタクシの可愛いわがままを叶えられるのは、あなたをおいて他にはいませんもの。
ねぇ、ヤシロさん。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!