四十区。
貴族のご婦人たちが連日集まる高級サロン……いやまぁ、喫茶店だが……ご存じ、ラグジュアリーに、俺はジネットと共にやって来ていた。
「ヤシロさん、素敵ですよ」
俺の首にスカーフを巻きながらジネットがそんなことを言う。……顔が、近い。
自分で出来ると言ったのだが、「せめてこれくらいは」と、いそいそと嬉しそうに巻いてくれている。
俺は今、『いかにもシェフ』という衣装を身に纏っている。鉄板焼きなんかでよく目にする感じのシェフをイメージして自分で作ったものだ。
ポンペーオの隣に並ぶなら、それなりの身なりでいる必要があるのだ。お嬢様方を納得させる説得力も必要だしな。
「なかなか様になっているではないか」
今日もビシッとシェフ服を着こなしているポンペーオが、俺の格好を見て余裕の笑みを浮かべる。
「しかし、まだまだ衣装に着られている感が否めんな。君も早く、私のように衣装を着こなせる男になりたまえよ」
「「「きゃー! ポンペーオ様、ステキー!」」」
特設キッチンの向こうから黄色い声が飛んでくる。
今日の特別なショーにご招待された、ラグジュアリーの常連客たちだ。二十名いるらしい。
そんな常連客に片手を上げてみせるポンペーオ。その度に飛び交う黄色い声。
その後「な?」みたいなウィンクを寄越してくるポンペーオ……うっせぇよ。
……この男は、ホンット常に居丈高なんだからよぉ。
今俺たちは、ラグジュアリーの店内に作られた特設キッチンに立っている。
テーブルを退け、店内の三分の一を使った空間に、簡易的な、それでいて機能的かつ芸術性に富んだ造りのキッチンセットが設けられている。
俺は今日、ここで、ポンペーオと共に料理共演をするのだ。
共演。まさに演出、演技だ。デモンストレーションと言った方がいいかもしれんが。
テレビでたまにやっていた、『見せるための料理』を、ここラグジュアリーにて、ラグジュアリーを贔屓にしているお嬢様方の前でやってやろうという企画だ。
なんだかんだのゴタゴタの影響もあり、四十二区でケーキを流行らせた店と思われている陽だまり亭。実際、イヤミな客が顔を見せるのもウチだけだし……
そんな陽だまり亭の代表者が、ケーキの聖域ラグジュアリーにて、ケーキの神たる尊きポンペーオ様と肩を並べてケーキを作るのだ。…………はぁ、持ち上げるのだけで疲れ果てるぜ。
とにかく、陽だまり亭に代表される四十二区の飲食店は、ラグジュアリーとは友好的な関係にあり、互いに切磋琢磨する間柄だと見せつけることで、お嬢様方の悪意を少しでも和らげてやろうと、そういう計画だ。
そのためには、こっちが胸を借りるということにしておくくらいがちょうどいい。ポンペーオに教えを請い、ようやくそれなりのケーキが作れるようになった……くらいに思われておけば、お嬢様方は納得するだろう。
で、ゆくゆくは「あら、あの時の新人君、最近頑張ってるのね」くらいに思われれば応援もされるというものだ。
謙虚に……謙虚に…………裏で一、二発は殴るかもしれんが……表向きは謙虚な態度で演じきってやる。
「今日はよろしく頼むな」
「なぁに。一流のシェフとして、新人に胸を貸してあげるのは当然のことだよ。まぁ、思い切りぶつかってくるがいい」
「「「きゃー! ポンペーオ様、ステキー!」」」
あぁ……殴りたい。
「ヤシロさん。顔が怖いですよ」
そう言って、ジネットが俺の頬をむにゅんと摘まむ。
え、なに? 「こいつぅ、やったなぁ」とか言ってやり返していい感じ?
つい手元が狂ってほっぺたじゃなくて胸を摘まみそうだけども……
「ところで、陽だまり亭責任者にして一流の料理人であるところのジネットよ」
「わ、わたしが一流だなんて、そんな……」
「一流は新人に胸を貸してくれるものらしいんだが?」
「懺悔してください」
他人の店だからだろうか、いつもより声は控えめだった。
その代わり、眉を吊り上げたジネットに鼻の頭をちょんと突かれた。
え、なに、このご褒美。もう一回お願い。
「今日は、頑張ってくださいね」
最後に、スカーフの歪みを正して、ジネットは用意された観客席へと戻っていく。
俺の味方はジネットただ一人か……アウェーだな。
だが、気にするほどのものじゃない。別に常連のお嬢様方は審査員ではないのだ。
むしろ、こちらを見下していてくれた方が、後々その感情をひっくり返しやすい。
今回の目標は、陽だまり亭に向けられた『なんとなく気に入らない』という感情を払拭させることなのだ。
「適当に頑張るさ」
適当に…………全力でな。
「材料はこちらで一流のものを用意しておいたよ。本当に同じ材料でよかったのかい?」
「あぁ。同じ材料でまったく違うスウィーツを作る。今日来てくれたお客様には、二種類のスウィーツを楽しんでもらおうと思う」
特設キッチンの前に山と積まれた色とりどりのフルーツの山。
一流とはいえ、結局のところアッスント経由で仕入れているので陽だまり亭でも入手できるものばかりなのだが……ポンペーオが「一流だ」と言うだけであのお嬢様たちの舌には極上の甘味として認識されるのだろうから、いちいちツッコミは入れないでおく。
今回は乗せられやすいポンペーオと、流されやすい自称情報通の特性を大いに利用させてもらうつもりだ。
ポンペーオをおだて上げて、俺の作るケーキを「素晴らしいものだ」と言わせれば、ポンペーオに心酔しているお嬢様たちは「そうよ、これは素晴らしいのよ」と大合唱してくれることだろう。
まぁ、テレフォンショッピングみたいなもんだ。ターゲット自身に「なるほど、そういうものなのかぁ」と思い込ませることが出来れば成功だ。
○○をつけるだけで痩せやすくなる。
○○を食べればガンになりにくい。
そんな文言を信じてしまった人も多いだろう。
口コミと思い込みってのは、バカに出来ないものなのだ。
「さて。今日はいつもご贔屓にしてくださっている皆様に、ラグジュアリーの新作ケーキ、その製造工程をご覧に入れたいと思います」
「「「きゃー!」」」
「しかし、ケーキというのは作るのに大変な手間ヒマと時間がかかります。完成までの間、皆様は当店の美味しい紅茶と、簡単なスウィーツを楽しみつつのんびりとお過ごしください」
「「「きゃー!」」」
仕込みなんじゃないかと思うほど、お嬢様たちはポンペーオに好意的だ。
おかげでやりやすい。
俺に対し、決して友好的とは言えないポンペーオだったが、一度その気になればプロとしてのプライドで手を抜くことはない。いいものを作り上げてくれるだろう。
陽だまり亭に入り込む悪意をどうにかするため、俺は昨日のうちにここへ来てポンペーオに今回の企画を持ちかけた。
最初は、「料理する姿を客に見せるなど言語道断だ」と、猛反対されたのだが、「特設キッチンをウーマロが、『この日のためだけに』作ってくれることになっている」と言うや、手のひらを返したように「ならやろう!」と承諾してくれたのだ。
「あぁ……調理台の高さも絶妙だし、それにこの見せるためのキッチン……細工が美しくて……最高だ。料理人なら、誰もがこのキッチンで料理をしたくなることだろう……あぁ…………シ・ア・ワ・セ」
なんか、隣で気持ち悪いくらいにうっとりしてる……今にも調理台に頬摺りしそうな勢いだ。
これが終わったら取り壊すのだが……こいつ、暴れたりしないだろうな?
そして、常連のお嬢さんたちなのだが……集めるのはとても簡単だった。
昨日この店を訪れた客に招待状を渡してもらったのだ。
『特別なお客様へ。ポンペーオからのご招待』という名目で。
まんまと飛びついたお嬢様たちは、昨日の今日、しかも朝早くだというのに、一人も欠席者を出すことなく全員出席してくれた。
マグダで釣ったウーマロで釣ったポンペーオで釣ったお嬢様たち。
世界って、こうやって回っているんだな。
かくして、料理実演ショー『ケーキの職人 in ラグジュアリー』は開催と相成ったのだ。
ラグジュアリーの不愛想な店員により、観覧者に紅茶と小さな焼き菓子が振る舞われる。
……あ、あの焼き菓子、ケーキのつもりなのか。乾パンかと思ったぞ。
紅茶を一口飲んで、ジネットの動きがピタリと止まる。困ったように眉を寄せ……そっと、カップをソーサーに戻した。うん、分かる。ここの紅茶、薄いのに渋いんだよな。なんか、そういうのが『高級感』とか思い込んでるみたいだけど……
そうそう。この前知ったのだが、ここの店員が不愛想なのは『客に媚びへつらうと店が客より立場の低い存在だと思われるから』あえてそうしているのだそうだ。
……はぁ、接客の考え方も千差万別なんだなぁ。しかも、この店はそれで成功しているというね……
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