と、その時。
「待ってくれッスー!」
食堂の外から賑やかな音が聞こえてきた。
複数の者がどたばたと走る音…………そして、ドアが勢いよく開かれ、誰かがなだれ込んでくるような音が。
「まだ閉店してないッスか!? 間に合ったッスか!?」
駆け込んできたのは小柄なキツネだった。
いや、服を身に着け二足歩行で人語を話しているってことは、キツネ人族なのだろう。
「お食事ですか? でしたら、まだ大丈夫ですよ?」
ジネットが笑顔で言う。
……あぁ、そうか。こいつにはラストオーダーという概念はないのか。
教えておかなければいつか損失を被るな。
「どっひゃぁああっ!?」
微笑むジネットを見てキツネ人族の男は奇声を上げた。
「べ、べ、ベッピンさんッスねぇ!? オ、オイラ、き、きききき、緊張ちょうちょちょう、しししして、はなはなはなはなはははははははははは……っ!」
なんか壊れた!?
なんだこいつ!?
「おい、いいから落ち着けよ。なんなんだよお前は?」
「あ、しょうもない顔をした男ッス。お前なら緊張しないで話せるッス」
「……なんなんだよ、お前は?」
ケンカ売ってんのか?
「実は、ウチの見習いがとんでもないことをしでかしたと……ん?」
人のよさそうな笑みを浮かべていたキツネ人族は、急に怖い表情になり、入口へと視線を向ける。
そして、おもむろに立ち上がりドアの外へと顔を出して怒鳴り声を上げた。
「オラッ! いつまでそんなとこにいるッスかっ!? さっさと入ってくるッス! ヤンボルド、無理やりにでも連れてくるッス!」
その声は恐ろしく、体育会系の怖い先輩を想起させる。いや、その筋の人の恫喝に近い。
あまりの変わりようにちょっと面食らってしまった。
「あ、すみませんッスねぇ。すぐに来ますんで」
俺たちに向ける顔は、元の柔和なキツネ顔だった。
……なんだ、こいつ?
すると、ドアがゆっくりと開き、そこから筋肉ムキムキのデカい馬が体を半分覗かせる。
って!? なんだこのいかつい馬はっ!?
何が起こってるんだよ、今ここで!?
なんだこれ?
なんなんだ?
思考が混乱する中、その馬が俺の方を向いた。
無言のまま、ジッと、つぶらな瞳で見つめてくる。……なんだよ?
「……………………にゃー」
「なんでだ!?」
思わず突っ込んでしまった。
なぜ馬がにゃーと鳴く!?
「ヤンボルド。ふざけるのは今度にするッス」
「………………はい」
「しゃべれんのかよ!?」
ってことはウマ人族なのだろう。と思っていたら、左肩を大きく開けた服を着ていた。
入り口から覗いていた時は肌が出ている部分しか見えなかったから馬かと思ったのだ。
「………………暴れる」
「ったく……」
ヤンボルドとかいうウマ人族の言葉に、キツネ人族の男はため息を漏らし、一度食堂から出て行く。
「あ、一回出ますけど閉店しないでくださいッスね! すぐ戻ってくるッスから!」
言い残して、キツネ人族は出て行った。
姿が見えなくなってすぐ、また組の若頭みたいな恫喝が聞こえてきた。
「手間かけさせんなッス! さっさと行って誠心誠意謝罪してくるッス!」
ドスドスと、二度ほど打撃音らしきものが聞こえてきた。
……蹴りかなぁ、あの音は。
そして、朗らかな笑みを浮かべて戻ってきたキツネ人族と一緒に姿を見せたのは、グーズーヤだった。
グーズーヤは店に入るなり床に四肢をつき、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでしたっ!」
土下座ね……
土下座するくらい反省しているなら、もっと早く一言でも二言でも言いに来ればよかったんだ。払えないなら払えないで「もう少し待ってくれませんか」とな。
それすらせずにいきなり土下座をされてもな……
「あ、あのっ! 顔を上げてください! お支払いでしたらいつだって構いませ……」
「いいや! そういうわけにはいかないッス!」
ジネットがまたふざけたことを言いかけたが、俺が止めるより早くキツネ人族の男がそれを遮った。
……の、だが。
「なんでお前は俺の方を向いているんだ?」
「ベッピンさんを見ると緊張しちゃうッスよ」
シャイ過ぎるだろう。
キツネ人族の男は、そのまま俺を見つめて言葉を続ける。
「いいですか、お嬢さん!」
「俺がお嬢さんに見えんのか、お前は?」
「いえ、顔は兄さんに向いてるッスけど、心はお嬢さんに向いてるッスよ」
ややこしいことをしやがる。
「約束は、そう簡単に反故にしちゃいけないッス。信用は、得るのは難しいッスけど、失うのは一瞬ッスから」
「ですが……」
「この男のためにも、温情はかけないでやってほしいッス!」
そう言われ、ジネットは口を閉じる。
自分の優しさが相手をダメにする。それは以前俺にも言われていることだ。さすがのジネットも、そう言われてしまえば甘いことを言えなくなる。
「ただ、お金は用意できなかったッス」
そう言って、キツネ人族の男は俺の目の前に膝をつく。それに倣うようにヤンボルドも膝をつく。
「グーズーヤはまだまだ見習いの身ッス。仕事も半人前で、そんなもんだから給料も全然やれてないッス」
キツネ人族とヤンボルドの後ろで、グーズーヤは身を丸めてうな垂れている。
先輩か上司かは知らんが、自分の目上の人間に土下座までさせてしまって……今の心境的には針の筵に違いない。
完全に憔悴しきっている顔だ。
「どうか! オイラが立て替えることを了承してほしいッス! この通りッス!」
「立て替え?」
「はいッス! 大工たるもの、納期を遅らせるのは恥じッス! 絶対やってはいけないことッス! 今後、一切仕事が来なくなるッス!」
そんな大事なのか、納期遅れって?
しかしキツネ人族の目は真剣そのもので、己の人生を懸けて話をしているように見えた。
確かに、グーズーヤは『陽だまり亭で飲食した分の代金を支払います』と契約書に書いている。
『精霊の審判』的には、「支払う」と言った者が支払わないと『嘘』と見做されるのかもしれない。
つまりこれは、「金は払うから『精霊の審判』は勘弁してくれ」という交渉なのだろう。
キツネ人族の男は『信頼』を得ることの大変さを説いていた。
そんな者の仲間から『カエル』にされた者が出れば、きっと商売に支障をきたす……いや、死活問題なのだろう。
「なぁ、お前。名前は?」
「え、オイラッスか?」
キツネ人族の男は目を丸くした後、姿勢を正して丁寧に言った。
「オイラは、ウーマロ・トルベック。四十区に拠点を置くトルベック工務店で棟梁をやっているッス」
「四十区の大工か」
「はいッス。でも、依頼があればどこの区でも駆けつけるッス。新築からリフォームまで、良心的なお値段で請け負うッス」
ここで宣伝してどうする………………いや、待てよ。
「見たところ、グーズーヤは随分反省しているようだな」
「それはもう! オイラたちがきつく締め上げてきましたッスから」
グーズーヤは名を呼ばれて委縮したのか、さらに身を縮こまらせる。
「実は、ここ最近グーズーヤの様子がおかしいッスねって思って……それで問い詰めたら、こんなとんでもないことをしでかしていたって知ったッス。それで、一も二もなく謝りに行くッスよって、こういうことになったッス」
厳しいが面倒見のいい棟梁。
まさに職人だな。
「けどこいつ、全然金がないみたいで、支払うことが出来ないって言ってるッス。そこで、オイラが立て替えるということで、どうか手を打ってほしいッス!」
深々と頭を下げるウーマロ。棟梁としての威厳を纏った美しい土下座だ。
それに倣い、巨大なウマ人族のヤンボルドに、ひょろ長のグーズーヤが揃って頭を下げる。
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