マグダ脱走事件(通称、すっぽんぽんオジサン出没事件)の翌日。
俺は川漁ギルドが仕事場としている四十二区の川へとやって来ていた。デリアに話しておかなければいけないことがあるのだ。
現在、マグダは眠っている。昨晩から物凄く深い眠りに就いているようでまったく起きる気配がなかった。体力回復のために体が睡眠を欲しているのだろう。
そんなわけで、店とマグダをジネットに任せ、俺は一人で川まで来ていた。
まぁ、交渉というほどのこともないただの報告だ。俺一人で十分だろう。
店の方も、レジーナとエステラがいてくれるし、まぁ、なんとかなるはずだ。
先日まで続いた大雨の影響で川の水は随分とその量を増していた。茶色く濁り、流れも速い。
ただ、昨日のうちに処置をしたようで、川縁には土嚢がうずたかく積み上げられていた。
川の氾濫を防ぐためだろう。
「しかし、誰もいないなぁ……」
川辺には人っ子一人見当たらない。
やっぱり、水量の増した川には誰も近付かないか。危ないしな。
なんてことを思っていたら、30メートルくらい離れた場所に見慣れたクマ人族の美女の姿を見つけた。デリアだ。
ちょうど土嚢の陰になっていて全身は見えないが、長身故に頭だけがひょっこりと土嚢の上から覗いている。見覚えのあるまるっこいクマ耳がぴこぴこ動いていた。
「お~い、デリア!」
手を上げて声をかける。
俺の声に顔を上げ、こちらを振り返るデリア。俺に気が付くと目をまんまるく見開いて満面の笑みを浮かべた。
「お~、ヤシロ~!」
言いながら、デリアが土嚢の陰からゆっくりと姿を現す。
真っ先に「ドーン!」と突き出たおっぱいが姿を見せ、次いで引き締まったお腹が見える。
それにしてもすごい迫力だ……ダイナマイトボディとはまさにこのことだと思わせるような肉体美を誇っている。
それでいて性格はサバけていて、話しやすい。俺は割とデリアが気に入っている。
最初こそ怖かったが、今では会うのが楽しみなくらいだ。今後もいい関係を築いていければいいなとすら思っている。
なので俺も友好的な笑みを浮かべ、確かな歩調でデリアに近付いていく。気さくに声をかけながら。
「今日はちょっと話したいことがあってのぅぅうわぁぁあああああああああああっ!?」
土嚢の陰から姿を現したデリアだったのだが…………デリアの右腕には、全身ずぶ濡れでグッタリとした体長2メートルもある巨大なアライグマが掴まれていた。首を握られ、ぐったりとし、引き摺られている。
ア…………ア………………
「アライグマが洗われてるぅぅぅうううっ!?」
デリアめ、ついにヤっちまったのか!?
それは間違いなく、川漁ギルド副ギルド長のオメロであり、……どう贔屓目に見ても健康体には見えない。よくて虫の息……でなければ………………
いくら根性無しで使いものにならない副ギルド長だからって、こうもあっさり洗ってしまうとは思わなかった。
「よく来たなぁ!」
俺の顔が引き攣っていることには気付かずに、嬉しさ爆発といった表情でデリアは大きく右手を上げ、盛大に振り回した。
その手には、巨大アライグマが掴まれているわけで……、ぐったりしたアライグマが空中をぐわんぐわんと振り回され水しぶきを飛ばす。
アライグマがっ!
アライグマが物凄く乱暴に脱水されているっ!
「おっ、親方っ! し、死ぬっ! マジで、死んじゃいますってっ!」
「ん? あぁ、悪い悪い」
一切悪びれる様子もなく、デリアは「やはは」と頭を掻いて巨大アライグマ……改め、アラワレグマのオメロを解放した。
なんだ、生きてたのか。……ビビった。デリアとの付き合いをやめようかと本気で考えちまったぜ。
「何してたんだよ?」
「ん? あぁ。こいつがな、いまだに泳げないもんだから、あたいが泳ぎを教えてやってたんだよ」
この増水した川で?
「大は小を兼ねるって言うし、この川で泳げるようになれば、普段の川なら余裕で泳げるようになるだろ?」
いや、水に対する恐怖で近付くことすら出来なくなりそうだけど……?
「にしても、根性のないヤツだよなぁ。この程度の流れで音を上げてさ」
いや……この増水した川で泳ぐなんて不可能だからな?
「つか、泳げないのかよ、川漁ギルド副ギルド長?」
俺は、デリアから解放され、地べたでへたり込むオメロに尋ねる。
オメロは今にも倒れそうな憔悴しきった生気のない顔で俺を見上げ、力なく笑う。
「洗うのは……得意なんだけどよぉ」
「いや、泳ぎと全然関係ねぇよ」
こいつ、副ギルド長やめればいいのに。
泳げないわ、ギルド長が怖くて話も通せないわ、相変わらず下半身は卑猥なビキニパンツ一丁だわ……
「そうだ、ヤシロも一緒に泳いでいくか?」
「業務上過失致傷って知ってるか?」
この川に放り込まれたら確実に死ぬ。死ぬ自信がある。
「川は友達だぞ?」
「いくら友達でも、荒れ狂ってる時はそっと距離を取るだろうが」
残念そうにしょげ返るデリアだが、そんな顔を見せられても「しょうがねぇな、一回だけだぞ!」とは言ってやるつもりにはなれない。
この川の流れは近付いていいレベルを超えている。河童だって水から上がって河原からも避難するレベルだ。
「じゃあ、やめとくかぁ」
つまらなそうに頭の後ろで手を組むデリア。
思い留まってくれたようで何よりだ。
「……よ、よかったなぁ、兄ちゃんよぉ……」
今にも死にそうな状態で、オメロが俺に這い寄ってくる。
濡れたくないので手を貸すような真似はせず、じぃ~っと見下ろす。
「…………手ぇ、貸してくんねぇか?」
「えぇ~……」
「……オレ、死んじゃうぜ?」
しょうがない。
濡れた服のクリーニング代はあとで請求するとしよう。
俺はしゃがんでオメロに肩を貸してやる。
「で、何がよかったって?」
「ん? ……あぁ、親方と一緒に泳ぐのは命に関わるってことさ」
「そりゃお前がカナヅチだからだろうが」
「そうじゃねぇ……ちょっと耳貸せ……」
オメロがグッと顔を近付けてくる。
明らかに背後に立つデリアを意識して、物凄く小さな声で囁く。
「親方は、泳ぐ時は裸なんだ」
「貴様っ! なぜそれを先に教えないっ!?」
断っちまったじゃねぇか!
今からキャンセルできないかな!?
断るのはなしで、やっぱり泳ごうって。
「バッカ、おめぇ! 親方はあぁいう奔放な性格だから気にしないって言うんだが……もし、万が一劣情でも抱いてみろ…………洗われるぞ?」
「だから、それで怖がるのはお前だけだっつうの」
「洗われた後、脱水されて天日で干されてもいいのかっ!?」
「お前の例え、洗濯から離れられないルールでもあんの?」
だいたい、自分から服を脱ぐんだ。そういう目で見られることくらい承知の上だろう?
「親方は、『そういう』つもりは一切ない。だから、『そういう』目で見てくるヤツを徹底的に嫌っている」
「あんな際どい服装でうろついてるのにか?」
「アレは『自分が』動きやすいからしている格好で、『誰か』を楽しませるためじゃねぇ」
すげぇわがままな話だな。
『私はオシャレで露出度の高い服を着てるだけだから、いやらしい目では見るな』って、スカートがクッソ短い女子高生かよ。見るっつうの。
「親方がオレらの前で脱いだ時、オレたちはそこにあるものを大木だと自分に言い聞かせる。それが出来ないヤツは両目を自分で潰す」
「怖ぇよ!」
「そうした方がマシなんだよ!」
「それ以上のことされんのかよ!?」
おいおい、デリア怖ぇ。超怖ぇよ。
「だから、泳ぎを断ったのは賢明な判断だったぜ」
今日が穏やかなよく晴れた日でなくてよかった。
もし川の流れが緩やかであったなら、俺はその誘いに乗っていただろう。そして…………
「なにこそこそ話してんだよ、男二人で」
顔を近付けてひそひそと話していた俺とオメロ。その顔と顔の間に、デリアの顔が割り込んでくる。
頬が触れ合う。ドキッとする。……二つの意味で。
こんな密接なスキンシップをされても欲情しちゃダメなのかよ?
チラリとオメロを見ると――
「残りの人生を捨てたくないのなら耐えろ」
――という視線を送られた。
……どんな拷問が待ってんだよ。
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