「少し時間があるなら、デイグレア・ウィシャートのことを聞かせてくれないか?」
オルキオは、おそらくそのつもりでここに来たはずだ。
情報紙を見て、そのやり口や性質から推論を立て、ウィシャートが関与しているのではないかと結論付けた。
そして、もしそうであるなら自分の持っている知識が何か役に立つのではないかと、四十二区のためにここまでやって来てくれたのではないだろうか。
「オルキオは俺と四十二区のことが大好きだもんな」
「あはは。否定はしないよ」
肯定もしやがらなかったな、このジジイ。
いや、まぁ、ジジイ5に属しているとはいえ、オルキオは若干ジジイって感じじゃないんだよなぁ。たぶんあの中では一番若いし、何より品があるから『老人』って感じのくたびれ感が一切ないのだ。
ゼルマルやボッバ、フロフトなんかは迷いなく「ジジイ! いや、クソジジイ!」と言えるのだが、オルキオだけはまだかすかにオジサンの部類に入る気がしてしまう。
「ゼルマルたちに囲まれてないと若く見えるな」
「あはははっ! そうかい? うん、そうかもね。私は周りの空気に合わせるのがうまいから」
貴族の中では変わり者だったオルキオ。
少しでも波風を立てないように周りに同化する術でも身に付けていたのかもしれない。
それでも、アゲハチョウ人族のシラハとの結婚を押し切ったのだから、十分に異端と言える。こいつらの時代ならなおのこと。
「それで、デイグレア・ウィシャートについてだったね?」
空になったコーヒーカップを置き、オルキオが静かに息を吐く。
ジネットが「おかわり、お持ちしますね」と席を立ち、その後ろ姿を視線で追って、ジネットが伝染したかのような穏やかな笑みをこちらへ向ける。
「悪いけれど、実はそこまで詳しくは知らないんだ。面識はあるけれどね。おそらく、ルシア様やミスター・ドナーティたちが知っている情報と大差はないと思うよ。なんにせよ、彼は用心深いからね」
「『彼は』か?」
「え? ……へぇ、驚いたな。いや、さすがはヤシロ君と言うべきか」
オルキオは目を丸くして、そして嬉しそうに笑った。
そして、うんうんと頷いて祖父が孫に向けるような柔らかい笑みを浮かべる。
「君のような人がいてくれて、私は本当に心強いよ」
何に対してだよと突っ込む前に、ジネットがおかわりのコーヒーを持って戻ってくる。
ポットからカップへコーヒーが注がれる様を見つめ――というか、コーヒーを注ぐジネットを見つめ、その後でこちらへ意味ありげな笑みを寄こしやがった。
聞かなくてよかったよ、何に対してだなんて。
「ヤシロ君の言う通りだね。用心深いのはウィシャート一族すべてだと言うべきだったよ」
オールブルームの玄関口を預かる一族は、先祖代々腹黒いことをし続けているらしいな。探られるとまずい事情がわんさかと盛り沢山なのだろう。
「不正のミックスモダン焼きだな」
「なんだい、それは?」
「ただの比喩だ」
「面白いね。陽だまり亭にあるメニューなのかい?」
そういえば、モダン焼きはまだ作ってなかったなぁ。
「いや、まだないが……」
「わたし、覚えたいです!」
「……マグダはすでに予約を入れている」
「あっ、あたしも覚えるです!」
「そんな前のめりになるようなもんじゃねぇよ。ただの焼きそば入りのお好み焼きだ」
ちゃんと作ればちゃんと美味いが、手を抜けば途端に嵩増し感溢れるケチ臭い物になる。
教えるなら、ちゃんと教えなきゃな。
「教えるのは話の後だ」
「ふふ、じゃあ話を戻すよ」
淹れたてのコーヒーを飲んで、オルキオが表情を引き締める。
「私の知る限り、ウィシャート家というのは、非常に用心深く、金への執着心が強く、狡猾でいて獰猛、油断のならない一族だよ」
狡猾や獰猛という言葉が出てくるあたり、血なまぐさいこともいくつかやらかしてきているのだろう。たとえば、マーシャにしようとしていたことなんかをな。
「彼らはお金の使い方がうまいんだ」
「権力者が面白いように懐柔されるのか」
「はは……君と話していると、幾度となく心臓が飛び跳ねてしまうね。オブラートに包んだ言葉がまんまと暴かれてしまう」
貴族を評する時に「お金の使い方がうまい」なんて言って、「買い物上手なんだぁ~、へぇ~」なんて思うかよ。俺はそこまで馬鹿でも純粋でもない。
だが、その証言で分かったことが一つある。
悪代官と癒着する庄屋ポジションには二種類のタイプがある。
金を渡すことで権力者を味方につけた者と、権力者が味方にいることで金を儲けた者。
前者は、金が尽きれば権力者は去っていく。
後者は、権力者が金を稼がせているので後ろ盾は強固だ。ま、しくじれば切り捨てられるかもしれんが。
後者の方は権力者の息子や血縁者であるパターンが多いから、そうそう失脚することはない。
だが、ウィシャートは前者だ。
ヤツはなんらかの方法で得た大金をエサに、権力者の後ろ盾を得ていったタイプだ。
そう考えれば、買い物上手ってのもあながち間違ってないのかもしれないな。
「聞いた話なんだがね、ウィシャート一族は権力者の喉元に届く刃を常に隠し持っているらしいんだ」
もちろん、刃とは比喩だろう。
それに比類する致死量の弱み。裏ネタ。悪行目録。
死なばもろとも。
自分たちが失脚すれば、後ろ盾も道連れにしてやる――と、そんなやり方で、強固な後ろ盾を得てきたらしい。
知りたくもないが、きっと双方にとって非常にマズい悪事の証拠でも握っているのだろう。
一方的な弱みを握られたまま、権力者がおとなしく引き下がるとは思えない。
おそらくそれは、双方に咎が及ぶ諸刃の剣。
気安く使えないからこそ、そいつの存在はデカくなる。
『精霊の審判』に近しいものがあるな。
トリガーは重い。だから、ある程度の安心は確保されている。
だが、発動されればおしまいだ。
その上で資金援助なり袖の下なりを渡し続けていれば――なるほどな、「ウィシャートは生かしてそばに置いておくのが得策だ」と、そういう発想になるわけだ。
「俺が同じ立場なら似たようなことをするだろうが、同じ立場じゃない現状ではただただ嫌なヤツだな」
「あはは。それはどうかな?」
ウィシャートが嫌なヤツじゃないとでも?
と思ってたら、その否定は一つ前の発言にかかっていたらしい。
「ヤシロ君なら、彼らと同じ立場でももっと別の方法を取っていると思うよ」
「もっと悪辣で狡猾な手段をか?」
「ふふふ。そうだね、もっと器用でスマートに敵を作らない方法で、かな?」
どうにも、オルキオは俺が善人だと思い込んでいる節がある。
おそらく、俺の情報のほとんどをジネットから得ているせいだろう。お人好しフィルターを通過した情報は、すべてが美談に変換されるからなぁ。
「領主一人が私服を肥やすより、街全体が潤った方がヤシロ君の利益は上がるからね」
何を訳知り顔で。
で、隣でくすくす笑うな、ジネット。
お前が仕込んだんだろ、こんなしょーもない知識。言い方がそっくりだ。
「だが、ウィシャート家は違う。彼らは、力で他者を支配する。逆らう者には容赦しない。……暗部、とでも言うのかな? 権力で潰せない者に対して武力を行使する――そんな組織も有しているようだしね」
声を潜めたのは用心のためか。
まさか、盗聴器なんて物はないと思うが、一般人に扮したウィシャート御用達の暗殺者が紛れ込んでないとも言い切れないわけか。
「その暗部とやらは、結構四十二区に入り込んでるようだぞ」
「――っ!? 大丈夫だったのかい?」
「なんとか、今のところはな」
マーシャ襲撃犯も、デリア襲撃犯も、街門前広場占拠犯たちも取り押さえて排除した。
今のところ、負傷者は俺とグーズーヤだけだ。
ただ、あいつらはどれもド素人だった。
ナタリアレベルの暗殺者が紛れ込んでくれば、話は変わってくるだろう。
今はまだ様子見ってところか、ウィシャート?
デリア襲撃に失敗して用心深くなったかと思いきや、ゴロつきを大量投入して広場を占拠しやがった。
アレはおそらく、そーゆートラブルが起こった時に『誰が』動くかを確認するための陽動だったのだろうと思う。
だからこそ、俺が目立つ行動を起こした。
狙うなら俺を狙えよ、ウィシャート。
ただし――
俺を殺し損ねた時が、お前の人生が終わる時だって覚悟を持ってな。
目には目を。
歯には歯を。
そして――
「ボインにはボインを!」
「急にどうしたんだい、ヤシロ君!?」
「……平気。いつもの発作」
「いつもこうなのかい!? それは平気なのかい!?」
「あぁ、オルキオさん、引っ越しちゃったから、まだお兄ちゃんに慣れてないですね」
「いや、慣れちゃってていいのかな、女子たち!?」
オルキオがわーきゃー騒ぐ中、シラハがじっと俺の腕を凝視している。
長袖の中程が綺麗に繕われている、その部分を。
「ねぇ、ヤシロちゃん。それ、どうしたの?」
「ん? あぁ、ジネットに繕ってもらったんだ。うまいもんだろ?」
「そうじゃなくてね」
話を誤魔化そうとしたのだが、シラハの瞳は真剣で誤魔化しきれなかった。
「ちょっと見せてね」
「あ、いや待て。その前に話を――」
言い終わる前に、シラハが俺の袖をまくり上げる。
「きゃっ!?」
「ヤシロ君!? 大怪我じゃないか!」
「違う違う違う! これはニセモノ! フェイクだから!」
大騒ぎするシラハとオルキオを、陽だまり亭従業員総出で落ち着かせる。
まったく、いちいち脱線するんだから……と、思ってたら、ロレッタが俺の考えとまったく同じことを呟いた。
「まったく、お話が脱線しまくりです」
「……ヤシロが『ボインにはボインを』とか言うから」
俺のせいじゃないやい。
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