「ヤシロ」
陽だまり亭が近くなると、エステラが小声で俺を呼ぶ。
「マグダがやってくれたよ」
「ん? …………おぉっ」
思わず息をのんだ。
これは、俺も予想できなかった……マグダ、やるなぁ。
陽だまり亭の前の道に、大きなキャンドルが数本置かれており、暗い道を照らしていた。
ゆらゆらと揺れ動く明かりに照らされた陽だまり亭は、まるで夜の闇に浮かび上がるように幻想的で、夢の世界へ迷い込んだかのような錯覚に陥る。
「綺麗……ですわ」
思わず漏れたのであろうイメルダの言葉は、その場にいる者全員の心を代弁しているようだった。
「ようこそ、陽だまり亭へ」
揺らめく幻想的な景色を眺めていると、ジネットの声が俺たちを迎えてくれた。
陽だまり亭の前に従業員一同が整列している。
制服も、今日のために新たに作り直したおもてなしバージョンだ。
色合いを少し大人し目にして、いつもの可愛いふりふりメイドから、シックで落ち着いた上品な給仕服へと変更されている。
「これは……美しい」
ハビエルがウチの従業員をそのように評価する。
ま、当然かな。
整列する従業員に視線を向けると、ジネットは優しく微笑み、ロレッタが「頑張ります」と言わんばかりの力強い笑みを浮かべ、マグダは静かな無表情でVサインをこちらに向けてくる。
よくやったぞマグダ。
ここで俺の蝋像が明かりを灯して並んでいたら素通りして大通りで飯を食うところだった。
さすがマグダだ。あとで褒めてやらねば。
そして…………ジネットはあとでちょっとお説教かな?
「ふにゅっ!?」
何かを察知したのか、ジネットが肩をビクッと震わせ身を縮める。
……大丈夫。この後の頑張りによっては手加減してやるから…………
「そ、それでは! 皆様、こちらへどうぞ!」
若干上擦った声で、ジネットが視察団を店内へと誘導する。
店内へ入っていく木こりたちの背中を見送って、俺は庭に待機していた妹たちのもとへ向かう。
そこは、いつも屋台が置かれている場所なのだが、今は空いている。屋台は今夜、ちょっと貸し出しているのだ。
「そろそろ準備するように言ってきてくれ。あと二十分ほどで来れるように」
「分かったー!」
「伝えるー!」
「夜のおつかい、わくわくー!」
「夜道も怖くないよー!」
「お兄ちゃんと違うからー!」
やかましい。
俺も一人じゃなけりゃ怖くねぇわ。
「念のため、私がお供をいたしましょう」
静かにサポートに回っていてくれたナタリアが申し出てくれる。
そうしてくれると助かる。四十二区の治安が良くなったとはいえ、妹たちはまだ子供だからな。
「頼む」
「こちらこそ、お嬢様をよろしくお願いしますね」
「細工は流々だ、あとは仕上げを御覧じろって」
「うまくいけば、四十二区はまた大きく変わるのですよね?」
「あぁ。それも、いい方向ヘな」
「そうですか…………では、行ってまいります」
どことなく嬉しそうにナタリアは言う。
立場を弁えてはっきりとは言葉にしないけれど、あいつも喜んでいるのだろう。自分が仕える領主の治める四十二区が、どんどんといい方向へ向かっているのを。
妹たちを連れて遠ざかっていくナタリアを見て、そんなことを思った。
「ひゃっほほ~い!」
「――っ!?」
ナタリアが……飛んだ!?
「なにそれー?」
「なにー?」
「なんでもありませんよ」
「教えてー」
「気になるー」
「仕方がありませんね。では、みなさんでやってみましょう。せーの」
「「「「ひゃっほほ~い!」」」」
滅茶苦茶テンション上がってんじゃん!?
立場とか関係なかった!
「まぁ、嬉しそうで何よりだ」
ナタリアと妹たちを見送ってから、俺は食堂へと入る。
食堂の中は明るかった。
エステラから提供されたトーチが壁に沿って設置されている。まぁ、松明だ。
クロスされた二本の松明が数セットあるだけで、店内は見違えるほど明るくなっていた。
これなら料理も映えるだろう。
ジネットは厨房に入っているのか姿が見えなかった。
店内には堪らなくいい香りが立ち込めている。
この香りだけで白米が進みそうだ。
店内ではマグダとロレッタが忙しく、テーブルに着いた木こりたちに水を配っている。
浄水器の話もしてあるので、木こりたちは「これが、アノ……」と興味心身だ。
「美味しい…………お水ですのに清々しくて」
イメルダが陽だまり亭のレモン水を気に入ったようだ。こくこくと飲み干している。
エステラは壁際に待機して、着席している木こりたちを見つめている。何かあった際、サポート出来るようにだろう。
そして、木こりたちとは違うテーブルにベルティーナたち教会の一同が座って…………って、こら。
「……なにちゃっかり居座ってんだよ?」
「何か、特別なものが出てくると聞きましたので」
こいつ……さっきのイカした送迎演出はウチで飯にありつくためだったのか……ガキどもも完全に食うつもり満々の表情をしていやがる……しょうがない。ここで無理やり追い返すのはこちらの心象が悪くなる。なんたって、教会関係者だからな。四十区でも当然精霊教会は支持を得ている。木こりどももきっと信者なのだろう。
…………まぁいいさ。代金はまとめてエステラに払ってもらおう。
「お待たせしました~!」
明るい声と共に、ジネットが厨房から姿を現す。
その後ろから、可愛らしい制服に身を包んだ妹たちがわらわらと出てくる。
いつもマグダについてポップコーンを作っているメンバーだ。
今回は、人数を使って一気に配膳してしまう予定だ。
各々が座ったテーブルに、置ききれないほどの料理が次々に運び込まれていく。
「おぉ、これは…………なんと美しい……」
ハビエルが唸り声を漏らす。
イメルダの親だけあって、ハビエルもかなり美意識の高い人物らしい。物を見る目は確かなのだそうだ。
飯を見たらすぐにがっつきそうなガタイのいい木こりたちもただただその料理の美しさに目を奪われている。
テーブルに並べられた料理は、陽だまり亭で普段出されているものだ。
それがこれほどの評価を受けたということからも、いつもジネットがどれだけ頑張っているかが分かるというものだ。
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