「ドニス様。お食事の用意が調いました」
「む、そうか」
初老執事がドニスに耳打ちをし、ドニスが厳めしい表情のまま俺たちに向かって手を広げる。
「ランチの用意が調ったようだ。よければ一緒にいかがかな?」
「もちろん、喜んで」
営業用の笑みを浮かべてエステラは可愛らしい礼をしてみせる。
……にしても、飯の誘いくらい笑顔で出来ないもんかねぇ、このジジイは。ずっと眉間にしわが寄っている。
長年厳めしい表情をし続けて、顔面がその形で固まってしまったみたいだ。
「そういえば、二十七区のトレーシーさんから伺ったのですが」
食堂へ移動する道すがら、ドニスの隣を歩きながらエステラが話を持ちかける。
さりげなくトレーシーとも交友があることを匂わせつつ、さりげなく距離を縮めようとしているわけだ。
この外交上手め。
移動しながらだと、身構えず、気取らず、聞き流すくらいの気楽さで話が出来る。
嫌味なく相手をおだてるには、このタイミングを狙うのがいい。
「四十二区への賠償請求を求める多数決で、ミスター・ドナーティだけが反対票を投じてくださったとか」
「あぁ、そのことか」
「それを聞いた時、素直に嬉しいと思いました。ありがとうございます」
「なに、礼には及ばん」
厳めしい顔がエステラをちらりと見て、すぐに視線を外す。
「こちらの都合でそうしたまでだ。そなたらの区を思ってのことではない」
冷たく突き放すような言い方だった。
思わず息をのんだエステラが、次の言葉を発するタイミングを逸してしまったほどに。
「……そ、そう、なんですか」
エステラがようやくそう呟いたのは、食堂に着き、ドニスの背中が遠ざかってからだった。
誰にも流されない『頑固ジジイ』。
友好的に振る舞うのは、きっとそれが自分にとって都合がいい場合のみなのだろう。
ヤツの真意を探るのは、少し骨が折れるかもしれない。
ドニスが奥の席へ腰を下ろし、俺たちも使用人に促されて席へと移動する。
そんな中で、ナタリアが俺に耳打ちをしてくる。
「ヤシロ様。先ほどのミスター・ドナーティの言葉なのですが……」
真剣な表情で、ナタリアは己の見解を述べる。
「言い換えれば、『別にあんたのために反対したんじゃないんだからねっ!』……ということになりますね」
「お前はあのジジイに何を求めてんの?」
ジジイの萌化など、どこにも需要がねぇぞ。
ナタリアを暇にしておくとろくなことをしないな。適度に仕事を与え続けた方がいいみたいだな、こいつは。
エステラが椅子の前に立つと、ナタリアは無駄口を止め足早にその背後へと近付く。
動こうとした使用人を手で制し、ナタリアが椅子を引きエステラを座らせる。
ドニスの館の使用人が揃いも揃って男ばかりなので、エステラにあまり近付かせないようにしているらしい。
うっかり忘れそうになるが、エステラは嫁入り前の貴族の娘なのだ。しかも、現在は領主という立場でもある。不特定多数の男と接触させるのは避けるべきなのだろう。
……陽だまり亭以外では。
「楽にしてくれて構わない。食事は和やかに食べる方が美味く感じるのでな」
椅子に座りながらも、姿勢を正していたエステラたちにドニスが楽にするように告げる。
……楽にしにくいのは、お前のしかめっ面のせいだっつうの。
やけに長いテーブルの両サイドに分かれて座る。
こちらは、エステラ、俺、ナタリアの順で並んで座り、向かいにはドニス一人が座っている。
ただ、ドニスの隣にはもう一人分、食事の用意がされている。
グラスに入った水が俺たちの前へと置かれる。
「お若い方だと聞いたのでな、酒よりも水がよいかと思ったのだ。酒がよければ言ってくれ」
「いえ、お水で。お心遣いに感謝します」
エステラに合わせるように、ドニスも水を飲むようだ。
……あ、違うな。たしか、デミリーの情報によればドニスは下戸だったはずだ。
だとすれば、日頃からなんだかんだと理由をつけて、相手に酒を飲ませないようにしているのかもしれない。
相手が飲むなら、自分も付き合うか、そうでなければ断りの言葉を告げなければいけないからな。
「すみませんが、飲めないので水で勘弁してください」とは、極力口にしたくはないだろう。
「ん……おいしい」
ドニスに倣い、グラスの水に口をつけたエステラが目を丸くして俺の顔を見る。
いや、見られても。俺は別に美食家でもなんでもないから、水の味についてあれこれ蘊蓄を垂れたりは出来ないんだが……
とりあえず、俺たちも水を飲んでみる。
「……お」
「これは……」
俺もナタリアも、思わず声を漏らした。
確かに美味い。
アルプスの岩清水を飲んでいるような清々しい味わいだ。癖もなく飲みやすい。
「そういえば、三十三区では清酒を製造しているんだったな。この水を使っているのなら、さぞ美味い酒が出来るだろうよ」
それは、ナタリアに向けた言葉だった。
だが、反応を返してきたのは向かいのドニスだった。
「ほう、若いの。よく知っておるな。そなた、酒はやる方か?」
「あ、いや……」
一応エステラとナタリアに目配せをするが……「無難に」と言いたげな視線を返されただけだった。
相手の真意が分からん以上、「無難に」以外の選択肢はないか。
「飲むよりも、製法に興味がある……って感じですかね」
「ほぅ、そうか。いや、若いのに感心だな」
何に感心されたのかは分からん。
だが、たいていこういう物言いをする場合は……
「それに比べて……」
……誰かと比較して、その誰かを咎めたい時だ。
ドニスの視線が、隣の空席へと向けられる。
麹を使った製品に興味を持たない誰かが、その席に座る予定なのだろう。
今このタイミングで紹介するってことは、後継者か……しかし、ドニスは未婚だという話だ。息子などいないはず。
「時に……気を悪くしないでもらいたいのだが……その若い男は、ミズ・クレアモナのフィアンセなのかな?」
「ごふっ!」
隣で水しぶきが上がる。……ちょっとだけ虹が架かった。
「ごほっ、ごほっ! げーっふげふっ!」
ちょっと、むせ過ぎじゃないか? 死ぬなよ。
「その反応……どうやら、違うようだな」
「は、はい……ヤシ……彼とは、そういった関係ではありません。公私共に、友好的な関係を築いていることは確かですが……こほっこほっ」
「ふむ……」
ちらりと、ドニスが俺を見る。
値踏みするような嫌な視線だ。ちょっと癪に障ったので、セクシーなウィンクを飛ばしておいた。
「どふっ!」
ごふごふと、ドニスがむせ始める。
年寄りのしわがれた心臓には、ちょ~っと刺激的過ぎたかな。
「し、……死に神のような笑みだな……」
失敬だな、死に神みたいな顔してるくせに。
「しかし、そうか……そういう関係ではないのか」
「はい。彼は、ソラマメを使った新しい調味料を考案した者でして、麹工場へ同行してもらったんです」
「おぉ、聞いているぞ。たしか、豆板醤だったか……バーサが期待の持てる物だと言っておった」
リベカではなく、バーサから情報を得たらしい。
まぁ、ガキんちょよりはババアの方が話しやすいだろうしな。
「しかし、その若い男は、以前二十九区での会合にも顔を出しておったようだが?」
「それは、その……」
「花火を提案したのも、俺だからですよ。ミスター」
エステラが言いにくそうだったので、俺が自ら名乗り出ておく。
なんとなく、責任をなすりつけてしまうような気持ちにでもなるのだろう。気にしなくていいのに。
「なるほど。では、ここ最近の四十二区の躍進の裏には、常にそなたが関わっておると考えて、間違いなさそうだな」
「きっかけはそうかもしれませんね。ですが、四十二区が躍進を遂げ、今もなお伸び続けているのは、そこに住む住民たちの努力によるところがほとんどですよ」
「ほほぅ……見た目で判断して申し訳ないが、そなたは謙遜などしない男に見えたのだが……なるほど、礼も弁えているという訳か」
ドニスが俺に興味を示し始めた。
眉間のしわが幾分薄らぎ、瞳に光が宿っている。
「ならばなおのこと、ミズ・クレアモナよ。その男を手放さないようにしておいた方がいい。身分の違いがあるとはいえ、失うには惜しい男だ」
「え……っと、あの…………か、考えておき、ます……」
一瞬だけ俺を見て、すぐに目を逸らす。
やめろエステラ。そういう仕草をすると、女の子に見える。
「それとも、アレか……」
ドニスがかさかさに乾いた唇を薄く開き、目をすがめる。
「その男にはすでに心に決めた女がおるのかな?」
「ごふっ!」
むせた。
今度は俺だ。
「なんだ? やはりおるのか? どんな娘だ? まさか娘という年齢ではない女に焦がれておるのか? ババア好きか? 物好きも大概にせねば、婚期を逃すぞ、少年よ」
はっはっはっと豪快に笑い、己のしわしわの頬とあごをざらりと撫でる。
誰がババア好きだ。バーサを見てからまだ時間がそう経ってないうちに縁起でもない言葉を吐くな。……いろいろ想像しちゃって鳥肌が収まらねぇじゃねぇか。
「それで、どこのババアに惚れておるのだ?」
「ババアに限定すんな、ジジイ」
「ヤシロ……!」
遠慮気味ながらも、一応叱ってくるエステラ。
だが、語気が弱いのは「まぁ、そう言われても仕方ない部分はあるよね」と、向こうの非も認めているからだろう。
「ふん! ワシに向かって『ジジイ』とは、いい度胸だな、小童! そんなデカい口を叩くのは、オールブルームの中でも貴様くらいのもんだぞ!」
「いや、あんた裏で『頑固ジジイ』って呼ばれてるそうだぞ」
「マジでっ!?」
なんだろう……思ってたよりもファンキーなジジイだな。
もう、ジジイ呼びでいいんじゃないだろうか?
「まぁ、なんにせよ。迷っておるなら決断は早い方がいいぞ。人生に、やり直しは利かんのだからな」
グラスの水を飲み干し、使用人におかわりを要求する。
そんな動作の後に、ドニスはエステラへと言葉を向ける。
「ミズ・クレアモナ。そなたもだ。なまじ、領主などという立場になってしまった以上、様々なしがらみにとらわれることは仕方がない。だが、後悔だけは絶対しないようにな」
その言葉は、ドニス自身が己の人生を後悔していると言っているようなものだ。
この歳まで未婚を貫き、領主としての責務を果たしてきた一人の男。
その男が胸に抱く後悔というのは、いったいどんなものなのだろうか。
少し、聞いてみたい気がする。
……俺も、結婚なんてもんはピンとこねぇもんなぁ。
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