トレーシーの『癇癪癖』を直し、代わりに『BU』の情報と、多数決での一票をもらう。
悪くない条件だ。双方に利がある。
ただし、それはトレーシーが『BU』の中でうまく立ち回れれば、の話だが。
「あ、あの……オ、オオオ、オオバ、ヤシ、ヤシ、ヤシシシシ…………様」
「怖がり過ぎだっ! あと、そこで終わるとオオバヤシになるから! それもはや別人だから!」
大食い大会での俺のイメージが最悪だったようで、トレーシーはすっかり俺を怖がっている。
言われてみれば、ここに来てから一度も目を合わせてもらっていない。
そして、「怖がり過ぎだ」って怒鳴ったら泣きそうな顔してるし……っていうか、ちょっと泣いてるし!
「大丈夫だ。取って食ったりはしねぇよ」
「せ……『精霊の……』」
「信じろやっ!」
トレーシーが「ぴぃっ!」と泣き、ソファを越えて背もたれの向こうへ身を隠してしまった。
つか、いきなり『精霊の審判』使おうとするとか、失礼極まりねぇぞ、テメェ。俺がしかるべき地位の人間なら即戦争だぞ。
「す、すす、すみません……あの、どうしても……『ウサギさん惨殺事件』が脳裏にちらついてしまって……」
「……四回戦も見てたのかよ。決勝戦を観戦したって言ってたろうが」
「決勝戦『も』観戦させていただいたんです……」
まぁ、とりあえず、俺のイメージが最悪になるシーンばかりをばっちり目撃して帰っていったわけか……まさか、あの一件がまだ尾を引いていたとはな。
しかし、こんなおどおどした性格で領主なんか務まるのか?
ちょっと脅されれば簡単に屈しそうな気がするんだが……
俺の視線を避けるようにソファに身を隠すトレーシー。まるで初めて戦場に引っ張り出された新兵のような怯え方だ。
そんな、小動物のようにぷるぷる震えるトレーシーを眺めていると、控え室のドアが開きネネが部屋へと入ってきた。
「お待たせいたしました。ミルクとお砂糖をお持ちしました」
「ネネッ! 一体どれだけ時間をかけるのだ!? すっかりコーヒーが冷めてしまったではないかっ!」
「も、申し訳ございませんっ!」
……そして、この変わりようだ。
さっきまでぷるぷる震えていたかと思えば、今は仁王立ちでネネを叱責している。般若みたいな顔をして。
「まぁまぁ、トレーシーさん。急にお願いしたこちらにも責任があるから、そんなに責めないであげてよ」
「はいっ、エステラ様。……はぁ、お優しい…………」
……で、今度はとろ~んとした表情で熱っぽいため息を漏らす。
この人、もはや病気なんじゃないだろうか。
さらに言うなら、『BU』の連中で集まれば、これほどの「エステラ大好き病」すらおくびにも出さず、きりっとした顔で他の領主と肩を並べているのだ。
こいつの中には無数の人格がいるのか…………いや、違う。
こいつは、その場その場で、周りの空気に流されまくっているのだ。
「こういう場面ではこうしなければいけない」「こういう時はこうするのが普通」という意識が過剰に働き、感情や衝動すらも凌駕しているように見える。そしておそらくその通りなのだろう。
『BU』の連中は、異常ともいえる同調現象に支配されている。
そんな中、領主という固っ苦しい生き方を強要されていたトレーシーは、幼少期から精神的に相当な抑圧を受けていたと推察される。
情緒不安定にすら見えるこいつの多重人格性こそが、こいつの情緒を守るための術なのではないか……そんな気がしてならない。
ちょっと、試してみるか。
「エステラ、ナタリア。ちょっといいか?」
「へ、なに?」
「お伺いしましょう」
俺はエステラとナタリアに手招きをし、顔を近付けて密談を始める。
トレーシーはいまだネネを不当に叱責しているので聞かれることはないだろう。
「……というわけで、ちょっと試したいことがあるんだ」
ざっくりと、俺の考えを伝え両者の協力を乞う。
俺の睨んだ通りなら、トレーシーはうまく釣れるはずだ。
そして、それがうまくいけば、トレーシーの『癇癪癖』を改善することも容易かもしれない。
「それで、ボクたちは何をすればいいんだい?」
真剣な瞳を俺に向けるエステラに、今回のミッションを分かりやすく伝える。
「俺を可愛がってくれ」
「……………………は?」
間の抜けた顔で硬直するエステラ。
分かりにくかったか? ならもっと具体的に言ってやろう。
「生まれたての子猫を愛でるように、俺のことを全身全霊で可愛がるんだ」
「ヤシロ…………世の中には『不可能』という言葉があってだね……」
「どこが不可能だ!? ちょいちょい垣間見せる俺の中の可愛い部分を、ほんのちょっとオーバーに褒めそやし、もてはやし、時に頬ずりすればいいだけだよ」
「それのハードルが高過ぎるんだよ! 四十二区にもう一個街門を作る方が簡単そうなくらいにねっ!」
「なんでだよ!? 俺、ちょいちょい可愛いだろ!?」
「どこから来るの、その自信!?」
「………………みゅう」
「ごめんヤシロ。グーで殴りたい」
なぜだ!?
こんなにも可愛いのに、なぜこいつには伝わらないんだ!?
「……これだから、感性の乏しいヤツは」
「ボクのせいにしないでくれるかな……」
「それで、ヤシロ様。私たちがその苦行を行うことで、どんなメリットが得られるのですか?」
「さらっと『苦行』とか言うなよ、ナタリア……まぁ、そうだな。メリットというより、最低条件だと言った方がいいかもしれんな」
お前らが俺を可愛がるのは、権利を得るための行為ではなく、義務であると思え。
トレーシーの『癇癪癖』を直し、『BU』へ対抗するための切り札を得るための、避けられない任務だ。
「……そうですか。了解いたしました」
「えっ、……了解しちゃうの、ナタリア?」
「エステラ様も胸を膨らませてください」
「『腹を決めろ』って言いたかったのかな!? ボクの意思でどうこう出来るならとっくに膨らませてるよ!」
「俺を可愛がる」というとても簡単なミッションを躊躇い尻ごみするエステラをナタリアが説得する。
ちらりとこちらに視線を向けるエステラは、色白な頬をほんのりとピンク色に染めている。
「ほ……頬ずりは、絶対しないからね」
そんな、よく分からない最終防衛ラインを独自に設定し、エステラがようやく首を縦に振った。
よし、ならば作戦決行だ!
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