で、振り返るとエステラが立っていた。
俺とルシアがこの雑木林に入っていくのを見咎めて追いかけてきた、とかだろうか?
「君がルシアさんを雑木林に引きずり込むのが見えたから追いかけてきたんだ」
「お前眼科行け!」
あぁ、くそ!
この街に眼科なんかないのか!?
「……まぁ、そんなことはどうでもいいんだ」
「いいのかよ!?」
「いいさ。どうせ、またルシアさんに何かを言われただけだろうし」
さすがに、これだけルシアと関わっていると、どこから問題が発生しているのか察しが付くようだ。
にしても、エステラの元気がない。
「何かあったのか?」
「ヤシ……ロ…………うぅ……っ!」
「おい、どうした!?」
急に泣き崩れたエステラ。
枯れ葉の上にヒザを突いて蹲る。
一体何があったってんだ?
「……メロンパン、売り切れてた……」
「しょーもな!?」
エステラの手には、パン食い競走でゲットしたメロンパンが、それはそれは大切そうに握られていた。
そういや、さっきアッスントが「これが最後の三個だ」とか言ってたっけな。
エステラのことだから、「メロンパンをもらいに行きたいけど、あんまり早く行き過ぎると『こいつ必死か!?』って思われそうだから、もう少し後にしよう」とか思っているうちに売り切れちまったんだろうな、どうせ。
「お昼休憩が始まってすぐにメロンパンをもらいに行こうとしたんだけど、あんまり早く行き過ぎると『こいつ必死か!?』って思われそうだから、もう少し後にしよう……って思っていたら、いつの間にか売り切れてたんだ……っ」
「想像通りか!?」
お前、人生もうちょい捻れよ!
直球勝負がカッコいいのは高校野球くらいだぞ。
「……こうなったら、メロンパンの発売日前日から徹夜で並んで……」
「アホなことしてないで仕事しろ」
「一個じゃ本当の力を発揮できないじゃないか!」
「本来一個で十分本当の力を発揮できてるもんなんだよ、メロンパンは! パンとして!」
ルシアといいエステラといい、メロンパンをなんだと思ってるんだ。
普通に食べれば美味しいメロンパンを手にして、なぜそんなに悲しそうな顔になるのか。
「……ん? あっ! あぁっ!」
落ち込み俯いていたエステラが、不意に俺の手元を見てデカい声を上げた。
「メロンパン、持ってるじゃないか!?」
「ん? おう」
俺の手には、ルシアに渡されたメロンパンとジャムパン。
袋がないので裸で持っている。
「そ、それ、譲ってくれないかい!?」
「お前、さっきあんだけ弁当食って、メロンパン二個も食えんのか?」
「メロンパンは、食べるためにあるんじゃない」
「食べるためにあるんだよ! 遊びに使って残すってんなら、絶対に譲れねぇな」
「食べる! 頑張って!」
「もし残ったら俺にくれてもいいけど」
「食べきってみせる! 死んでも!」
「直接おっぱいに……」
「食べるって!」
くそぅ。
どうしてこいつらはそうまで頑ななのか。
協力し合うことって、美しいことだと思うんだがなぁ……
「というか、もうすぐ午後の競技が始まるんだから、発売してから家でこっそりやれよ。メロンパン二つ買ってよぉ」
「領主が『メロンパン二つください』なんて言えると思うかい!?」
「言えるだろう! 言えない理由が思いつかねぇわ!」
「噂が立ったら困るじゃないか!」
「メロンパン二つ買っただけで、困るような噂が立ってしまう自分のあり方をまず見直せ」
なんとなく、こいつにメロンパンを渡してはいけない気がしてきた。
こいつのためにも。
「譲る気はないのかい?」
「俺もメロンパンが食いたいんでな」
「く……なら、交換条件でどうだい?」
エステラが必死過ぎてちょっと怖い。
なんだよ、交換条件って?
「さっき君の不正密造が発覚した『添い寝券』」
「人聞きの悪い言い方やめてくれる!?」
「あれを……一枚だけ、領主公認で発券しよう!」
「はぁ!?」
「一回だけ、一晩くらいなら、……トレーシーさんと同じベッドで寝ても……女の子同士だし、ジネットちゃんとはしょっちゅう一緒に寝てるし……たぶん、大丈夫!」
あのなぁ、エステラ……
「変態の欲望を甘く見るな! 『一晩くらいなら』だと? 二分あれば十分なヤツは五万といるんだぞ!」
「二分で何が出来るっていうのさ!?」
「お前のすべてを五感にインプット出来る! 温もり(触覚)、寝顔(視覚)、寝息(聴覚)、お風呂上がりのいい香り(嗅覚)、柔らかさ(味覚)!」
「『柔らかさ(味覚)』はおかしくないかい!?」
ばっか、お前!
ほっぺた、二の腕、脇腹、太もも、尻たぶ――
「かぷりつく場所なんかいくらでもあるだろうが!」
「『カプりつく』なんて新しい言葉を生み出すな!」
「まぁ、エステラでなければ真っ先に『おっぱい』が来るところなんだけどな」
「そういえば柔らかいカテゴリーから除外されている!?」
エステラが拳を握りしめているが、今はそんな場合ではない!
「トレーシーに一晩添い寝を許すということは、つまりそういうことだ」
「とんでもない目で見られているんだね、トレーシーさん……っていうか、そこまで危険だと認識している人物に十枚綴りで売ろうとしてたんだね?」
「未遂だからセーフ!」
「都合のいいことを……」
俺も実際売ったりはしないさ。
「売ってあげようか?」って言うだけでいろいろ言うことを聞いてくれそうだから、それを利用しようとしただけで。
「売ってあげようか?」と聞いただけで、「売る」とは言ってないしな。
「それにだ。もし――」
こいつは頭がいいくせに危機管理能力が少々乏しいところがある。
自分の価値を見誤っているというか、警戒心が薄過ぎるというか……
「もし、その添い寝券を『俺が使う』って言ったら、どうするんだよ?」
「………………へ?」
護身術の時だってそうだ。
こいつは陽だまり亭という空間に安心して警戒を怠った。
そのせいで、あと一歩のところでお嫁に行けなくなっていたかもしれないのだ。
……まぁ、原因は俺にも、ほんのちょぴっとだけあるわけだけれども。
…………つか。俺、何回かあいつのおっぱい触ってるなぁ…………お嫁に行けないとか、ない、よな? うん、ないない。大丈夫。だいじょ……うぅ、なんだろう、胃が痛い。
それもこれも、エステラの警戒心が低いのがいけない。
曲がりなりにも貴族の娘だろうに……もっと警戒しろよ! お前も、周りも!
……だから、たぶん、俺には責任とかない、はず。ないない。ないと思……うぅ、胃が痛い。
「………………ゃ」
た~っぷりと黙りこくった後、エステラが呼吸困難に陥った金魚みたいに落ち着かない雰囲気で口を開いた。
「ャ……ヤシロはそんな券使わない…………と、ボクは信じてる」
…………
…………
…………ほ~ぅ。
そうかそうか。
俺は信用されてるのか。
ふ~ん。じゃあさぁ、……その死にそうなくらいに真っ赤に染まった顔はなんなんだよ? 耳の先まで真っ赤じゃねぇか。
素晴らしい信頼っぷりだな、おい。
………………チラチラこっち見んな。
…………
…………
………………だからってじっと見んな!
「ぇ…………ぁの……………………使ぅ?」
「よしエステラ! このメロンパンをやろう! これを持って好きなところでEカップ体験をしてくるがいい!」
「う、うん! そうだね! もうすぐ午後の競技が始まっちゃうしね! じ、時間がないもんね!」
「さぁ、メロンパンだ! 受け取れ!」
「わ、わーい! これがメロンパンかぁ~。ふかふかしていて美味しそうだなぁー!」
「じゃ! また後でな!」
「うんっ、また後で!」
突き出したメロンパンを強奪して、エステラが雑木林の奥へと走っていく。
…………も~ぅ……この空気…………勘弁してくれ……
救いだったのは、エステラも俺の意図を汲んで早々に撤退してくれたことだな。
長引くのはお互いのためによくなかったんだ、さっきの空気は。
……はぁ…………胃が痛い。
「結局、ジャムパンしか残らなかったか」
三つもあったメロンパンは、一つも手元に残らなかった。
まぁ、別にいいんだけどよ。
……はぁ。
出よ、こんな雑草の多いところ。
ガサガサと枯れ葉や雑草を踏み分けて、俺は雑木林から脱出した。
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