「お父様、お呼びでしょうか」
商談がまとまりかけ、エステラが完全外交スマイルを振り撒きながら筋肉ダルマと呼ぶべきハビエルと談笑していると、不意に部屋の外から声がかけられた。
見ると、使用人が押さえる大きな木製の扉の向こうに、きらびやかなお嬢様が立っていた。
輝くようなブロンドの髪は、毛先にゆるくパーマが当てられているようにふわりと軽やかに踊っている。
華奢でスラリとした手足、そのくせ出るところはしっかりと出ている完璧なまでのスタイル。
上質のパールのように艶めく白い肌は穢れを知らぬ純潔さと高貴な美しさを感じさせ、小さな赤い果実のような唇は見る者の視線を釘付けにして離さない。
そして、何より特徴的なのが切れ長で涼やかな瞳。
深い海の底のような静けさと、燃え滾るマグマのような力強さを併せ持った魅力的な瞳をしている。
この瞳に見つめられた者は迷わずこう思うことだろう。
「その瞳に睨まれて叱られたい! 罵られたい!」
どこか、そこはかとなくSっ気を感じさせる気の強そうなお嬢様がそこにいた。
「……へぇ」
まぁ、綺麗だな。
木こりどもが熱を上げるのも頷ける。
「おぉ! イメルダ、来たか」
ハビエルのオッサンが顔面の筋肉を融解させる。
筋組織が崩壊したのかと思うほどのふにゃけた顔になっている。
そんなに好きか、自分の娘が。
「紹介しよう。娘のイメルダだ」
「……どうも」
俺たちを一瞥して、イメルダは素っ気なく挨拶をする。
……ん?
なんか感じ悪いぞこいつ。
「イメルダ。彼女たちは四十二区の領主様の代理の方々だ」
「四十二区の…………そうですの」
イメルダの値踏みをするような視線がエステラに向けられる。
エステラはあからさまなその視線に顔を引き攣らせながらも、なんとか笑みをキープしている。
「それで、ご用件はなんですの?」
エステラに関して、特に感想はないようだ。
つか、こいつ………………何様だ?
一応エステラは領主の一人娘だぞ?
「実はな、四十二区に街門を作るということで、木こりギルドから支部を誘致したいのだそうだ」
「誘致ですって?」
「あぁ。悪い話じゃないだろう? 四十二区に街門が出来れば、これまで行きにくかった森の奥へ行きやすくなるし、四十二区では今後恒久的に木材の需要が……」
「納得できませんわ」
上機嫌に語っていたハビエルの言葉を遮るように、氷のような声を上げるイメルダ。
ハビエルは固まり、同時に室内の空気が凍った。
…………こいつ、何言ってんだ?
「あ、あの。イメルダ、さん?」
「なんでしょうか、『四十二区の』領主『代理』さん?」
節々にイヤミな強調を加えて、イメルダがエステラを見る。
首を傾げ、見下すような面持ちで視線を向けている。
……俺の隣から、分かりやすい殺気が立ち上り始めている。落ち着けナタリア。お前が動くと死人が出るから。
「納得できない……と、いうのは、どういった意味でしょうか?」
「言葉の通りですわ」
「詳しく、お聞かせ願えませんか?」
エステラは立派な貴族だ。
こんな態度を取られてもなお、怒りをあらわにすることなく笑顔で対応している。
……その分、俺の隣の女のはらわたがグツグツと煮えくり返っているようだが。
「説明の必要がありまして?」
両手を広げ、肩をすぼめる。
アメリカ人が「呆れたよ、まったく」とか言いながらするジェスチャーだ。
実際やられるとこんなにムカつくのか、あのポーズ。
「だって、四十二区ですわよ? オールブルームの最底辺。街は汚く、領民はみすぼらしく、食べるものと言ったら痩せた野菜に硬い黒パン。見るべき名所も無ければ、語るような伝統も歴史も何もない。どこを見ても美しい物など一つもない。そんな無価値な区へ、どうして栄光ある我が木こりギルドが支部を置かなければいけませんのかしら?」
………………あと、二回だけ、我慢してやる。
「幼少期に一度だけ赴いたことがありますけれど、行ったことを後悔しましたわ。街中おかしなにおいが充満していて、病気になるかと思いましたもの。二度と行きたくない場所ですわね。それに、四十二区にはいまだにスラムがあるのでしょう? 危険ですわ」
……あと、一回。
「それは誤解です、イメルダさん」
「あら? どういうことかしら?」
「確かに、かつての四十二区は自慢できるような街ではなかったかもしれません。ですが、ここ数ヶ月で我が街は大きく変わったのです。街は美しくなり、人々は活気に満ち溢れています。それに、スラムについてですが、現在はこちらに拠点を置くトルベック工務店主導のもとニュータウンとして生まれ変わり、平和で開けた地域になっているのです」
「けれど、『所詮四十二区』でしょ?」
………………ゼロ。
「ワタクシ、美しいものを愛でるのが何よりも好きですの。その生まれ変わったという今の四十二区に、ワタクシが愛でるに値するものが何か一つでもお有りになりまして? このワタクシの美しさに見合うものが何か一つでも……」
「エステラ」
俺は、尊大にふんぞり返る金髪お嬢様を無視して、エステラに声をかける。
こんなヤツに構ってやる必要などないのだ。
「その話は後にして、さっさと契約を結んでしまおう。木こりギルドの責任者はギルド長のミスター・ハビエルだ。彼の承認を受け、書類にサインをもらおう。説得は、あとから何時間でも何年でも何世紀でもかけてやってやればいい」
そして俺は、眉根を寄せ嫌悪感をあらわにするお嬢様の目に侮蔑を込めた視線を向けてきっぱりと言う。
「美しさだけが取り柄のマスコットに構うのは、お出迎えとお見送りの時だけで十分だ」
「なんですってっ!?」
そうだ、それでいい。
お前は俺に視線を向けていろ。
重要なのはテメェじゃなく、テメェの親父だ。
もっと言えば、テメェの親父の直筆のサインさえあればそれでいいのだ。
条件的に、ハビエルが今回の契約を断る理由はない。
領主直々に紹介された客人を蔑ろにするとも考えにくい。
ちやほやされて勘違いしちまったお嬢様が何を言ったところで、実務レベルでこの交渉はすでに終結されているも同然なのだ。
ならば、こんな感じの悪いヤツの相手などするだけ無駄だ。
一つ分かったことは、木こりどもは脳みそまで筋肉で出来てるってことだな。
こんな女にこぞって夢中になるとか……あり得ねぇだろ。
顔がいいだけじゃねぇか。
いや、顔にしたって、エステラの方が数段上を行っている。
…………おっぱいだけは惨敗だが。
「俺たちも暇ではないんでね。ミスター・ハビエル。お美しいお嬢様のお話は日を改めてじっくりとお聞かせいただくとして、今は仕事の話をしましょう」
部外者の立ち入る隙をシャットアウトして、俺は話を進める。
お嬢様は部屋の隅っこで俺のことでも睨んでいればいいのだ。
綺麗なお顔が屈辱に歪んでゾクゾクするねぇ。
悪いな、俺もなかなかのドSでね。お前如きに屈伏してやるつもりはねぇんだよ。
「では、ミスター・ハビエル。お話の続きを……」
「お父様っ!」
エステラが書類を差し出し、話を再開しようとしたところで、邪魔な金切り声が割り込んでくる。
「四十二区などに支部を置けば、我が高貴なる木こりギルドの名が穢れますわ! 美しくもない街に木こりがいること自体が屈辱です! ワタクシは絶対に、絶対に絶対に反対ですわ!」
何が美しくもない街だ。
テメェんとこの道路をなんとかしてから言いやがれ。
わがままお嬢様は無視してさっさと契約を……と、ハビエルに目をやって、俺は絶句した。
「この契約、結ぶわけにはいかんな!」
ハビエルが、手のひらを返した。
はぁ!?
さっきまでにこにこと「悪くない」「木こりギルドにとってもいい話だ」って言ってたじゃねぇか!?
「おい、ミスター・ハビエル!」
堪らず、俺はハビエルに詰め寄る。
大人しくしていようと思ったが、こんなバカバカしい空気に当てられちゃ、俺の癇癪も起きまくって盛大にフィーバーしちまうぜ。
「あんた、娘に嫌われたくない一心でそんなこと言ってんじゃないだろうな?」
「オイ、若いの…………」
何十年もの間、危険な森の中で生き続けてきた荒ぶる男の目が、俺をギロリと睨みつける。
凄まじい迫力に全身に鳥肌が立つ。
……こいつに逆らうのは危険だと、細胞が騒ぎ出す。
「…………その通りだが、何かっ!?」
「『何かっ!?』じゃねぇよ!」
細胞の警告など聞いてられるか!
このオッサン、アホだ!
物凄い親バカのバカ親だ!
「ワシの生きがいはイメルダだ! イメルダに嫌われないためにならどんな意見をも覆す! それがワシのジャスティスじゃいっ!」
「堂々と情けないこと抜かしてんじゃねぇよ!」
ダメだ!
このギルド長、公私混同どころか、私的な感情を最優先しやがった!
そんな育て方してるからここまでわがままなお嬢様になっちまったんだろうが。
「さぁ、美しいワタクシがお見送りして差し上げますので、どうぞお引き取りを!」
くっそ、さっきの俺の言葉を引用してイヤミを……ホント、ヤな女だ。
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