「デリアさん、助けてください!」
「うぉわ!? なんだ!? モリー? なんでこんなところにいるんだ?」
河原でデリアを見つけるや否や、モリーがそのきゅっと引き締まったウェストに抱きついた。
「……ほ、細いぃぃ……っ!」
抱きついたままの格好で、モリーが唇をぎゅうぅうっとすぼめる。
まるでデリアの腰が物凄くすっぱいみたいに。
「なぁ、ヤシロ? どうしたんだ?」
「あぁ、いや……なんというか」
「……陽だまり亭は、魔窟なんです……」
うっすら涙目で、モリーが拳を握る。
本日の陽だまり亭は、朝からずっとドーナツを揚げ続けている。
教会のガキどもをはじめ、近隣のガキどもを集めてドーナツパーティーが開催される予定なのだ。……いや、俺が企画したんじゃないぞ。「練習で作ったドーナツが余りそうだからガキどもに処分させればいい」とは言ったが。ついでに、「それでも無理そうならそこらのガキをかき集めてくればどうとでもなる」とも言ったけども、それだけだ。なので、決して俺が企画したわけではない。
――と、そんなわけで、厨房からはとめどなく甘い香りが漂い続けていたわけで、そんなところで働いているとついつい、な。
「あんドーナツが美味しいんですぅ!」
「ん? あぁ、あれ甘くて美味いよな! ……で、なんで泣いてんだ?」
甘い匂いにつられて、モリーが食べたそうな顔をするとだな、それを目敏く見つけたジネットが「おひとついかがですか?」って悪意なく完全善意の固まりで勧めたりするわけだ。でも一応モリーは遠慮するんだけども、匂いと善意と食べたい欲求の波状攻撃に最後は陥落してしまい、ついつい一個、二個、三個と食べてしまったのだ。
「美味しいけどっ、お肉になるんです!」
「ん? あんドーナツがお肉に? なに言ってんだモリー?」
モリーの切実な叫びは、残念ながらデリアには届かなかった。
デリアはカロリーとか気にしたことないだろうしな。
「デリアさんって、甘いものがお好きなんですよね?」
「おう! 大好きだぞ! 毎日食ってる!」
「なのにどうしてそんなに痩せてるんですか!? ウェストなんか、こんなに!」
再びしがみつくモリー。
ちょっとズルくない?
「え、どれどれ?」
「ぅゎはぁああ!? ヤシロはダメだぞ! なんか、ダメだってエステラとかノーマが言ってた!」
「他人の意見に左右されず、自分を信じるんだ、デリア!」
「あたいも、なんかダメな気がする!」
「ちきしょー!」
デリアが恥じらいを覚えてしまった。
出会ったころは、あんなにも無防備だったのに……っ!
「昔はよかったなぁー!」
「ヤシロさん、なんだかオッサンくさいですよ」
モリーが乾いた目で俺を見る。
「で、結局なんなんだよ?」
「それはですね……」
困ったような表情で、ジネットが現在のモリーの状況を説明する。
もはや保護者の立ち位置だ。
「モリーさん、少しお腹がいっぱいになってしまったので、お腹ごなしに適度な運動をデリアさんに教えていただきたいそうなんです」
濁したねぇ。
オブラートにオブラートを重ねて元の表現を包み込んで元の姿が分からないくらいだ。
「腹ごなし?」
「いや、デリア。シェイプアップ体操を教えてやってほしいんだ」
「はい! デリアさんのような体型になれる方法を教えてください!」
「シェイプアップ体操とあたいみたいになれる方法……ん? どっちを教えればいいんだ?」
そうだよな。
デリアみたいな体型になるにはシェイプアップ体操じゃ無理だもんな。
本格的な川漁を教えるかお手軽な体操を教えるか、悩んじゃうよな、デリアの場合。
「……シェイプアップ体操では、デリアさんみたいにはなれないんですか?」
じとっとした目が俺を見る。
いやぁ、モリーは聡いなぁ。……ダイエット商法の真実を見抜いたような目で見るのやめて。
「あの、確かにデリアさんのスタイルは川漁でのお仕事の賜ではあるんですが、デリアさんの体操は本当にシェイプアップに効果があるんですよ。ロレッタさんたちも短期間でダイエットに成功されましたし」
ジネット必死のフォローである。
そんなジネットを見て、デリアが不思議そうな顔を見せる。
「店長がこんな時間に来るなんて珍しいな」
現在、時刻は午後の二時前後。
本来なら、遅い昼食を取りに来る職人や、少し早い三時のおやつを食べに来るマダムがチラホラいて、ジネットは午後のティータイムに向けての下ごしらえをしたりしている時間なのだが……
「……今日は、もうほとんどドーナツばかりでして」
やや硬い笑顔でジネットが言う。
そう。昨日のインパクトが強烈過ぎたのか、今日は朝からドーナツしか売れていないのだ。
あんドーナツにカレードーナツ。他、クリームやジャムドーナツを買いに来る客ばかりだった。
常連の大工どもも、カレードーナツを大量に買い込んで帰っていく始末。現場で見せびらかしながら食うんだそうだ。
朝飯を食いに来た大工どもは、ウーマロの口から漂う微かなチーズ臭に「ピザトーストを食ったのか!?」と詰め寄ったりしていたが、「ピザトーストなんか食ってないッス。オイラはただ、ピザを食べただけっすよ、ピザを」と、ものすっごい自慢げに語られて「棟梁ばっか、いつもズルい!」と歯噛みしていた。
「ヤシロさん! どうして棟梁だけは開店前の陽だまり亭に入れるんですか!?」とかいうクレームも来たのだが……言われてみれば、アイツなんでさも当然みたいな顔して開店前の店内に紛れ込んでたんだ?
いかんな。すっかり関係者枠に入れてしまっている。
今度から別料金取ろう。あ、あいつ払うな、普通に。マグダへの課金は惜しまないヤツだし。
話は逸れたが、そんな感じで朝から新しいメニューばかりが注文され、ジネットの出番はほとんどなかったのだ。
温度調節や揚げ加減を朝のうちに散々練習していたマグダとロレッタが「「折角覚えた(です)から」」と、きらきらした目でジネットに訴えかけて、ドーナツ類は二人でかわりばんこに調理していた。
おかげで、今日はジネットがフロアで接客を担当していて、常連たちに珍しがられていた。
昔はジネットも接客をしていたが、最近は厨房にこもっていることが多くなったからな。「珍しい」とか「ラッキー」とかいって好意的に受け入れられていたのが印象的だ。
さほど頻繁には来ないウッセが、今日に限って昼飯を買いに来ていたが、ありゃあ絶対ジネット目当てだったな。
あの揺れる乳マニアめ。あいつにだけは拝観料を請求してもいいと思う。
売れるのがドーナツばかりで、その多くが複数買いの持ち帰りだったせいもあり、店に客が滞在する時間も今日は極端に少なかった。
大工たちみたいに自慢したいってヤツらもいたし、職場で飯を済ませて時間を節約したいというヤツもいた。
いつもなら、時間がない時は陽だまり亭に行くのを諦めているなんて客が「ドーナツなら持って帰れるからね」と顔を出したことはよかったかなと思えるが、それでも、全体的に客の滞在時間が減れば当然接客の仕事も減る。
モリーとジネットは昼のピーク時にも結構ヒマを持て余していた。
「ジネットの見立てでは、今日は夕飯まで料理は出そうにないんだと」
「はい。この後はケーキを召し上がる常連の方が数組見えられて、それからは少し客足が落ち着いて、夕方お肉料理がいくつか出るかなぁ、という感じだと思います」
その読みは、俺も正しいと思う。
新しい物好きの四十二区民がこぞってカレードーナツなんかを買っていったが、昼にパンだったので夕飯はがっつり食いたくなるだろう。
そんな気がする。
ジネットはそうなることを予想していたようで、朝の仕込みをほとんどしていなかった。カレードーナツの中身を仕込んでいたくらいだ。
予想は的中し、想像通りに事が運んでいる状況ではあるが……料理が出来ないジネットは少し寂しそうに見えた。
なので、一緒に連れてきたのだ。
こういう機会はあまりないし、一過性のブームが過ぎればまた外出しにくくなるかもしれないし、な。
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