「俺の知り合いの、とあるワニ顔の農家に聞いたんだが……」
「モーマットさんですね」
「いや、まぁそこは匿名希望だ」
「モーマットさんですよね?」
「詮索するなって」
「…………」
アッスントは、俺に何かを言うのを諦めてモーマットに視線を向ける。
視線を向けられたモーマットはあからさまに狼狽し、わざとらしい口笛と共にぎこちなく顔を背けた。……あいつは役者にはなれないな、絶対。
「野菜の取引値を落とすよう言ったそうじゃないか」
「えぇ……まぁ、そうですね」
腹を決めたのか、アッスントがゆっくりとこちらに向き直る。
俺を睨みつけるその瞳は、完全に戦闘モードになっていた。
「災害の影響でしばらくは品質が落ちるでしょうからね。今までと同じ取引値でというわけにはいきません」
この辺りの話は、事前にモーマットから詳しく聞いてある。
パウラが言っていたことと同じような条件で取引を持ちかけられていた。
すなわち、「これまで100Rbで引き取っていた野菜が、今後は20Rbになる。ただし、今ある在庫を5Rbで譲ってくれれば、今後40Rbでの取引をしてもいい」――と。値段の動きが逆向きではあるが、手法は同じだ。
『今損をすれば、今後の損失が少なくて済みますよ(ただしどっちにしても損失は出るんですけどね、ケケケ)』という戦法だ。
まぁおそらく、アッスントあたりがマニュアルを作って支部の人間に同じようなことをさせているのだろう。同様の取引を持ちかけられた者が余りに多かった。過半数超えだ。
「それから、この通りにある酒場で働く某イヌ耳の店員に聞いたんだが……」
「パウラさんですね」
「匿名希望だ」
「……それで、なんですか?」
アッスントもようやく分かってくれたらしい。
こういうのは、情報提供者の身分を開示しないのが大人のマナーだ。
テレビで犯罪者にインタビューしたりする際も、視聴者の「いや、逮捕しろよ!」という意思は無視されて協力者の身元は徹底的に隠される。
そういうもんなのだ。
「飲食店には、『災害で食糧が減ったから』卸値が高くなると、そう言ったな?」
「広義の意味では不足していますからね」
『街全体を見れば』確かに食糧は減っただろう。
「農家の方が野菜の取引に難色を示されていましてねぇ。……いえ、農家だけでなく、生産者の方々が、ですね」
アッスントに責任の矛先を向けられて、生産者一同は視線を外し押し黙ってしまう。
だが、何も目を逸らす必要はない。買い叩かれているのがハッキリ分かるような値段でなど売れない。そんなもん、どこの世界の人間だって同じだ。恥じる必要などない。
「物が入ってこなければ物価は上がります。私どもには、どうすることも……」
……「出来ない」とは、言わなかった。フェードアウトだ。その後で首を横に振るジェスチャーをしてみせる。
『嘘』を『口にしなければ裁けない』……、『精霊の審判』の欠陥をうまく突いた手法だ。
「確かに、物が入ってこなければ物価は上がる。だがな……」
『精霊の審判』が欠陥品なので、こういうところで俺が苦労しなければいけなくなる。
もし精霊神に会うことが出来るのならば、聞かせたい文句は山ほどある。
だが今は、目の前の敵に集中する場面だろう。
「物をあえて入ってこさせなくても物価は上がるよな?」
「…………」
その無言は肯定か?
要するに、市場に流通しなくなればその物の価値は上がる。
当然のことだ。
「常々疑問に思っていたんだが……行商ギルドは『区を越えて』商売が出来るギルドだよな? 支部もたくさんある」
俺を睨み、視線を逸らさないアッスント。
勝負どころを弁えているヤツだ。
今俺から目を逸らせば、心に『やましいところがある』と自白するようなものだ。
つらくても、視線は外せないだろう。
「なぜ、他の支部から食糧が回ってこないんだ?」
各区にネットワークを張る行商ギルド。
なら、どこかの区で不足している物があれば、余剰分を融通するのが普通だ。
だが、こいつらはそれをしない。
なぜか?
「私は、行商ギルドでも下っ端……最底辺の区画を任されているだけの身ですから。上層部に意見することなどとてもとても」
そんな組織があって堪るか。
現場の意見がすべて黙殺されるようなシステムでは破綻してしまう。
四十二区に食糧が流通していない理由はただ一つ。
こいつらが儲けるためだ。
けれど、折角意見を言ってくれたんだ。そいつを利用させてもらおうかな。
「なるほど。四十二区では、飲食店が店を開けられないほどに物価が上昇し、住民が飢えに苦しむほどに食糧が不足しているにもかかわらず、行商ギルドとしてはそんな瑣末な話に傾ける耳など持っていないと、……そういうわけか?」
「そうではありません」
「ほう、では言い分を聞かせてもらおうか」
「一度他区の食品を流通させると、その後も同様に品物が入ってくるようになります。どこも、売り上げは伸ばしたいですからね。今回のことを恩に着せ、不利な交渉を持ちかけられることでしょう。格下の私には太刀打ちできません」
同情を誘うように、アッスントは肩をすくめて泣きそうな表情を見せる。
当然、泣くわけなどないが。
「そうなれば、四十二区内の価格は崩壊。生産者の方々はさらに窮地に追いやられます。なにせ、ここよりも上位のギルドから、よりよい品物がより安く入ってくるのですから……」
そこでたっぷりと間を開けて、舐めるように一同を見渡す。
「……それでもよいと、おっしゃるのでしたら、私は別に…………」
「今も似たようなもんだろう」
アッスントのイヤらしい視線にさらされ委縮していた四十二区の住民たち。
これまではそれでうまくいっていたのだろう。今以上の不利益があることを分からせ、不敵な笑みを浮かべて「どうしますか?」と判断を迫る。
立場の弱い者はその条件を受け入れざるを得ない上に、自分の意思で決断をしたという事実を作り上げられて、反論も抗議も出来ない。
だが……
「なぁ、モーマット。お前、今蓄えはいくらある?」
「蓄え!? そんなもんあるわけねぇだろ! 仮にあったって、スズメの涙ほどだ」
モーマットの答えは、周りにいる者たちからうんうんと賛同を得ている。
どこも同じようなものなのだろう。
「じゃあ、ここにいる四十二区の住民すべてに尋ねる!」
俺は両手を広げ、声を張り上げる。
この場にいる者すべてに問いかける。
「今現在、窮地に立たされていない者はいるか!? ゆとりがあり、現在の生活に満足している者はいるか!?」
返事は………………ない。
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