馬車が停まり、ドアが外側から開かれる。
「昨日ぶりの再会だな、友達のヤシロ」
ドアを開けてくれたのはギルベルタだった。
自宅の玄関先まで迎えに来てくれた室内犬のような目をしている。
「ちゃんと寝たか?」
「大丈夫、私は。寝なくても平気」
つまり、寝てないのか。
昨日は泊まる気満々なところを連れ帰られて、しかも、ほっぽり出した仕事を終わらせ、そして今朝は早くから今日の準備に追われていたことだろう。ゆっくり眠れるような環境と心情ではなかったはずだ。
少し目が赤い。
「ちゃんと寝なきゃダメだぞ」
「うむ。友達の言うことはちゃんと聞く、私は」
そう言って、馬車の中へと乗り込んでくる。
ドアの前、俺の隣の一人分あいた席に腰を下ろすと俺にもたれるように体を寄せて肩に頭を載せた。
「おやすみなさい」
「いやいやっ! 今寝るなよ!?」
降りるんだよ、これから!
こいつはこれを冗談ではなくやっているからな…………って、もう寝息立ててんじゃん!?
「うふふ。ヤシロさんは、誰とでもすぐに仲良くなりますね」
「変に懐かれてるだけだよ……」
ギルベルタの頬をぺしぺしと叩き、目を覚まさせる。
と、突然、胸ぐらを力任せに掴まれた。
「…………ワタシノネムリヲサマタゲルノハダレダ」
「寝起き悪過ぎるだろ、お前!?」
今寝たところで、もうそれか!?
一泊させるの不安になってきたよ。
「ギルベルタ。今日、ボクらはルシアさんに呼ばれて来たんだ。起きて案内をしてくれないかい?」
「む……そうだった。職務をきちんとこなすと約束したのだった、私は、ルシア様と」
職務をきちんとこなすという条件で、休みをもらう約束でもしたのだろう。
急にきりっとした顔つきを見せる。
「案内する、ルシア様のもとへ」
馬車を降り、ドアを開けて俺たちの降車を手伝ってくれる。
こういう時の仕草は、さすが給仕長と言うべき凛々しさを感じる。
……まぁ、だから、ナタリアと変なところでよく似てるんだよな。
馬車を降りた俺たちは、一度館の中へと招き入れられルシアに会いに行く。
この後すぐに出掛けることになるのだが、領主が外で待っているなんてことは考えられないことらしいのでわざわざ迎えに行くのだ。
面倒くさいが、貴族ってのはそんなもんなんだろう。
何かある度に庭先でわくわくそわそわ待ち構えている貴族なんてのはエステラくらいのもんだ。むしろエステラはそっちから出向いてくることの方が多いからな。
前回押しかけた私室ではなく、広い応接室へと通される。
執務室のように書類が積まれているようなこともなく、天井の高い広々とした空間だった。ただ、開放的かと言われれば……むしろ、整い過ぎていて息が詰まりそうな感じを覚えた。
「よく来たな、エステラ。そして四十二区の諸君にカタクチイワシ」
「俺だけ仲間外れにしてんじゃねぇよ」
四十二区の諸君に含めとけよ、俺も。
「ウェンたん、ミリィたん、やほ~」
「砕けるなっ!」
身に纏った威厳が台無しだ。
こいつ、貴族社会にいなければ本当にダメ人間になりそうだな。
むしろ、貴族社会にいるせいで抑圧された反動かもしれないけれど。貴族は人間ばかりで、獣人族との接点が少なそうだもんな。
「今日は、少し難しい相手に会ってもらおうと思う」
「難しい……というのは?」
ルシアの言葉に、俺たちを代表してエステラが問いかける。
難しいといえば、気難しい頑固者を思い浮かべてしまうが……果たして。
「かつて、貴族と結婚をし……酷く傷付けられてしまったアゲハチョウ人族の女性だ」
招待された全員が息をのむ。
貴族――つまり、人間との結婚によって傷付けられた虫人族。
想像していたことではあるが、改めてそう言われると、なんつうか……心につまされるものがある。
やっぱり、俺が人間だから……だろうか。
「カタクチイワシ」
言葉だけを拾えば、こいつは何をふざけているんだと思いがちだが……ルシアは至って真面目な顔で俺を見つめてくる。
まるで試されているような、そんな緊張感を覚える。
「その目で見るがいい、この街にはびこる目に見えぬ呪縛を」
見えないものを見ろとか、無茶ぶりが過ぎる。
将軍様に無理難題を押しつけられる一休の気分だ。
人間に対し恨みを持つ者に直接会い、その目で見てみろというわけか。
この街の住人の、心の奥底に深く食い込んでいる、恨みの根を。
「……ヤシロ」
無言でルシアと睨み合っていると、エステラがそっと耳打ちをしてくる。
「アゲハチョウ人族って……」
そこで言葉を切ったエステラ。
しかし、それだけで十分俺の記憶を呼び起こしてくれた。
アゲハチョウ人族といえば、以前ウェンディの両親がぽろっと漏らしたことがある名だ。
「亜種のアゲハチョウ人族でさえあんな目に遭わされたんだよ」――きっと、虫人族の間では有名な話なのだろう。
人間との結婚によって傷付けられた、悲劇のヒロインとして……
「では、出向くとしよう。ギルベルタ」
「はい」
ルシアの合図を受け、ギルベルタが先頭を切って歩き出す。
その後にルシアが続き、俺たちは固まってルシアの後を追う。
「馬車は使えない、花園へ行くには。なので我慢してほしい思う、徒歩で向かうことを」
花園には虫人族が大勢いる。
そんな場所へ貴族が馬車で乗りつけでもしたら、きっと虫人族を怖がらせてしまうに違いない――という発想から馬車を禁止しているのだろう。
それは少し考え過ぎな気もするが……そういう『配慮』が、虫人族たちを安心させているのかもしれない。
この街にはこの街のルールがあるのだ。
いささか、気を遣い過ぎているような気もするけどな。
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