「……ヤシロ。店長」
トラックの中でレースを見ていると、マグダが声をかけてきた。
この次が十五歳未満のラストレースのようだ。
「……必ず勝つ」
「おう。期待しているぞ」
「……任せて」
「応援していますからね」
「……うん」
短い言葉を交わして、マグダが選手待機列へと戻っていく。
どこかぎこちない後ろ姿に、ジネットがくすりと笑みをこぼす。
「緊張、されているんですね」
「みたいだな。珍しい」
「マグダさんは、結構あがり症な方だと思いますけど?」
「そうか?」
「はい。いつも緊張を悟られないようにされていますけど。毎朝、開店前にも少し緊張されているようですし」
そうだったのか。
だとするなら、俺はすっかり騙されていたということになるが…………俺の前ではあんまりそんな素振りは見せてないんだけどなぁ。
「ヤシロさんがいる時は、あまり緊張されないみたいですけどね」
最後にそんなことを言って、ここ一番の笑顔を俺に向けてくる。
マグダの意外な一面を知った俺の驚く顔を見て満足そうな様子だ。それぞれに知らない一面があるもんだな、まだ結構。
俺も、マグダだけの前で見せる顔やロレッタの前だけで見せる仕草なんかがあるのかもしれないな。自覚がないだけで。
ジネットの前でだけって表情は…………まぁ、あるんじゃねぇの、多少は。よく分かんねぇけど。
そうして、いよいよラストレースが始まるのだが……
「モリー!?」
青組にモリーがいた。
四十区砂糖工場の実質的最高責任者であり、ニート兼ストーカーのメイクタヌキパーシーの妹。……なんで参加してんだ?
「モリー! 兄ちゃんの将来のためにも、一等を取って青組に貢献してくれー!」
「……兄ちゃん、うるさい…………恥ずかしいなぁ」
あぁ……パーシーに頼み込まれたんだな、きっと。
「将来のためって、どういうことなの? パーシー君?」
「ネッ、ネネネ、ネフェリーさん!? そ、それは、その、あのっ、あれっす! 四十二区との関係をいい感じにしといた方がいい感じっつーか、そーゆー感じのあれっす! はい!」
「そっか。じゃあ、勝ってエステラの好感度上げておかなきゃね」
「(領主さんじゃなくて、オレはあなたに……っ!)……そ、っすね。あはは」
……ヘタレ。
「ヘタレッスねぇ……」
ウーマロも乾いた視線を向けている。
パーシーを知っているヤツの中で、ネフェリー以外の全員がそのヘタレさ加減に呆れていることだろう。
「ふふ。パーシーさん、モリーさんの応援に力が入ってますね」
あぁ、ここにも一人、呆れてないヤツがいた。
「モリーさんって、足が速いんでしょうか?」
結局、次のレースの準備が始まってしまい応援席へ戻れなくなった俺たちは、ラストレースもトラックの中から観戦していくことになった。
「さぁな。獣人族の身体能力は極端だからな」
ネフェリーたちはさほど身体能力は高くない。
一方でマグダやデリアみたいな連中もいる。
果たして……
「位置について、よぉ~い……」
――ッカーン!
開始の鐘が鳴り響き、選手が一斉に走り出す。
突風のような勢いでマグダが駆け抜けていく。
『赤モヤ』無しでも、マグダの身体能力は四十二区トップクラスだ。
だが――
「速いっ!?」
驚いたことに、モリーはマグダの速度にぴたりとついていった。
微かに出遅れたようで、マグダの50センチほど後方を恐ろしい速度で追いかけている。
予想外の強敵に、背筋が一瞬冷える。
「マグダっ、行けぇ!」
思わず声が出てしまい、その直後、ほんの一瞬マグダの速度が跳ねあがった。
そしてそのままゴールテープを切る。
「……ほっ」
なんだか妙に安心して息を吐く。
で、気付いたのだが、俺は息を止めていたらしい。
手に汗握るというヤツか。……はは、マジで手汗かいてる。
「…………はふぅ……緊張しました」
隣で、ジネットがへたぁ~っと、座り込んでしまった。
ここまで緊迫した勝負を見せられると、見ている方にも力が入ってしまうのだな、と、改めて実感させられた。
「はぁ……はぁ…………やっぱり、速過ぎる……よ、マグダちゃん…………はぁっ……はぁっ……」
ゴールライン横で、モリーが膝に手をついて肩で呼吸をしている。
相当無理をした様子で、呼吸が激しい。
「大丈夫ですか、モリーさん?」
「はい…………なん……とか………………はぁ……はぁ」
あまりの疲弊ぶりに、ジネットが不安そうな顔で声をかける。
今にも倒れそうだ。
「あんなニートのためにここまで全力で……いい妹だな、モリーは」
「ヤシロさん、パーシーさんはニートでは……」
いやいや、パーシーの職業は『ニート』だろ?
でなきゃ『ストーカー』か。
「兄ちゃんの……ためというか…………」
幾分落ち着いたようで、胸で大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した後、体を起こして顎を伝う汗を腕で拭う。
おぉ……スポーツ少女みたいだ。すごくキラキラして見える。
「私がちゃんと監視してないと、絶対羽目を外しまくりますから……兄ちゃん」
なるほどな。
ホント、出来た妹だなぁ、この娘は。
「……ヤシロ」
モリーの呼吸が整ったところで、マグダが俺たちのもとへとやって来る。
首から勝利のメダルをぶら下げて。
「……勝利は我が手に」
「よく頑張ったな」
「……店長も、見ていた?」
「はい、お二人ともすごく速くて驚きました」
「……当然」
するとマグダは誇らしげな無表情でモリーの肩を抱き寄せる。
「……密かに特訓を施した。モリーは、マグダの弟子」
「そんなことしてたのか!?」
「……マグダくらいになると、他区から指導を頼まれるもの」
いつの間に……
マグダのスプリント講座とか、始まっちゃう感じか?
「私がお願いしたんです。兄ちゃんが区民運動会の話を聞きつけて、ずっと浮かれていたから」
「……仕事の合間に速く走るコツと呼吸法を伝授した」
「兄ちゃん、絶対四十二区のみなさんに――特にニワトリさんのいるチームにご迷惑かけちゃうから、妹の私が少しでもフォロー出来るように、戦力にならなきゃって……」
そんな理由で、この数日でマグダ流走法をマスターしちゃうお前がすげぇよ、モリー。
……あと、ネフェリーのこと名前で呼ばないんだな。面と向かった時は「ネフェリーさん」って言ってた気がするから…………そこはかとなくわだかまってそうだな、モリーの中で。
「モリーちゃ~ん!」
と、向こうからニワトリが駆けてくる。飛びそうな勢いで。
だから、お前の突進は真正面から見たら怖いんだって、ネフェリー!
「すごい、すごい! モリーちゃんって、足速いんだね! 私、感動しちゃったぁ!」
「でも、二番なので……」
「そんなことない! 十分だよ! すっごくカッコよかったよ!」
「あの……どうも……」
きゃーきゃー言いながらモリーに抱きつくネフェリー。
モリーはどうしていいのか分からず、されるがまま、小さな体を揺さぶられている。
ただ、照れながらも少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
小さい頃に両親を亡くして、バカ兄貴と二人きりだったんだもんな。
こういう温もりに飢えているんだろう。
「もう! モリーちゃん、妹にしたい!」
「どっふぅぅぅううううううーーーーーーーーーーーー!」
なんか、遠くでタヌキが鼻血を吹きながら倒れた。
よし、放っておこう。いや、埋めよう。
「ナタリアー! ばっちぃからさぁ――」
「はい。埋めておきます」
「あの、モリーさん……お兄さんが……」
「あ、大丈夫です。放っておいてください」
テキパキと、ナタリアがヨゴレモノを片付けていく様をジネットがおろおろと見ているが、モリーは慣れたもので、さら~っと流していた。
……ネフェリー、お前、罪作りだよなぁ。
「ヤシロ。青組は、目立った選手はいないけど、バランスはいいのよ。負けないからね!」
モリーを抱きしめながら、ネフェリーが俺に宣戦布告を突きつてくる。
と、思ったらトサカがぷるぷる震えて――
「もし、優勝したら、さ……その、ヤシロが…………ご褒美、くれる……んでしょ?」
まだそんな噂が……
一応、優勝者が好きなヤツを嫁や婿にもらえるなんてルールはないと、開会宣言に盛り込まれていたんだが……ご褒美の方は根強く残っていやがるようだ。
「さぁ、それは優勝したチームだけが知ることだな」
「ふふ……そっか。じゃ、絶対優勝して確認しなきゃね! 行こっ、モリーちゃん!」
「あ、はい。……失礼します!」
ネフェリーに腕を引かれながら、傾く体で俺たちに頭を下げて立ち去るモリー。
なんであの兄貴に育てられてあんないい娘になったんだろうなぁ。反面教師か。
「……反面教師」
「マグダさん。悪いですよ」
「……みたいな顔を、ヤシロがしていた」
「ヤシロさんはそんなこと……ねぇ?」
「マグダ、お前……俺の心が読めるのか?」
「ヤシロさん。……もう」
いや、だって。
兄貴の方は汚物として土に埋められてるわけだし。月と汚物じゃねぇかよ、あの兄妹。
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