異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

394話 生きて -3-

公開日時: 2022年10月10日(月) 20:01
更新日時: 2022年10月11日(火) 13:09
文字数:3,926

「嬢ちゃんよぉ。ここにいたのがメドラじゃなくて、ワシでよかったな」

 

 成り行きをじっと見守っていたハビエルが口を開く。

 肩の力が抜けたような、柔らかい声だった。

 

「ワシじゃなかったら、最初の仕出かしでお前さんはミンチになってたかもしれねぇぞ」

 

 がははと笑うハビエルだが、あながち冗談でもない。

 ハビエルは、ずっとマーシャを止めてくれていた。

 

 マーシャは、バロッサに対し――港の建設を邪魔した情報紙発行会に対し、相当怒っているようだ。

 何度か無言で水鉄砲を放とうとしていた。

 親友のエステラに対する無礼が度を過ぎた時とか、一切の反省が見られない発言をしやがった時とかにな。

 

 ま、当のエステラが怒ってないから、せいぜい威嚇射撃程度のつもりだったんだろうけど。

 澄ました顔をしてるが、マーシャが怒っていることはよく分かる。

 目元が涼しいったらありゃしない。

 

 一方のエステラは、いつもと変わらない微笑を湛えている。

 

「というわけで、みんな。そういう感じでいいかな?」

 

 苛立ちを隠すことなくバロッサを睨みつけている領民たちに、エステラは明るい声で語りかける。

「もう、矛を収めようよ」と、提案するように。

 

「みんながボクのために怒ってくれたことは、すごく嬉しかったからさ。ね?」

「……まぁ、エステラがそれでいいって言うなら、別にいいけどさ」

「うん……私も、エステラがいいなら、いい、かな」

 

 パウラとネフェリーが言って、周りの者たちも不承不承という感じでそれに賛同する。

 誰も本気で殺したいとは思ってなかった。

 ただ一言、心からの謝罪が聞ければ、それでよかったのだろう。

 

「ま、私は許しませんけどね。かくごー!」

「主の思いを率先して踏みにじるなよ、給仕長!?」

 

 ナイフを振り上げてバロッサに襲い掛かろうとしたナタリアを止める。

 俺程度で止められるなら、全然本気じゃなかったってことだけどな。

 

 そんなナタリアの行動に、思わず笑いが零れたヤツが何人かいる。

 その笑いは伝染し、辺りを覆っていた殺伐とした空気が一気に晴れていく。

「もう、ナタリアは~」なんて、パウラたちも笑い出す。

 

 これを狙ってやったんだとしたら、本当に主思いの有能な給仕長だよ、お前は。

 たぶん、お前以外の誰にも出来なかっただろうからな。

 

「そういうわけだから、マーシャ。彼女のこと、頼めるかい?」

「ま、いーけど、別に」

 

 ぷっくりと頬を膨らませて、分かりやすく不機嫌さをアピールするマーシャ。

 そういう態度を取ってくれている方が安心する。

 マーシャの場合、怒りを隠している時の方が恐ろしい。

 

 人魚はもともと人間と争っていた種族なのだ。

 マーシャは種族に対する憎悪や偏見を持ち合わせていないようだが、それでも、まったくゼロかと言われれば、それはきっと難しいことなんだと思う。

 親族や知り合い、そう遠くない関係者が人間とのいざこざで犠牲になっている可能性もないではない。

 

 マーシャは感情を隠すプロだからな。

 寂しさも怒りも屈託も、みんなあの笑顔の下に隠してしまう。

 

 だから殊更、注意深く見ていてやらないとな。

 

「アッスント君~?」

「はいはい。なんでしょうか?」

「人が入れる木箱って用意できる? 農業ギルドに卸す肥料が入ってたヤツとか」

 

 それって、馬糞や牛糞が詰まってた木箱か?

 ニオイで死ねるぞ、その密封空間。

 

「小麦を詰め込んでいた木箱でしたら」

 

 ラーメンを披露する出店が多く軒を連ねるイベント会場。

 確かに、大量の小麦が持ち込まれているようだ。

 小麦なら、多少服が汚れるが、死ぬほど臭くはないだろう。

 

「じゃあ、それに詰め込んで港に運んであげて。あとはウチの船で適当な町まで連れて行くから」

 

 マーシャにしては珍しく、語尾も伸ばさなければ『☆』が付きそうな甘えた口調でもない、実に淡々とした物言いだ。

 こんなしゃべり方も出来るんだな。

 

「ありがとうね、マーシャ」

「お礼を言うのは早いかもよ~? 海の真ん中に捨てちゃうかもしれないし★」

「マーシャは、海を汚すような不法投棄はしないでしょ?」

「……ま、海は大切だしね」

 

 バロッサがどこへ連れて行かれるのかは、マーシャの気持ち一つだ。

 何もない田舎なのか、栄えている都会なのか。

 はたまた、激しい争いが続く戦地かもしれないし、何もない荒野かもしれない。

 

 どこにせよ、そこで生きていくのは相当つらいだろう。

 言葉を商売道具にしていたバロッサにとって、言葉が通じない場所へ行くのは、おのれのすべてを取り上げられることに等しい。

 

 まぁ、逆に言えば、言葉が通じないからこそ、屈折した悪意に満ちた言葉を使わずに済むともいえるか。

 まっとうに生きるしか道がなくなれば、こいつも少しは変わるだろう。

 

「ねぇ、そこのま~ったく反省してなさそうな元記者ちゃん」

 

 マーシャが、いまだ地べたにへたり込んでいるバロッサを呼ぶ。

 

「エステラに免じて逃亡を助けてあげるけど――」

 

 にっこりと、笑みを深めてマーシャが言う。

 

「私が望んだあの港の完成を邪魔したあなたを、海漁ギルドのほとんどの者が恨んでいるって……絶対に、忘れないでね」

 

 あまりの迫力に、バロッサはもちろん、マーシャのそばにいたハビエルやエステラ、それを見守っていた群衆の誰もが声を発せなかった。

 ノドに栓がされたように、何の音も出せなかった。

 

「……は、はい。ご迷惑をおかけしますが……よろしくお願いします」

 

 なんとか声を絞り出して、バロッサが頭を下げる。

 もともと地べたにへたり込んでいたせいで、完全に土下座だな、ありゃ。

 

「じゃ、準備が出来たら行こっか」

 

 マーシャが言って、アッスントが木箱の手配に動き出す。

 群衆は、バロッサを意識の端に捉えながらもなんとなくその場を離れていく。

 少しずつバロッサの周りに空間が出来ていく。

 

 完全に元の空気に戻るのは、バロッサがいなくなってから、だろうな。

 

「あの」

 

 そんな中、へたり込むバロッサに声をかけるヤツがいた。

 ジネットだ。

 

「船旅は体力を必要とすると聞いています」

 

 そう言って、パウンドケーキをバロッサに渡す。

 

「よければ、道中召し上がってください」

 

 握らされた包みを見て、バロッサは呆ける。

 涙の跡が残る赤い瞳で手の中の包みを見つめ、そしてジネットへと視線を向ける。

 

「素朴ですが、とっても美味しいケーキです。きっと、気に入ってもらえると思います」

 

 かつてのバロッサなら、パウンドケーキを「貧乏くさい」とか「見た目が地味」とか「華やかさに欠ける」とか、そんな言葉で思いつくままにこき下ろしただろう。

 あいつの書く文章には、体験や考察や検証なんてもんは一切なく、ただただ主観と所見のみだった。感情の赴くままに殴り書きされていた。

 パウンドケーキが誕生した経緯も、その目的も、それが生み出すであろう利益も波及する効果も影響も、一切考慮に入れられない。

 

 自分が気に入ったか気に入らないか。

 それだけが、あいつの書く記事のすべてだった。

 

 でも、今なら分かるだろう。

 この世界に何かが生み出される時、そこには作り手の思いが込められていることを。

 なんてことはない行動が、誰かの心に大きな影響を与えることを。

 

 たった一つの、派手さに欠ける素朴な味わいのパウンドケーキが、絶望の淵にいた人間の感情をどれだけ揺さぶるかということを、こいつは今初めて実感しているだろう。

 自らの経験として。

 

「ありがとう……かならず、いただくわ」

「はい。出来れば、飲み物と一緒に召し上がってくださいね。結構、口の中の水分を取られてしまいますので」

 

 そんなちょっとした注意点を、こっそりと告げる。

 いい面ばかりじゃない。そんな秘密を暴露するように。

 

「……くすっ。うん……、そうする」

 

 バロッサが笑って、目尻を拭う。

 そして、もう一度手の中にあるパウンドケーキの包みに視線を落とす。

 

「……かわいい」

 

 それは、バロッサの口から初めてもたらされた素直な言葉のように聞こえた。

 

「ホントはね、あなたの料理食べてみたかったんだ。みんな美味しい、美味しいって言うんだもん」

 

 どこからの情報かは知らんが、どこに行ったってジネットの料理の評判は「美味しい」になるだろう。

 こいつは一度、『リボーン』を持って陽だまり亭懐石を食いに来たことがあったが、あの時は食う前に帰っちまったからな。

 

「もしさ、アタシがまだ情報紙の記者でさ、これを食べて素直な感想をレビューしたら……みんな、読んでくれたかな?」

 

 もしかしたら、バロッサが本当に書きたかったのは、そういう記事だったのかもしれないな。

 

「はい。きっと、みなさん喜んでくださると思いますよ」

 

 ジネットの返答は、過去形ではなく未来へ続く言い回しだった。

 諦めることはない。まだまだどんなことだって出来るのだと、力強く背中を押すような、そんな思いが込められているようだった。

 

「いつか、……アタシがすっごい面白い記事を書いたら、届けに来るから……そしたら、読んでね」

「はい。楽しみに待っていますね」

 

 そんな未来は来ないだろう。

 どれだけ時間が経とうが、バロッサが再びこの地を踏むことはない。出来ないだろう。

 荷物にしたって、届けるのは難しい。

 四十二区の港を利用するか、三十区の領主がカンパニュラになり、ウィシャートの後ろ盾たちとの関係が完全に断ち切られてすべての干渉を退けられるようになるのを待つかしない限りはな。

 

「さ、準備が出来たよ」

 

 木箱が用意され、エステラがバロッサに声をかける。

 

「……はい」

 

 ここへ来た時とは別人のような、憑き物が落ちたようなさっぱりした顔でバロッサは立ち上がり、自らの足で木箱へと入った。

 木箱に蓋がされ、アッスントが用意した荷車に載せられて運動場を出て行く。

 

 あの荷車の先が、ヤツの未来へ繋がっている。

 その未来が、ほんの少しくらい明るくてもいいんじゃないかと、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

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