異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

無添加61話 来ると思っていた避けられないアレ -4-

公開日時: 2021年4月3日(土) 20:01
文字数:3,769

「さて、まだ時間はあるな」

 

 俺の太腿も、かなり声高にストライキを訴えてはいるのだが、約束だからな。

 ジネットよりかは運動が出来るので、筋肉痛もまだマシな方だ。

 ブラッシングくらいは出来るだろう。

 

「ジネット、ブラシを貸してくれ」

「へっ……こ、ここでやるんですか?」

「部屋に戻るか?」

「う…………あの階段を上り下りするのは、今はちょっと……」

 

 もう一度部屋まで往復させたら朝飯に遅れてしまう。

 少々人の目はあるが、別にやましいことをするわけじゃない。

 事情が事情だ。ここにいる全員理解してくれるさ。

 

「で、では……あの、お願い、します」

 

 そっと、ヘアブラシを差し出される。

 うわぁ、すっげぇぷるぷるしてるな、腕。二の腕がぷるぷるぷる……

 

「あ、あの、早く取っていただけませんか? ブラシが、重くて……っ」

 

 じっと見ていると、徐々にジネットの腕が下がっていく。

 物を持って腕をまっすぐ前に突き出すのは意外としんどい。ジネットならなおさらだろう。筋肉痛なら殊更だろう。

 

 ヘアブラシを受け取り、ジネットの後ろへと回る。

 筋肉痛のため体を捻れないジネットが、視線だけで俺を追う。

 こっち見なくていいから、前向いてろ。

 

 ジネットの背後に立ち、そっと、その栗色の髪に触れる。

 

「ひぅ……っ!」

 

 くすぐったかったのか、ジネットが首をすくめる。

 髪の毛を他人に掬われるとぞくっとすることがあるよな。特に襟足付近は。

 

 そんなジネットに構わず、ゆっくりとブラシを通していく。

 柔らかい髪の毛がふわふわと指に絡み、ブラシを通すと瑞々しい潤いを見せる。

 もはもはと絡んでいた髪の毛がブラシによって整列させられ、室内の光をそっと反射させる。

 

「素直な髪だな」

「へっ……素直とか、あるんですか?」

「マグダの髪は梳かしても梳かしても跳ね返ってな。『もっと撫でろ、もっと梳かせ』って催促してくるんだよ」

「うふふ。じゃあ、わたしの髪もそのうちそうなるかもしれませんよ」

 

 笑ってそう言って、「あの……」と短い言葉を挟んで、照れたように呟きを漏らす。

 

「とっても、気持ちいいです、ので……」

 

 撫でられるのが気持ちいい。

 だからもっと、と。ジネットにしては珍しいおねだり……いや、最近じゃそうでもないか。

 こいつは甘えるのがうまくなった。

 出会った頃の遠慮の塊だったジネットはもういない。

 それはいい変化だと、俺は思っている。

 図々し過ぎるのは困りものだが、ジネットくらいのわがままなら可愛いもんだ。

 

「悪いが、結ぶのは自分でやってくれ。うまく出来る気がしない」

「うまくなくてもいいですよ?」

「勘弁してくれ」

「………………」

「ん?」

「……うでがぁ」

「演技下手過ぎか!?」

 

 痛いのは痛いのだろう。筋肉痛で。

 しかしだからといって真に迫った演技が出来るかと言えば、ジネットの場合不可能と断言できる。

 

 病気の時は甘えてもいい。

 それが陽だまり亭内の暗黙のルールだからな。

 筋肉痛も適用範囲内か。

 

「ほつれ毛が出来ても文句言うなよ」

「言いません」

 

 上機嫌で前を向くジネット。

 長い髪の毛を肩口で束ね、大きめの三つ編みを編んでいると、「わーい」なんて遠慮がちに、でも無邪気にはしゃいだ声を出す。

 こいつは以前、俺に「大きな子供さんですね」と言った。

 どっちがだよ。そっくりそのまま返してやるよ。

 

「わぁ。上手ですよ、ヤシロさん」

「へぇ、そうかい」

 

 出来たての三つ編みを大切そうに両手で包み、にこにこと眺める。

 そいつが綺麗に見えるのはお前の髪質のおかげであって、俺の技術によるところではない。

 

「えへへ。ありがとうございます、ヤシロさん。筋肉痛になってよかったです」

「よくはねぇだろうが……」

 

 こっちも筋肉痛なんだ。痛みとダルさには辟易させられる。

 とはいえ、まぁ……髪の毛を梳かすくらいはどうということはないけどな。

 出来映えに本人が納得したようなので、俺のミッションは終了となった。

 

「はぁ~、やれやれ」

 

 と、振り返ったら、……列が出来ていた。

 

「……ヤシロ、次はマグダの番」

「あたしもお願いしたいです!」

 

 マグダにロレッタ。

 それにナタリアやギルベルタ、イネスにデボラ、その後ろにはノーマとデリアにパウラ&ネフェリーまで並んでいる。

 ……って、こら。

 

「お前らは自分で出来るだろうが」

 

 つか、完璧に出来てんじゃねぇか。

 

「ヤシロ様」

 

 一同を代表するように、ナタリアが一歩前に踏み出す。

 

「今思い出したのですが……実は筋肉痛が」

「痛い思う、私は、この両腕の筋肉痛が」

「我々も同じく、筋肉痛です。ね、デボラさん」

「はい、イネスさん。我々は等しく筋肉痛です」

「みんな、ちょっと遅れてきたんさねぇ~」

「そっか、お前らもか! 奇遇だな!」

「あいたたた~、きっと普段の疲れがたまってたのね」

「忙しいもんね、カンタルチカも、ウチの養鶏場も!」

 

 お前ら……

 

「『精霊の審判』禁止は昨日までだぞ?」

「……ヤシロ、外を見て」

 

 マグダが指を差す窓の外へと視線を向ける。

 

「……まだ日が昇っていないから、セーフ」

「どこルールだ」

「くすくす」

 

 俺たちのやりとりを見て、ジネットが口を押さえて肩を震わせる。

 

「そうですね。精霊神様はまだお休みになられているかもしれませんね」

 

 え、なに?

 精霊神って夜はきっちり寝る派なの?

 お肌の曲がり角とか気にしちゃう系?

 不眠不休で見守ってるわけじゃないんだな、横着しやがって。

 

「ヤシロさん」

 

 俺の手に触れ、俺の指を包み込む。いまだ俺の手の中にあるブラシを再度握らせるように。

 

「少しだけでも、……ね?」

 

 だから、「ね?」じゃねぇっつの……お前はたまに、俺を酷使するよな。

 じゃあ終わったら俺の二の腕を揉み揉みして乳酸を散らしてくれよ。

 ……なんなら、俺が揉み揉みする側でもいいんだけれど。いや、むしろ……

 

「終わったら、わたしが腕をマッサージしますから」

「いや、むしろ俺が揉み揉み……」

「しますから」

 

 頑なだなぁ。

 

 まぁ連中も、昨日あれだけ動いて疲れてないわけはない。

 なのにこんな早朝から手伝ってくれたんだ……ちょっとくらいは、な。

 こんなもんで還元できるのかは分からんが、本人がやれというのだからそれなりに満足はしてくれるだろう。

 

「分かった。ただ、ガキどもが腹を空かせるといけないからそんな時間はかけられないぞ」

「わーいです! さすがお兄ちゃんです!」

「「撫でられるために四十二区に来ました」」

 

 素直に喜びを表現するロレッタとイネス&デボラ。

 無言でガッツポーズをするマグダとナタリア。

 ギルベルタとデリアは一緒になってニコニコしていて、パウラとネフェリーは互いの両手でハイタッチし、ノーマは一人口元を緩ませる。

 

「それで、みなさん。わたしのブラシでも構いませんか?」

「店長さんのなら、全然問題ないさね」

「むしろ、豊胸効果が期待できそうでありがたいです」

「そんな効果はありませんよ、ナタリアさん!?」

「またまた、ご謙遜を」

「ないですからね!?」

 

 もし、このブラシにそんな効果があるのなら、俺は街中の女子の髪を梳かして回らなければいけない。ただ、領主宅には一年くらい通わなきゃいけないだろうけれど。

 

「それじゃ、時間もないしさっさと済ませるか」

「……では、まずはマグダが」

「マグダっちょはいつもやってもらってるじゃないですか! ここは譲り合いの精神です!」

「髪が長いと時間がかかるから、先に済ませた方がいいさね」

「んじゃ、あたいが一番か?」

「アタシの方が長いさね!」

「いや、あたいだろ?」

 

 髪の長さを競い合うデリアとノーマ。

 デリアも何気に長いんだよな。単純に切るのが面倒くさいだけなんだろうけれど。

 

「その隙に」

「えぇ、並びましょうイネスさん」

「便乗する、私は、二十三区と二十九区の給仕長に」

 

 給仕長たちがぐいぐい圧をかけてくる。

 ギルベルタがこういうのではしゃぐのは分かるんだが……イネスとデボラもすっかり褒められたがりになったもんだ。甘やかされたがりか?

 

 で、まぁ。

 こういう感じになると収拾がつかなくなるので――

 

「ミリィ」

「ぇ?」

「ミリィが一番だ。こっち来てくれ」

「みりぃ、で……ぃい、の?」

「あぁ。文句あるヤツいるか?」

「「「…………」」」

「な? ほら、こっち」

「ぅん!」

 

 ミリィだけは自己主張をしてこなかった。

 だからこそ、いの一番に指名した。

 あんまりがっつくと、逆効果になることだって多々あるのだ。

 ミリィくらい控えめな娘が報われる世界の方が、きっと平和なのだ。

 

「……みんな、がっつき過ぎ」

「んだよぉ、お前が言うなよなぁ、マグダ」

「けどまぁ、自重は必要さね」

 

 みんながそれぞれ納得し、なんの目的があるのか分からないイベントが始まった。

 俺は別にカリスマ美容師でも、敏腕執事でもないんだけどな。

 お嬢様方の髪を適当に梳くことしか出来ないんだが、それでいいってんならやってやるさ。今日くらいはな。

 

 筋肉痛で悲鳴を上げる腕ではあるが、こうやって緩やかに酷使してやればそのうち痛みにも慣れるだろう。

 迎え酒ならぬ、迎え筋肉だ。

 効果があるかどうかは知らんけどな。

 

「ぇへへ……なんか、くすぐったぃ……へへ」

 

 目の前の椅子に座って体をもぞもぞ捻るミリィの髪を梳かしながら、こんな朝も悪くないかなと、この時の俺は思った。

 疲れ過ぎて頭を使いたくなかったんだろうな。

 こういう単純作業が、今だけは心地いいと思えたんだ。

 

 筋肉痛は相変わらず酷いもんだが、まぁ、なんというか、とても穏やかな朝だった。

 

 

 

 

 

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