「ミスター・ワーグナー、ミスター・ボックも是非召し上がってください」
エステラが三十二区領主ワーグナー(カーネル)と、三十四区ボック(恰幅)にも席を勧める。
「うむ。では、お言葉に甘えるといたしましょうぞ」
「実は、私はすでにいただいたのですよ。ミズ・スアレスに散々自慢されておりましたので。でも、いただきましょう。これはとても美味しい」
短く頷くワーグナーと、にっこにこ顔で手のひらをすり合わせて寿司に近付くボック。
ルシアは三十五区に戻ったタイミングでボックに自慢をしていたらしい。割と仲がよさそうだ。
「ルーちゃんルーちゃん、一緒に食べようじゃないか」
「ふん。私は後程エステラと一緒にいただく。黙って食っていろ、小太り」
「酷いなぁ、ルーちゃんは」
……ん、思ってる以上に仲がよさそうだな。
「随分と仲がよさそうだな、ルーちゃん」
「ふぁっ!? き、貴様がその名で呼ぶな、カタクチイワシ! 内臓が全部心臓になるかと思ったわ!」
えぇ、何それ。すっげぇ長生きしそう。
でも、ドキドキしたら血管破裂するかも。
「……こほん。仲が良いというか、アレとは幼馴染なのだ」
「え、同じ齢か?」
「バカモノ! アレの方がずっと年上だ! ヤツが幼く見えるのは、頬の肉が余っているせいだ。私よりも十近くも上だぞ、アレは」
ってことは三十代か。
見た感じ、二十三~四に見えるが。
「アレとは昔、婚約しておってな」
「ごっふぅ!?」
マジで!?
えっ、ルシア、婚約者いたの!?
「汚いぞ、カタクチイワシ!」と怒鳴りながら、ポケットから取り出したハンカチを俺の口へと押し当てる。
ぐりぐりすんな。痛いわ。
「親が勝手に決めた許嫁で、世間に公表もしておらぬ。婚約の予約の約束を思わせるような雰囲気を醸し出すという、貴族ではよくあることだ」
「よくあるの、エステラ?」
「ボクには無縁の話だよ」
なかったらしい。
「隣の区であり、関わりの深い区だからな。双方の親がより強固な繋がりを求めたのだ」
「へぇ~、お隣の区と強固な繋がりをねぇ~」
「ホント、ボクにはまったく無縁のお話だね」
めっちゃ力説してる。
向こうでリカルドが「んだとコラ!?」と憤っているが、にこにこ顔のデミリーに、「まぁまぁ、実際一切合切完膚なきまでに無縁の話じゃないか」と抑え込まれている。
オジ馬鹿……
「しかし、アレの兄が病に倒れてな。他に兄弟もおらず、アレは領地を出ることが出来なくなったのだ」
ルシアも一人娘だ。
二人を結婚させると、どちらかの領主が不在になってしまう。
口約束未満の婚約は自然と解消され、それ以降二人は次期領主、そして現在は領主として互いの区を守る同志として付き合っているらしい。
「婚約解消後、アレの面倒を好んで見てくれる奇特な女性が現れてな、あぁ見えてアレは今や二児の父だ」
「レインボーおっぱいか……」
「虹の乳ではなく二児の父だ! ……虹の乳ってなんだ!?」
「ぶはっ!」
食っていた寿司を噴き出してボックが笑い出す。
「なんだ、汚い男だな」
「いや、ごめんごめん……」
ボックが目尻に涙を浮かべて、こちらを振り返る。
「私との婚約が解消された後、ルーちゃんには浮いた噂一つなくて、ずっと申し訳なく思っていたんだ」
「まさかこんなにモテないとは思わなかったと?」
「違うわ、カタクチイワシ! 貴様には分からぬであろうが、貴族女性は婚約解消という汚点が結婚の足枷になるという話だ。公表前ゆえ、知っているのは本当に限られた数人のみなので気にする必要はないと言っておるのだが、そいつはしつこくずっと言ってくるのだ」
どのような状況であれ、婚約解消された貴族女性はこそこそと陰口を叩かれるものらしい。
普通に考えれば、三十四区の都合で婚約を解消したのだから三十四区が責められるべきはずが、ルシアに問題があるから婚約を破棄されたのだと噂されるらしい。
普通に考えれば状況は分かるし、理解も出来る。
だが、他人の弱みを見つけてねちねちと突っつき回すのが貴族という生き物の習性だ。
違うと分かっていても、ルシア有責説は根強く噂されていたらしい。
知る者が少ない婚約を汚点として広めたヤツがいたのか。
そりゃうんざりもするわな。
「そのせいもあり、私は結婚などというもののつまらなさを実感して、現在に至る」
「だから、責任を感じててねぇ。ルーちゃん美人なのにモテないから……」
「モテないのではない! こちらがお断りしているのだ」
そういえば、木っ端の貴族からは山のように求婚されたんだっけ?
全部撥ね退けたらしいけど。
領主一族との婚約がなくなって、そこらの貴族と結婚したら、「ランクを落として妥協した」と言われるだろうしなぁ。「結婚に焦った」なんて言われるのは、ルシアとしても心外だろう。
「だから、本当に嬉しいんだよ、カタクチイワシ君」
ボックが俺を見て笑みを浮かべる。
目を埋めてしまうのではないかと思えるくらいに肉厚な頬肉を持ち上げる。
……何をどう勘違いして喜んでるんだ、このブーちゃんは。
「これからも、ルーちゃんと仲良くしてあげてね。ルーちゃんの浮いた噂は本当に貴重だから」
「だから何度も言っておるだろう、それはただの下らぬ噂に過ぎぬと! いい加減学習しろ、ダック!」
ルシアに怒鳴られても、ダック・ボックはにこにこと俺を見ている。
「話を聞け、ブタ!」
あ~ぁ。貴族女性が直接的な暴言を吐いちゃった。
ただ、幼馴染で十も年上の相手というのは、やはり特別な存在のようで、ルシアが苦戦しているように見える。
親戚の兄ちゃんにからかわれている姪っ子みたいな雰囲気だな。
「……まったく」
にこにこ顔で寿司を食い始めたボックから視線を逸らし、ルシアは淑女らしからぬため息を吐く。
そして、おもむろに俺のそばへ寄ってきて、耳元へと顔を近付ける。
肩を寄せ、内緒話をするような格好で並ぶ。
「まぁ、そういう事情だ。そなたが理解する必要はないがな」
「おう。お前にも仲良しがいるんだと知って驚いたが、どういう関係かは概ね理解した」
「仲良しって……はぁ」
ルシアは一度、困ったような、むず痒いような、なんとも言えない表情で俺の顔を見て、ぷいっとそっぽを向く。
なんだ、その水槽越しの熱帯魚みたいな反応は?
俺に何か思うところでもあるのか?
理解したっつってんだろうに。
「私が婚約していたのは六歳から七歳までのとても短い期間だけだ」
「まさか、そこがモテ期のピークだったとは、両親も思わなかっただろうな」
「……締めるぞ?」
やめてください。
知らないかもしれないけど、俺、ニワトリじゃないんで。
「……はぁ。貴様は本当によく分からぬ男だな。私などを相手に……」
ぶつぶつと言って、ルシアが俺を睨む。
微かに、頬が赤い。……赤い? なぜ?
「当時は私も幼く、両親の言うことを素直に聞く子供であった。故に、深く考えることもなく両親の言うことに従っていただけだ。婚約も、その解消もな」
何の話だ?
自分は素直な可愛い少女だったという謎アピールか?
『精霊の審判』をかけるところなのか、これは?
「だから……その……当時の私はまだ、懸想のけの字も知らぬ子供であった」
「鼻毛のけの字は知ってたか?」
「知っていた! ……貴様はレジむぅと発想が同じだな」
「えぇ……一緒にしないでくれない?」
「レジむぅは『尻の毛のけの字』と言っていたが」
「一緒にすんな、マジで!」
向こうは手遅れ! 俺はまだギリセーフ!
この差、大きいからね!
「はぁ……」
なぜか緊張したような面持ちで、ルシアが大きく息を吐く。
「だから、その……この程度のことで、悋気を起こすでない……たわけが」
言い捨てて、ぷいっとそっぽを向くルシア。
りんき……?
悋気って、女性が男性に「誰よあの女!?」って詰め寄る感じの、アレだよな?
平たく言えばヤキモチ……え、俺が? いつ?
「言った、友達のヤシロは、ルシア様に。『随分と仲がよさそうだな』と」
ギルベルタがこっそりと教えてくれる。
俺の知らない男がルシアと親しげに話していて、それを見た俺はルシアに「随分と仲がよさそうだな、ルーちゃん」と言った。
それは、もしかしたら、傍から見れば「誰だあの男、馴れ馴れしい……気に食わねぇ」と、俺が苛立ったようにも見える……のかも、しれない。
まして「ルーちゃん」なんて呼び方は、目一杯のイヤミが含まれているように……
「いや、違うぞ!? そんなつもり微塵もないから!」
「けれど、思う、ルシア様でなくても、大多数の者は。先ほどの友達のヤシロの様子を見れば、『あぁ、なるほど』と」
「いや、待て待て待て!」
そう言われて辺りを見渡すと、ドニスやマーゥルは「やれやれ」と呆れたような顔をしており、ゲラーシーとリカルドは「はぁ~」っとため息を吐き、その他雑多な領主どもはなんとも困った表情を見せている。
「……エステラ」
「うん、君の言わんとするところは分かるんだけどね……迂闊過ぎるよ」
エステラにぺしっとデコを叩かれる。
そんなつもりねぇっつーの!
えぇい、こっちを見てにこにこと寿司を食うな、ダック・ボック!
お前のせいでこっちはなぁ……!
くぅ、こんな空気の悪いところはさっさと立ち去って陽だまり亭のカウンターへ戻ろう。
俺はそう心に誓った。
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