「羨む心ってのは、いいもんだよな」
「…………へ?」
いいもの?
羨む心って、それってつまり嫉妬だよね?
それが、……いいもの?
「だってよ。誰かが何かを羨ましいと思ったから、この街はここまで変われたんだぞ?」
「そう、なの……かなぁ?」
「そうさ。立地が悪いからこの街道を作って立地をよくしたり、豊かな生活が羨ましいからそうなるように努力したり……羨ましくなけりゃ誰がするかよ、こんな面倒くさいこと」
そう……なんだ。
みんな、羨ましいんだ……
「だからよ」
すっと、ヤシロ君の指が街門へ向く。
いや……三十区との間にそびえる崖に向けられている。
「絶対実現させてやるぜ、水路」
「――っ!?」
「覚えてるか? 前に話したろ。あの崖の下に水路を作って、船をこっちに回せるようにしたいって」
……うん。覚えてる。
「近いうちに絶対実現させてやる」
……ホント?
「そうすりゃ、お前も、もっと四十二区に気軽に来られるようになるぞ」
なる…………かな?
「……ねぇ、ヤシロ君。どうして、その水路が必要なの、かな?」
答えなんて分かってる。
ヤシロ君ならきっとこう言う。「自分の利益のためだ」って。
けれど……聞いてみたい。そうじゃない答えを。
そう思ったら、尋ねずにはいられなくなった。
「そんなもん、その方が俺の利益になるからに決まってんだろ」
ほらね。そう言うでしょ。
「海の魚が安く手に入るし、いい貝殻が手に入れば卵も美味くなるし、網に絡まった海藻は今結構ブームになってるんだぜ? ノリの佃煮が大うけでな。海漁ギルドとは懇意にしておいて損はない! ……だろ?」
「……うん。そうだね」
そう。
そうだよね。
さすがに無理だよね。まだ。
私が四十二区に住んでいれば、分からないけれど。
私は違うから……
もう少し、時間があれば……私がまんまと変えられちゃうくらいにヤシロ君と親しくなっていれば……
もっと違う言葉を聞き出せたかなぁ?
デリアちゃんみたいに、ちゃんと、名前を思い出してもらえたのかなぁ……
いいなぁ……デリアちゃんは。羨ましいよ……
「それに――」
それは、まるで光のように――深い深い、深海にまで差し込むまばゆい光のように……
「そうなったら、もっと会えるようになるからな」
暗い海の底に閉じこもって、膝を抱えて、いじけていた私にまで降り注ぐ太陽の光のように……
「もっといろいろと、マーシャと話したいんだよ。俺は」
自分は外の人間だからって勝手に決めつけて、それで不公平なんていじけていた私を、暗い海の底から引っ張り出してくれる。
何も違わない。
羨む必要なんかない。
私も、ちゃんと…………見てもらえていた。
それを、はっきりと分からせてくれる。まばゆい光のように――彼は笑う。
あぁ……やっぱりすごいな、ヤシロ君は。
もうさすがに変わるものなんかないって思ってたのに――
「ヤシロ君、ちょっといいかな? ちょっとこっち来て」
「ん?」
――まさか、私まで変えられちゃうなんて、思いもしなかった。
自分が変えられる瞬間は少しだけくすぐったくて、不思議な高揚感があって……少しだけ大胆になれる。
手招きに応じて近付いてきてくれたヤシロ君。
その肩と胸に手を添えて、ググッと水槽から身を乗り出して……
「……えっ?」
……そっと、ほっぺたに口付けた。
「……私もね、お~んなじこと、思ってたよ☆」
もっとここに来て、もっと一緒にいて、もっといっぱいお話したいって。
同じこと、ずっと考えてた。
「私の名前、思い出してくれたお礼だよ☆」
そんな言い訳をして、赤くなりそうになるのを必死に我慢する。
「……んだよぉ。急だとビックリするだろう?」
「うふふ☆ ヤシロ君、可愛い~☆」
だって、急にじゃないと絶対に出来ないもん。
しょうがないじゃない?
「あ……」
呟いて、ヤシロ君は服の裾に手を入れる。
そして、引き抜いた手には、小さな種が握られていた。
……種、取れたんだ。よかった。
これでもう、私のことは忘れないよね?
忘れたら……今度は別の場所にちゅーしてやるんだから。
「――っ!?」
……なに、考えてるんだろう、私。
折角我慢したのに……顔、真っ赤だよ。
「ヤ、ヤシロ君。そろそろ、時間とか平気?」
「ん? あぁ、そうだな。ゆっくり話したかったけど、そろそろ行くか」
「うん。また今度ゆっくりお話しようね☆」
「おう。じゃ、行くわ」
「ばいば~い☆」
手を振って、歩き出した背中を見送る。
…………無理だよ。
これ以上一緒にいたら、私、きっと変なこと言っちゃう。
ヤシロ君を困らせるようなこと。
それは、今はダメ、ぜったい。
遠ざかっていく背中を、ただじっと見送る。
それだけで、心がぽかぽかする。
本当に不思議な人……
「…………あれ?」
200メートルほど離れたところで、ヤシロ君がちらりとこっちを振り返った。
そして……
「絶対忘れないから、あんな寂しそうな顔、もうすんなよ」
そう呟いた。
そして、にっこりと笑って、再び歩き出した。
……あぁ。
「…………ダメだよぅ。そんなの、ズルいよぅ」
体をグルんと反転させて、そのままざぶんと水の中に潜る。
顔が熱い……息が苦しい…………恥ずかしい。
みんな、バレてた。
デリアちゃんを羨ましいって思ったことも。
ずっと寂しかったことも。
私の耳が、実はすごくいいっていうことまで……全部…………バレてた。
「ぶくぶくぶく……」
吐き出す息が気泡になって水面を揺らす。
ヤシロ君って……ヤシロ君ってさぁ…………私のことも、ちゃんと、よぉ~く見ていてくれたんだね。
全然、羨ましがる必要なんか、なかったんだね。
「ぷはぁっ!」
サバッと水中から顔を出して、街門に向かって大きく手を振る。
「門番く~ん! 今すぐ、デリアちゃんのところへ連れて行って~!」
心臓が破裂しそうに痛い。なのに、顔のにやにやが止まらない。
だから、今すぐにデリアちゃんに会いたくなった。
会って、そして自慢するんだ。
羨ましがらせてやるんだ。
いっぱいいっぱいお話するんだ。
私の――ときめくような、初恋の話を。
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