「で、でも、私は野菜だよ? もやしには、油なんかないよね?」
「夜中にジャムを貪り食ってりゃ太るっつうの」
「貪り……ってほどじゃ…………」
「じゃあ、どれくらい使ったんだよ?」
「ふ…………二日で、一瓶」
「ぇぇえ!? そ、そんなに食べちゃった、の? ねふぇりーさん……」
「ネフェリー……あんた、それは使い過ぎさね」
「あたいでもそこまでは食わねぇぞ」
「開いた口が塞がりませんわね……」
「ほんなら、その開いた穴を塞ぐために……」
「レジーナ、黙れ。もしくは塵と化せ」
驚愕する一同の顔を見て、ネフェリーが自身の異常性にようやく気が付いた。
きっと感覚が麻痺してしまっていたのだ。
これほどまで食事を我慢しているんだからこれくらい大丈夫に違いないと。知識のなさと、つらいことを我慢し続けている自身への甘えとが合わさって。あと、空腹により正常な判断が出来なかったのかもしれない。
しかし、異常性に気が付けたのはよかった。そこに気が付けなきゃ、……レジーナのように手遅れになってしまうからな。あいつの異常性はもう手の打ちようがない。
「ケーキは軽い。が、それを食い過ぎて太ったって自覚はあるだろう?」
「う…………ぅん。」
「砂糖は、太るぞ?」
そう。
四十二区は急激な発展を遂げ、貧困による飢えから解放された。
仕事が回るようになり、富が平等に分配され、経済が回り始めた。
それに合わせるように、これまでなかった美味い食い物が一気に増えた。というか、俺が持ち込んだ。持ち込んでしまった。
それはケーキであったりドーナツであったり、とにかく、食い過ぎれば太るようなもので、それでいてついつい食い過ぎてしまう物ばかりだった。
つい一年ほど前まで飢えに苦しんでいた連中が、正しいダイエットの知識など持ち合わせているわけもなく、そうなれば単純に食事制限という方向に思考が向いてしまうのはある意味で仕方がないのかもしれない。
だから、きっとこれは俺の仕事だ。
ジネットが手伝ってくれるようだから、それに便乗して広めてやるとしよう。
カロリーと、ダイエットの正しい知識を。
「最も効率的なダイエット方法を教えてやろう」
「ホントですか!?」
「ヤシロの言う方法なら信用できるかも!」
「私、どんなつらいことでも耐えてみせるよ!」
素直に教えを乞うアホっ娘トリオに、俺は教えてやる。
と~っても簡単なダイエット方法を。
「しっかり食って、思いっきり体を動かす。以上だ」
食った分のカロリーをしっかり消費してやれば、自然と痩せる。
それ以上にいいダイエットなんぞない。
「というわけで、デリア。ノーマ。お前らには講師として参加してほしい」
「おう! 任せとけ! あたいも店長の意気込みを汲んで、仕事を休んでこっちに付き添ってやる!」
「アタシも、付き合ってやるさね。……まったく、最初にアタシに聞いてくれりゃ、綺麗に痩せる食事でも教えてやったのにねぇ」
「美を追究するのでしたら、ワタクシにもお声をおかけなさいまし。ヤシロさん、ワタクシも参加しますわよ」
「じゃあ、頼む」
この三人は健康的に痩せている、ダイエットのお手本のような連中だ。
精々しごいてもらうといい。……たぶん、一朝一夕では到達できない高みにいるんだろうけどな、この三人は。特にデリア。……一応、死ぬなよ、お前ら。
「ほなら……ウチは健康管理のために通わしてもらうわな」
「「出不精のレジーナが自ら進んで!?」」
「あ、あぁぁあ、あたしたち、とんでもない状態にまで追いやられていたですね!?」
「もっと大切な人んとこで気付いときぃ~や、自分ら。卑猥な仕上がりになる怪しいダイエット薬開発したろかな、ホンマ」
どんな薬を作るつもりだ。
まぁ、作らせねぇけど。
「……ヤシロ。マグダはしばらくパウラの家に居候する」
「えっ!?」
驚きの声を上げたのはロレッタだった。
「……店長にはもう話してある。マスターも、快く受け入れてくれた」
「そうか。向こうを手伝うなら、その方が何かと便利かもな」
「……寂しくても、泣いてはダメ」
「お前もな」
二人で会話をしていると、ロレッタが慌てた様子で割り込んでくる。
「ま、待ってです! あたし、ちゃんと店長さんの言うこと聞いてすぐに元気になるですよ! だから、マグダっちょ……あの……」
マグダが陽だまり亭を出て行く。
一時的とはいえ、その事実が得も言われぬ寂しさとなり、ロレッタの胸に去来しているのだろう。
まして、自分が原因で引き起こしてしまった事態だけに、罪悪感は計り知れない。
「……ロレッタはマグダに自分の悩みを隠した」
「それは……」
「……だから、マグダも勝手なことをする。相談はしない」
「…………マグダっちょ……」
ロレッタに背を向け、マグダは尻尾をゆっくりと振る。
ゆっくりと歩き出し、ドアへと向かう。
「も、もう行っちゃうですか!? 明日の朝からでも……!」
「……明日も、仕事があるから」
ロレッタが伸ばした腕は、マグダには届かない。
マグダの足は止まらない。
ドアが開き、マグダが外へと足を踏み出す。
「マグダっちょ!」
必死の叫びに、マグダが足を止める。ようやく、止まる。
でも、振り返らない。
「ご、ごめんです! あたし、マグダっちょに心配かけたくなくて……でも、あたし、ちょっと残念な娘だから、却って心配かけちゃって……だから、あの…………ごめん、なさいです」
言いたいことはたくさんある。
けれど、うまく言葉にならない。
不安な心が、震える呼吸と共にフロアへと吐き出されていく。
ゆっさりと、ゆっくり一度尻尾が揺れて、マグダが向こうを向いたまま声を発する。
「……元気になったら、ロレッタがマグダを迎えに来て」
振り返らない。
けれど、しっかりとロレッタの心に向き合って、自分の気持ちを送り届ける。
「……マグダは、仕事をしながら待っている」
「……うん。分かったです。待っててです。きっと、すぐに迎えに行くです」
ロレッタの瞳からは、止めどなく涙が溢れ出していた。
それをマグダに悟らせないようにと、気丈に明るい声で言う。
「そしたら、一緒のベッドでお泊まりさせてです! 二泊三日は必須です!」
「…………望むところ」
もう一度尻尾を揺らして、マグダは一歩前進する。
振り返らないのは、マグダも泣いているから、なのかもしれない。
そしてドアが閉まるまでの間に、パウラとネフェリーにも言葉を向ける。
「……みんなきちんと元気になること。そしてパウラ……」
「うん。お店のこと、ごめんね。任せたから」
「…………早く元気にならないと、枕元の日記を読破する」
「ちょっと!? マグダ!? 待って! 待ちなさいってぇえー!」
物凄い形相で立ち上がろうとするパウラだったが、めまいからそれが敵わず、腕を伸ばして叫ぶしか出来なかった。
「…………ヤバい。……ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい……」
何書いたんだよ、日記に……
と、落ち込むパウラを生温かい目で見ていると、静かにドアが開き、マグダの耳だけがぴょこんと覗き込んできた。
「……ネフェリーは、本棚の裏の自作ポエム集を音読する」
「なんでマグダが知ってるのよ、それぇ!? 私、誰にも言ってないのに!」
パタンと閉まったドアに向かって腕を伸ばしても、動き出したマグダは止められない。
「……と、いうわけで。こういうイザという時に体が動かないのが如何に恐ろしい事態を招くか、みんなもよく分かったと思う。無理なダイエットだけは絶対にしないようにな!」
「……ぅん。みりぃも、気を付ける……ね」
ミリィを始め、その場のみんながうんうんと力強く頷いていた。
健康って、とっても大切なんだよな。
「お待たせしました。カボチャのポタージュです」
厨房から戻ってきたジネットは、カボチャのスープを持っていた。
芋栗南京はでんぷんが豊富でしっかりとカロリーを取れる食い物だ。こいつらの第一歩にはちょうどいいだろう。
「みなさん。痩せるために、まずはしっかりと体力を付けましょう」
最初は太るだろう。
だが、その体重の増加は太らない体作りのために必要不可欠なエネルギーだ。
ミクロで見るな、マクロで見ろ!
食のプロフェッショナルの言うことを聞いておけば、少なくとも不健康な体重の増減はないからよ。
「私は、今回見守ることにしたいと思います」
こういう時にお説教をしそうなベルティーナが穏やかな口調で言う。
どことなく嬉しそうに。少し泣きそうな顔で。
「ジネットに、任せます」
ジネットは変わった。
それを、ベルティーナも感じたのだろう。
こいつも、飯を食わないガキどもに食べることの大切さをその身をもって教えてきた教育者だ。
ベルティーナの教育がジネットを育てたんだもんな。託してみるのもまた教育だ。
「それであの……私のお食事は、しばらくダイエット料理になるのでしょうか?」
「……そんな泣きそうな顔すんなよ。ちゃんと作ってもらえるように言っといてやるから」
さめざめ泣くベルティーナを宥めて、その日の夜は更けていった。
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