「さぁ、準備が整いましたよ」
ナタリアとギルベルタを従えて、料理の準備をしていたシンディが俺たちに声をかける。
庭園を楽しそうに眺めて、こっちを完全無視して二人っきりの世界に浸り、きゃっきゃうふふとイチャついていたセロンとウェンディの首根っこを掴んで席に座らせ、俺たちも着席する。
「あ、あの、英雄様……僕たちは別にイチャついてなどは……」
「は? 『綺麗なお花~』『君の方が綺麗だよ』『……嬉しい』とかやってたんだろ!?」
「それくらいは、新婚なら誰でもします!」
「やってたのかよ!? 否定してほしかったなぁ、そこは!」
「そんなことしてませんよぉ」って言葉を期待したのになぁ!
次からは絶対連れてくるものかと心に誓い、出された料理に手を付ける。
味はかなりのもので、焼き菓子を食った後だというのに箸が進んだ。……まぁ、使ってたのはフォークとナイフだけども。
貴族特有の気取った料理ではなく、異国の家庭料理のような、珍しい中にも懐かしさを感じさせる味付けで、俺は結構気に入った。
「なんの話からすれば、伝わりやすいかしらね」
そんな中、マーゥルがパンをちぎりながらため息を漏らした。
おかしなルールに縛られる『BU』と、それに逆らうことが出来ない二十九区。もしかしたら、そんな状況を甘受している領民たちのことも含めてなのかもしれないが、それらの者を憂いているような、そんな重たいため息だった。
そして、少し考えた後、ちらりと俺へ視線を寄越し、納得したように頷いた。
「そうね。ヤシぴっぴの質問に答えるのが先ね」
食事をとりながら、マーゥルは静かに語り出す。
領主の娘として生まれ……そして、この館へ住むようになるまでの過程を。
「私は、領主の娘として生まれ、この区を治めるためにありとあらゆることを学び、教え込まれ、与えられて……同時に、それ以外のすべてを奪われたの」
決して非難の色を込めず、ただ当然とそこにあった事実を淡々とした口調で言葉へと変えていく。
「母が、あまり丈夫な人ではなかったから、私以外の子供は望めなかったの。私が無事生まれたことですら、奇跡と言われたわ」
昔、エステラが言っていたが、この街では貴族であっても重婚をよしとする者は少ない。
二十九区も同じように、領主は生涯一人の者へ愛を貫くのだそうだ。
セロンとウェンディがぽ~っとした目でその話を聞いていた。……あとで爆ぜろ。
「私が六歳になる頃から、婿候補はひっきりなしに館を訪れていたし、贈り物もたくさんもらったわ。けど、そのどれも、私の手元には届かなかった。私が受け取れば、それが誤った返事として相手方に伝わるから」
「既成事実を作ってでも、領主の娘婿に収まりたい……そんなヤツが大勢いたってことか」
「そうね。必死だったのでしょうね。でも、その必死さが、まだ幼かった私には恐怖に映ったのよ。私は、男性を怖いと思い始めていたわ」
余計な口を挟まぬよう、誰もが静かにマーゥルの言葉に耳を傾ける。
時折、相槌代わりに質問を投げかけたりしながら、基本的には聞き役に徹していた。
「成人を迎える頃には、私は生涯独り身でいようと決心していた。生涯を賭してこの土地を守る――それだけを考えていた。……若かったのね。その後のことにまで考えが及んでいなかったのよ。どうすればいいかも、知らなかったし」
マーゥルが生涯独身を貫けば、二十九区領主エーリン家の血は途絶える。
六歳の頃から、男性恐怖症になってしまうような環境にいたのなら、恋愛観が歪になっても仕方ないし、正しい知識など持ちようもない。
ある種の好意的な興味がなければ、人は未知のものを学ぼうとはしない。
マーゥルは、子孫を残すことの意味や重大さはもちろん、子供の作り方すら知らなかった可能性が高い。
箱入りなんてものじゃない。鉄の牢獄に自ら閉じこもった鉄壁のお嬢様だ。
セロンの父ボジェクの語ったマーゥルの印象が、まさにそれだった。
『一生を独身で貫くと決めた、深窓の令嬢』
マーゥルのそんな思いは、館の内外を問わず有名だったのだろう。
「父は焦っていたわね。お家断絶の危機ですものね。……でも、私は婿を取るつもりはなかった。このままいけば、エーリン家は途絶える。誰もがそう思い、周りの貴族たちが騒がしくなり始めた頃、事態は急変したわ」
おそらく、先代の領主――マーゥルの父は相当焦っていたのだろうな。
年齢的なことや世間体というものを考えれば、かなり無茶な行動に出たもんだ。
「私に、弟が生まれたのよ」
それは、ここいら一帯の貴族たちに、相当な衝撃と絶望を与えたことだろう。
マーゥルを――言い方は悪いが――落とすことが出来れば領主の血縁になれる。
そうでなくとも、マーゥルが領主を継げば、やがてエーリン家は途絶え、他の貴族が領主を継ぐことになる。
そのどちらかに備え、各貴族たちはかなりの時間と金をかけて準備をしていたはずだ。
それが、まさかの子息誕生。
エーリン家は、自らの力で跡取りを得たのだ。
「私が二十歳の時だったわ。両親はそれなりに高齢で……私のわがままが無理をさせてしまったのでしょうね……母は、弟を生んで間もなく他界したわ」
元から体が丈夫ではなかったマーゥルの母。それが、マーゥル誕生から二十年後にもう一度出産をしたのだ。体にかかる負担は計り知れない。
「跡取りが誕生してから、私の世界は一変した。息が詰まるほど私に張りついていた人たちは一斉にいなくなり、期待も、責任も、重圧も、何もかもが一瞬でなくなった。私の居場所も、生涯を賭してやるべきだと信じて疑わなかった使命でさえも」
二十歳になったマーゥルは、跡取りが誕生した瞬間『用済み』になったのだ。
もしかしたら、母の他界も関係しているのかもしれないが……マーゥルは、館から追い出されることになったという。
「あっけなかったわ。それまで私の物であったものが、少なくとも私はそうだと思い込んでいたものがすべてなくなったの。残ったのはこの体一つだけ。……信頼できる人なんて、一人もいなかった」
だが、領主になるために受けていた教育と、持ち前の度胸がマーゥルの中に『武器』として残った。
「跡取り問題でずっと手付かずになっていたこの土地を、私が管理するという条件で、私は自分の居場所を作ったの。ここは、私の城よ」
娘が父を相手に交渉をする。
貴族であるならば、それは生意気とも無礼とも取られる行為かもしれない。
だが、先代領主はそれを受け入れた。
下手に拗らせて、おかしな男とくっつかれるよりはマシと判断したのかもしれない。
マーゥルを追い詰めて、近隣区の領主に嫁いで領土問題や跡継ぎ問題が持ち上がりでもしたら目も当てられない。
ある程度は好きにさせて、その場所に閉じ込めておくのが領主としては最も都合がよい判断だったのだろう。
「私、領主になることだけを考えて生きていた幼少期に、一つだけ好きなものがあって、羨ましいと思っていたことがあったの」
「それが、庭園か?」
「そう」
領主の館には、手入れの行き届いた庭園があった。
あの庭園が、少女らしいことは何一つ出来なかったマーゥルの心を唯一慰めてくれたものだったのだろう。
「絶対にあそこよりも美しい庭園を作ろうって、すごく意気込んでいたの。負けず嫌いみたいに……そんな時に、私はシンディと出会った」
己の話に触れられ、シンディが照れくさそうに顔をしかめた。
「シンディと二人で庭園を作るのはすごく楽しくて、その日から私の生き甲斐は庭園作りになったの。他の物なんて、何もいらないと思ったわ」
そうして作り上げた庭園は、領主の館にあったものとは比べ物にならない規模であり、比べ物にならない美しさであり、比べ物にならない素晴らしさだった。
「実家があんな感じだったからかしらね。自分の腕を信じて独自路線を迷わず突き進んでいたセロンさんのレンガに、すごく惹かれたのよ」
「きょ、……恐縮です」
肩をすぼめ、焦って頭を下げるセロン。
すごく距離を感じるなぁ、その対応……もっと雄大に構えてろよ。
真意はどうあれ、求婚して振られたマーゥル相手に、「あなたとはこんなに距離があるんです」みたいな態度は、さすがにちょっと気の毒な気がするんだが……まぁ、そこら辺を卒なくこなせないのがセロンという男か。女子を手玉に取るセロンとか、想像も出来ないしな。
「あの、マーゥルさん」
エステラが身を乗り出して、遠慮がちに口を開く。
「先ほどの、ご実家に対する『あんな感じ』というのは……自由がなかった、ということですか?」
マーゥルに決定権はなく、拒否権もなく、すべては先代領主とその周りの者が決めていた。
自由を奪い、散々弄び、挙句にあっさりと見捨てる。
そんな実家は『あんな感じ』と唾棄されても仕方ない……
マーゥルの言った『あんな感じ』という言葉が指す意味は、そんな冷徹さにも似た独善的なものを指す。と、普通はそう思うだろう。
だが、エステラが表情を曇らせているのは、もし冷徹さの話であるならば、『独自路線うんぬん』という言葉が宙に浮く、というか、不自然だ。
そしてその読みは正しかったようで、マーゥルはもう一つの問題点へと話を移行させた。
「そういうことではないわ……そんなものじゃなくて、人間らしさを欠いているのよ、あの人たち……いいえ、この街の人たちは、みんな」
やがて領主になると信じ幼少期を過ごしたマーゥルは、きっと、この区のことを幼い瞳で見つめ続けてきたのだろう。
「この街ではね、多数決がすべてなの」
そんな制度を破壊したい。そう思っていたのかもしれない。
そしてマーゥルの話は、この異常なルールを作り上げた『BU』の実態へと移行していく。
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