「あはぁ……いい匂いだねぇ」
手のかかる給仕長を寝かしつけてきたエステラが厨房に入ってくる。
手、洗えよ。
いや、別にナタリアがばっちぃって言ってるわけじゃなくて、ここ、飲食店の厨房だからな。
「エステラも食うか?」
「そうだね。もらっておくよ。しばらくは陽だまり亭の味を楽しめなくなるわけだしね」
「しばらくって……明日の夕方には戻ってくるぞ」
「けど、二日間はお休みなんだろう?」
帰ってすぐ営業再開ってのは無理だ。
いや、無理ではないが、かなり厳しい。
下ごしらえも何も出来てない状態だし、体力的にもな。
「本当は、大人様ランチが始まってから休業する予定だったんだがな」
「まぁ、事前に告知もしてあるし、理解は得られていると思うよ」
ルシアたちが陽だまり亭に一泊した翌日から、客に向けて休業の告知を行っていた。
多少不満の声も上がったが、概ね理解を示してくれたようだ。
不満のもとは、主にトルベックの連中……というか、棟梁だったけどな。
あ。あと、イメルダが、「どこでお茶を飲めというんですの!?」とか言ってたっけな。……家で飲めよ。
「ほい、ロレッタ。こいつを具にしてくれ」
「任せるです!」
「ボクも手伝うよ。前からちょっとやってみたいと思ってたんだ」
腕まくりをして、エステラがロレッタの隣へ並ぶ。
……手、洗えよ。服触ったんならな。
「熱っつっ!?」
「むははっ。初心者はよくそれをやるです」
熱々のご飯を手に取り悶絶するエステラを、余裕の顔でロレッタが笑う。物凄く勝ち誇った顔だ。
……お前もつい最近までしょっちゅう同じことをやってたじゃねぇか。何回言っても学習しないヤツめ。
「へぇ……ロレッタ、うまいねぇ。みんな同じ大きさだ」
「えへんです! しかも、これくらいの大きさが食べた充実感を味わいつつも、『もう一個食べたいな』と思わせる絶妙な大きさなのです!」
――と、俺が教えてやったサイズだ。
しかし、慣れってのはすごいもんだな。ロレッタは正確に同じ大きさのおにぎりをどんどん作っていく。
商品たるもの、一定の品質と量を保たなければいけない。
ロレッタ。お前、成長したな。
かつては運ぶしか出来なかったのに。あと、雑談と面白NG集担当くらいしか……
「う~ん……なかなか綺麗な形にならないなぁ……」
「こら、エステラ。あんまりベタベタ触るな。他人が食うものなんだぞ」
「でもさぁ……」
「こうやって、ささっと手早く握るですよ、エステラさん」
エステラに手本を見せるように、綺麗な三角おにぎりを三度ほどで握り上げるロレッタ。手際がいい。
一方のエステラは、まだ一個目のおにぎりをにぎにぎにぎにぎしていた。……粘土遊びか。
「エステラ。一回皿に置け」
「ぅう……失敗しちゃった」
ぼてっと、いびつな形のおにぎりが皿の上に置かれる。
エステラの指の間には米粒がぎっしりついていた。
「おぉっと、舐めるなよ!」
「……へ?」
指についた米粒を口に含もうとしていたエステラを、大慌てで止める。……だから、おにぎりは他人が食うんだっつの。
「唾液まみれの手で握られたおにぎりは勘弁してくれ」
「だっ……そ、そんなベタベタにはしないよっ!?」
唾液は、べったりでもちょっぴりでもダメなんだっつの。
「水で綺麗に洗って、次のおにぎりを作れ。手早くな」
「分かったよ……ったく、細かいんだから」
バカモノ。
飲食店たるもの、衛生面においては極限まで厳しくなくてはいけないのだ。
「熱っつっ!?」
「……学習能力ないのか、お前は」
熱々のご飯を手に、涙目のエステラ。
おにぎりって、割と難しい料理なんだぞ。
かくして、ロレッタの作った普通に綺麗なおにぎりと、エステラの生み出した歪な形の米粒の塊が皿に並べられた。
「お疲れ様です、みなさん」
食堂で、マグダを膝に抱いたジネットが俺たちを迎えてくれる。
マグダはすやすやと眠っていた。
「結構数があるから、包んでおいて、あとでマグダとナタリアにも食わせてやろう」
「はい。そうしましょう」
「……ナタリアの分、いるかなぁ」
朝から苦労を強いられたエステラは否定的だが、食わせてやれって。
一番の被害者である俺が言ってるんだからよ。
「では、いただきましょう」
「あっ! こっちの変なのは自分で食べるから。みんなはロレッタの普通のヤツ食べてね」
「なんで普通ですか!? 『綺麗で美味しそうなヤツ』ですよ!」
「あぁ、うん。その綺麗で美味しそうなヤツ、食べて」
失敗したのが結構ダメージになっているようだ。
気にするこたねぇのに。初めてなんだから。
「んじゃ、美味そうな具が入ったユニークな方をもらおうかな」
「あっ、ヤシロっ!?」
エステラが自分の前に避けた歪なおにぎりの中から、最初に生み出されたごてごてのヤツをひょいと摘まみ上げる。
一瞬、阻止しようとエステラの手が伸びるが、それよりも早くおにぎりを口に頬張る。……うん。固い。米が潰れて餅状になっている。口当たりも悪くて舌の上でザラつくぜ。
……だが。
「初めてにしちゃ、上出来だ」
「ぅ……もう。無理して食べなくてもいいのに……」
「うふふ……ヤシロさんは、いつもそうなんですよ」
嬉しそうな顔で言いながら、ジネットもエステラの作った歪なおにぎりを一つ手に取る。
「あっ、ジネットちゃんまで!?」
エステラの制止がかかる前に口へと含み、もぐもぐとゆっくり咀嚼する。
「……はい。第一段階は合格です」
「だ、第一段階……?」
ジネットの言う、料理の第一段階。それは……
「気持ちがしっかりとこもっています」
食べる人を思い、気持ちを込めて作ること。――らしい。
「採点が激甘だよ……」
照れながら、エステラが呟く。
何を今さら。ジネットだぞ? 砂糖大根を上回る糖分を内包している唯一の生物なんだぞ、こいつは。
「きっと、ヤシロさんがうつっちゃったんですね」
「はぁ?」
なんで俺? 言いがかりだろう。
「ヤシロさんは、誰かが初めてのことに挑戦すると、必ずご自分で食べ、確認して、自信を与えてくださるんです。ですよね?」
と、質問を向けられたのはロレッタだった。
一瞬の間……少し考えた後、ロレッタは大きく頷いた。
「はいです。あたしが酷い失敗作を作っても、お兄ちゃんはちゃんと食べてくれるです」
「いや、それは、食いものは粗末にしちゃいけないから……」
「すごく、嬉しいです!」
「…………」
こいつらは……何を勘違いしてやがるんだか。
別にお前らを喜ばせるためにそうしてるわけじゃ…………あぁもう! そんな目でこっちを見るな!
「ふん! ……形は悪いが、具は美味いからな」
「それは、自分を褒めているのかい? それとも、照れ隠しかな?」
やかましいわ、エステラ。
こんな歪なおにぎりを作りやがって。ぶきっちょさんめ。
「お兄ちゃんがちゃんと食べてくれるから、『よし、次こそもっとうまくやるです!』って思えるです」
「作ったものを、きちんと食べていただけるって、嬉しいですよね」
「うん。確かにね。……へへ」
なんだか嬉しそうな顔をした三人がこっちを見てやがる。
やめろ。飯くらい気分良く食わせてくれ。
……まぁ、エステラが落ち込んだ顔から笑顔に戻ったなら、それでいいけどな。
「僕も、食べるー!」
俺たちのマネをして、ハム摩呂も最後の一個となったエステラ作の歪なおにぎりを手に取る。そして一気に頬張る。
「最悪の、口当たりやー!」
「君は正直だよね、ハム摩呂!? いや、こんなのを作ったボクが悪いんだけどさっ!?」
「嫁のもらい手の、ピンチやー!」
「そ、そんなことっ、な、ななな、ない…………よね?」
いや、俺に聞かれても。
とりあえず、こっち見ないでくれるか、エステラ。
「第二の、キツネのお姉さんやー!」
うん、ハム摩呂。
今の言葉、ノーマの耳に入ったら酷い目に遭うからな? 二度と口にするな? な?
「それじゃあ、エステラさんの面白おにぎりもなくなったですし、あたしのおにぎりを食べてです!」
「いや、その通りなんだけど! 君もサラッと毒吐くよね、ロレッタ!?」
ロレッタが嬉しそうに皿を突き出してくるので、おにぎりを一つ取り、口へと運ぶ。
咀嚼…………うむ。
「普通」
「はい。普通に美味しいです」
「確かに、普通だね」
「史上最強の、普通やー!」
「なんでですか!? 普通じゃないです! 超美味しいですよ!」
具が同じだから、新鮮さもないし、何よりおにぎりは普通に美味いものだからな。
「普通じゃないです! 特別美味しいですー!」
そんなロレッタの声を聞きながら、俺たちは普通に朝食を済ませた。
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