俺は貴賓席を離れ、救護テントへとやって来た。
そこには、バルバラとテレサに甘えられているウエラーがいた。
ふにゃんふにゃんだな、バルバラ。テレサの方がまだ落ち着いてるじゃねぇか。しゃんとしろよ、姉。
「ちょっといいか?」
「はい。英雄様!」
俺が声をかけると、ウエラーが背筋を伸ばして瞳をきらきら輝かせ始めた。
「私たち家族は、当然英雄様を尊敬し憧れております! ご指名いただけるのでしたら、どこまでもお供いたします!」
「あ、いや……そーゆー重いのいらないから……」
ほんまもんの尊敬とかいらねぇんだ。
……つか、なんで尊敬してんだろうな、こいつらは、俺なんかを…………っとに。
「なぁ、テレサ」
「……へぅ?」
名を呼ばれるとは思っていなかったのか、テレサが間の抜けた声で返事する。
「お前、俺のこと好きか?」
テレサの前にしゃがんで目線を合わせた――とたん、首根っこを掴まれて強制的に起立させられた。バルバラに。
「……英雄、テメェ…………テレサに手ぇ出したら……関節を全部逆に折るぞ?」
怖い怖い怖い!
カニにそれやったら中身出てきちゃうからな!?
生身の人間に絶対やっちゃダメなヤツだからな!?
「テレサの笑顔を見せてやるから、お前は大人しくしてろ」
般若みたいな顔をしたバルバラを宥め…………られねぇな、俺じゃ。
「ウエラー」
「はい。バルバラちゃん。お利口さんだから、ちょっと英雄様のお話聞きましょうね」
「お利口……? アーシがか!?」
「そうね。大人しくできたら、すごくお利口さんね」
「わーい! 褒められたぞー!」
いや、「大人しくできたら」だから、まだ褒められてねぇよ。
ウエラーがバルバラを鎮めてくれたので、再度テレサの前にしゃがむ。
ぼんやりと俺の顔を見つめる大きな瞳に、ゆっくりと問いかける。
「尊敬って、分かるか?」
「ぇ……っと、おねーしゃが、あねしゃーをすきな、こと?」
「まぁ、そんな感じだ」
バルバラが抱くデリアに対する感情は尊敬で間違いないだろう。
テレサくらいの小さいガキに言わせれば、それは「すごくすき」くらいの感覚だ。
だから広義で言えば、親しみを抱き、好感を持っていれば、それはもう尊敬していると言っても過言ではないだろう。テレサくらいのガキならな。
「だから、もし俺が好きだったら、一緒に来てくれねぇか?」
「ぃ…………ぃ、っしょ?」
頭のいいテレサは何かを悟り、そしてそれが間違いでなければいいなという思いに不安が混ざって、少しだけ泣きそうな顔をした。
泣くな泣くな。
もう少し図々しくなっていいんだよ、お前は。……アホ姉みたいに図々し過ぎなければな。
「一緒に走って、一緒にゴールしてほしいんだが……頼めるか?」
俺の問いを聞き、テレサは勢いよくバルバラの方へと顔を向けた。
ガキがたまに見せる「いい?」というジェスチャーだ。保護者の許可がないと不安なんだよな。
で、保護者たるバルバラはというと。
「テレサ一人でか? 危険過ぎるだろう!?」
……空気読めや、アホ姉。
「大丈夫よ、バルバラちゃん。英雄様が一緒だもの」
「じゃあ、アーシも一緒に行く!」
この姉の暴走を止める。
こいつが来るときっと面倒くさいから。
「ほほぅ。じゃあお前は俺を尊敬しているんだな?」
「ふざけんな! アーシが尊敬してんのは姐さんだけだ!」
「じゃあそこで見てろ」
「でもテレサが……!」
「だから、そこでしっかりと応援して、見守っててやれ」
騒ぐバルバラを黙らせるために、少しだけ真剣な眼をしておく。
「お前が応援してくれてりゃ、テレサはなんだって出来る。だって、そうだろ? テレサは、お前の自慢の妹なんだからよ」
心配なのは分かる。
だが、いつまでも過保護にし過ぎると、成長の妨げになってしまう。
お前も、少しくらい妹離れをしておけ。
「ねぇ、バルバラちゃん。テレサちゃんの初めての運動会。精一杯応援してあげましょう。家族なんですもの」
「家族…………かーちゃんも、一緒に、か?」
「もちろん!」
バルバラの手を取り、そして俺に向かって目礼を寄越すウエラー。
こちらの意図を汲んで、うまく宥めてくれている。ヤップロックよりも話が通じやすくていいな。
「う、うぅ……でも、心配だし……」
「じゃあ、テレサちゃんに決めてもらいましょう」
ウエラーがテレサの前まで来て、ふっくらした頬に手を添える。
「テレサちゃんはどうしたい? 英雄様と一緒に走りたい?」
「ぁ……ぁーし、は……」
ちらりとバルバラを窺い見るテレサ。
「運動会、出てみたい?」
しかし、ウエラーの言葉に、顔が下を向く。
そして、俯いたままぽつりと呟く。
「……出て、みたぃ…………」
言ってしまった後、不安そうな顔でバルバラを見上げる。
怒られないか……嫌われないかと、不安そうな顔で。
「そっか。テレサがそうしたいんなら……英雄、しっかり守ってやれよ」
腐っても姉だ。
テレサの顔を見て、テレサの本心をきっちり理解したのだろう。
バルバラがようやく折れた。
「んじゃ、もう一度聞くぞ、テレサ」
一応、ルールに則らなきゃいけないからな。
「俺のこと、好きか?」
「だぁ~いしゅちぃ!」
テレサが俺の首に飛びついてきた。
「ぬぁ!? 離れろ、英雄!」とかなんとか、俺に飛びかかろうとするバルバラをかわし、やかましそうなのでさっさとテレサを連れてテントを出る。
このまま抱いてゴールする方が早いんだが……まぁ、折角だしな。
グラウンドに入ったところで、テレサを下ろす。
応援だけとはいえ、一応は広いグラウンドに来るということで、ウエラーはテレサに運動靴を履かせていた。スニーカーみたいないい物ではないが、この街の一般的なガキの履く靴だ。
これなら大丈夫だろう。
「よぉし、テレサ。走るぞ!」
テレサの手を取り、ゆっくり引っ張ってやると、テレサがにやぁ~っと笑った後で全力で頷いた。
「うんっ!」
それから、テレサの速度に合わせて俺はゆっくりとゴールまでの距離を駆け抜けた。
実行委員である給仕が気を利かせて、ゴールテープを張って待っていてくれた。
折角なので、テレサを先に行かせてテープを切らせてやる。
すると、テレサは顔を真っ赤にしてここ一番の笑顔を見せた。
その笑顔にやられる大人たち続出。
嬉しさが止まらず、その場でぴょんぴょん跳びはねるテレサ。
テンションがどんどん上がり、上がり過ぎて、ついに爆発する。
俺の前へとっとっとっと駆けてきて、そのままの勢いで抱きついてくる。
「えーゆーしゃー! だ~ぃしゅち!」
ぎゅううぅぅうっと、全力で抱きつかれ、俺はしばらくの間さらし者にされてしまった。……やっぱ、この役はエステラにやらせればよかった。
そうそう、エステラは嫌がるレジーナを無理やり引き摺ってゴールしていた。
自軍の選手じゃねぇかよ……
そして、ずっとやかましかったリカルドはというと、ロレッタが引き当てた『他区から来た人』という普っ通ぅ~なお題で無事競技への参加を果たしていた。
……っていうかさぁ、ロレッタを置き去りにするくらいの全力疾走した挙げ句に「どーだ! 俺すげぇだろ!?」と言わんばかりのドヤ顔をさらしていたんだけどさぁ…………見てるこっちが恥ずかしかった。
どいつもこいつも、運動会楽しみ過ぎなんじゃねぇの、……まったく、やれやれだ。
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