倒れたロレッタを抱き起こす。
気でも失っているのか、ロレッタは苦しそうに眉をしかめてまぶたを閉じていた。呼吸が浅い。
こんなところに寝かせておくと体が冷えそうだからベッドへ運んでやりたいところだが……その前に。
ロレッタの顔を観察する。
ロレッタの唇はカサカサしていた。
頬に指を添えると、肌も少し荒れているのが分かる。
親指で軽く頬を押し下げ、下まぶたの裏側を覗き込む。
本来なら毛細血管が透けて赤く見えるはずのこの部分が真っ白だった。
頭まで血が回っていない証拠だ。
「ジネット。牛乳を温めて持ってきてやってくれ。砂糖をたっぷり入れて」
「は、はい」
俺の指示に、ジネットは急ぎ足で厨房へと向かう。
「……ヤシロ。ロレッタは……」
マグダが俺の肩口を摘まんでくる。
不安の表れなのか、俺の背中に尻尾をすり寄せる。
「大丈夫。ただの貧血だ」
「……貧血?」
ロレッタの症状は、明らかに貧血のそれだった。
おまけに食事を十分取れていないことによるビタミン不足が肌や唇に顕著に表れている。
こいつ、飯食ってないんじゃないだろうか。
「ん…………んん……」
腕の中で、ロレッタが身をよじる。
「気が付いたか?」
「へ……お兄ちゃん……?」
虚ろな目で俺を見上げ、緩慢な動きで首を動かして自分の置かれている状況を確認し、
「へぅっ!?」
と、奇声を発する。
「あ、あぁぁあ、あの、お、お兄ちゃん……っ、これは、あの、そのっ!?」
「落ち着け」
「つんつんです!」
「よぉし、気が動転してるのは分かったから、俺の乳を突くのはやめろ」
お乳を突くんじゃない。
いいから落ち着け。
照れからか、急いで体を起こそうとしたロレッタは、俺の腕から逃れた直後にめまいによって再び床へと蹲る。
急に動くとぶっ倒れるぞ。
「ヤシロさん、お待たせしました」
湯気の上る大きめのカップを持って、ジネットが戻ってくる。
「ロレッタ。ゆっくりそいつを飲むんだ。マグダ、座らせてやれ」
「……分かった」
「あ、あの、マグダっちょ……あたし、別に平気で……」
「……うるさい」
何も語らないロレッタに対し、マグダが少々へそを曲げている。
不機嫌そうにしながら、ロレッタの主張をバッサリ切り捨てる。
軸足は「ロレッタが大切」に置きながらも、ロレッタに対して怒っている。ホント親友なんだな、お前らは。
近くの席へ座らされたロレッタの前に、大きめのカップにたっぷりと入ったホットミルクが置かれる。
状況が理解できずに戸惑いを見せるロレッタ。
ジネットを見て、マグダを見て、何も言ってもらえないからか最後に俺へと視線を向けてきた。
「いいから飲め」
「あの、でも……」
「飲め」
「……はい。いただくです」
観念したように、両手でカップを持ち、そ~っと口を付けて、ちびりとミルクを口に含ませる。
「甘っ!? 物凄く甘いですよ、これ!?」
甘党のロレッタが驚くほどに甘いらしいホットミルク。
まぁ、今のお前にはそれくらいがちょうどいい。
「全部飲めよ」
「え……でも……」
「命令だ。飲め」
「………………はい」
かなり強引なやり方だ。
そして、可能な限り怖い顔をして睨んでいる。
ここが日本の企業なら、確実にパワハラに当たる行為だ。
だが、構わない。
これでロレッタが俺を嫌おうが疎もうが別にいい。甘んじて受け入れてやる。
いいから、お前はそれをしっかりと飲み干せ。
牛乳は荒れた胃に粘膜のバリアを張ってくれる。
空腹時に飲んでおくと、胃が荒れるのを防いでくれる。胃の荒れはそのまま肌や唇に現れる。
温かいミルクが胃を落ち着けてくれるだろう。
そして、糖分はダイレクトにエネルギーへと変換される。
「それを飲んで、今日はもう帰れ」
「えっ!?」
「帰って飯を食って、たっぷり寝てこい」
「で、でも、まだお昼で……この後夕方のピークもあるですし……!」
「今のお前じゃ、客の迷惑になるだけだ」
「はぅ…………迷惑、です……か」
少々キツい言葉だが、こうでも言わないとこいつは休まないだろうからな。
混雑時に倒れでもしたら、フォローに回るマグダやジネットの負荷は大きくなるし、客にだって心配をかけてしまう。料理を待たせることにもなりかねない。
何より、忙しい時に倒れられたら、発見が遅れるかもしれない。
「体調が戻るまで、仕事に復帰することは許さん」
これ以上無理を続ければ、本当に体を壊してしまう。
とにかく今は休養が必要だ。
「…………」
俺にキツいことを言われているからか、ロレッタはずっと俯いたまま、じっと黙っていた。
しかし、ここであやふやにしてしまうのはよくない。
陽だまり亭は一つの企業だ。なぁなぁで馴れ合う場所ではない。
そして、どんなに仕事が出来ても、どんなに仕事が好きでも、ロレッタは普通の女の子だ。無茶をさせて体を壊させるわけにはいかない。
悩みがあるなら、先にそれを解決させて、しっかりと体力と気力を回復させて、改めて仕事に打ち込むべきだ。
俺たちに話したくないというのであれば、それでも構わない。
その代わり、きっちり解決してこい。それくらいの信用はしておいてやる。
そして、待っていてやる。
……と、まぁ。
そういうことを言う担当は俺じゃなくて……
俯くロレッタの隣に立つジネットに視線を向ける。
『ムチ』の役目はここまでだ。あとは任せたぞ、『アメ』担当。
「ロレッタさん」
俺の意思を的確に読み取り、ジネットがロレッタの顔を覗き込むように、優しい声で言う。
「ロレッタさんが『もう大丈夫だ』と思われたら、いつでも戻ってきてください。いつでも、どんな時でも、陽だまり亭とわたしたちはここにいて、ロレッタさんを待っていますからね」
お前の居場所はここにある。
だから、安心して休んでこい。
そんな思いを分かりやすい言葉に載せてジネットは伝える。
俺やマグダの分も、きちんと。
「……はいです。………………ごめんなさいです」
俯いたまま呟いた後、ロレッタは一言もしゃべらずにゆっくりゆっくりとホットミルクを飲み干した。
そして、ぺこりと頭を下げて、静かに帰っていった。
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