異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

327話 カエルはどこに? -1-

公開日時: 2022年1月11日(火) 20:01
文字数:3,774

 ミリィもマグダも、服を着たカエルを見たことはないと言った。

 

「ミリィもカエルを見たことがあるんだな」

「ぅん。すっごく昔に、ね。ぁの、たぶん、湿地帯に逃げる、途中だったと、思ぅ」

 

 どこかで誰かがカエルになり、カエルになった者は皆湿地帯を目指す。

 そう。これまで何人かにカエルの話を聞く機会があったが、誰もが同じことを言っていた。

 

『カエルは湿地帯にいる』

 

 この街にいるカエルは、すべてこの湿地帯に集まってくるのだ。

 理由は分からない。きっと誰も知らない。

 エステラが言うには、湿地帯は不浄の地であり、精霊神に忌み嫌われたカエルはそこにしか行き場がないと。

 他の連中もそのような認識なのだろう。

 異なる意見を聞いたことがないからな。

 

 でも、おかしいじゃないか。

 

 指先に棘が刺さった程度の、小さな引っかかりではあるのだが、どうにも納得できないのだ。

 精霊神に忌み嫌われた存在なのだとしたら、なぜカエルはこの街に留まるんだ?

 精霊神の立場に立って考えれば、そこまで毛嫌いしているなら街から追い出してしまえばいいのだ。

『湿地帯に籠もってろ』なんて命令を大人しく聞くカエルならば、『出て行け』という命令だってすんなり聞くだろう。

 万が一刃向かうのであれば、処分してしまえばいい。

 そこらの一般人にも頭が上がらないような弱い生き物だ。

 俺みたいな華奢な優男にまでビクビクするような、な。

 

 なぜわざわざ湿地帯に閉じ込める?

 

 なぜカエルはそんな命令を大人しく聞き入れている?

 

 数の力に物を言わせるなり、夜間に奇襲をかけるなりすれば、モーマットの畑くらいは荒らせるはずだ。

 野菜が手に入れば腹も膨れるだろう。

 野生動物でさえ、エサがなければ人里に下りてくるのだ。

 

 だが、そんな被害は聞いたことがない。

 カエルは、大人しく湿地帯に閉じこもっているのだ。

 

「う~ん……それは、精霊神様の力、なんじゃないかなぁ?」

 

 これまで、そんなことを深く考えようとしなかったエステラが、眉間にしわを寄せて首をひねる。

『なぜだ』と聞かれても『それはそういうものだから』という回答しか持ち合わせていないようだ。

 

 この街ではそれが当たり前、常識、普通なこと。

 その理由なんか、考えることもなかった。

 

『他人のお墓を蹴り倒してはいけないのはなぜ?』という質問に、『罰があたるから』と答えてしまいがちなのに似ている。

『え、天罰とか信じてるの?』と聞かれれば『NO』と即答するくせに、なんとなく『他人のお墓を蹴り倒すのはダメだ』と思ってしまう。

『器物損壊になるから』か? いや、そんな着眼点で考えたことなんかなかった。

 

 理由を答えるとすれば『それはそういうものだから』と言うほかないだろう。

 

 つまり、この街のカエルが湿地帯から出てこないのは、そういう感じの『当たり前のこと』なのだ。

 

 

「で、そんなお利口なカエルたちだが――」

 

 人を騙す嘘吐きのくせにカエルになった途端精霊神の言いつけに背く気を一切合切失ってしまったらしいお利口さんなカエルたちが、誰にも迷惑をかけないように湿地帯に籠もっていることを選択したとしよう。百歩譲ってな。

 

「これまで、一体何人の人間がカエルになったんだよ?」

「何人って……」

 

 それにも、エステラは答えられない。

 そりゃそうだ。

 身内がカエルになったら「死にました」と嘘を吐く方がマシだと、パウラが言っていた。

 身内がカエルになってしまったことは全力で隠蔽するものなのだ。

 ならば、正確な人数など把握できるはずがない。

 

 そいつが死んだのか、カエルになったのか、頼れるのは証言だけだ。

 家族が総出で「死にました!」と言い張っていれば、その人物は『死亡』扱いとなるだろう。

 

 正確な数は分からない。

 だが、その数が十や二十ということはないはずだ。

 

「俺でさえ、人間がカエルに変えられるところを目撃しているんだ。ミリィやマグダみたいな、クズがたむろするような胡散臭い場所に出入りしない二人ですらカエルの姿を目撃している」

 

 それはつまり、かなりの頻度で人間がカエルに変えられているということではないのだろうか。

 俺たちの知らないところで。

 もしかしたら、今この瞬間にも。

 

「特に、四十二区なんて、ヘタレとお人好ししか住んでないような街でだぞ?」

 

 他の区に行けばここの比じゃないくらいにクズがうようよいるのは明白だ。

 なにせ、他の区には貴族がいるからな。

 利権や沽券が関わると、人は悪魔よりも冷徹に、鬼よりも残虐になれる。

 

「そして、どの区であれ、カエルになった者は皆湿地帯を目指すとなれば――」

 

 カエルにされた人間は、相当な数いることになるのだ。

 

「ならなぜ、ここにカエルが溢れていないんだ?」

 

 そう。

 この湿地帯にはカエルが少な過ぎる。

 今日は一匹も見ていない。

 おかしいだろ?

 カエルにされた連中が全区から集まってきているんだぞ?

 

 それなりに広いとはいえ、一匹も姿を見かけないなんてあり得ない。

 

「ミリィやマグダがカエルを見かけたのは、全区から四十二区に集まってくるからかもしれないだろう? 目撃する機会は他の区よりも増えるよ」

「だとしてもだ。一匹も見かけないのはおかしいだろう」

 

 反論を寄越してくるエステラだが、その表情は硬い。

 俺の意見を荒唐無稽な世迷い事と思って相手にしていないわけではない。

 あの表情は、『認めたくない』という感情の表れだ。

 なんでもいい。思いついた否定材料を口にして、一瞬でも、一ヶ所でも、受け入れたくない意見を否定して心の安寧を得たいのだ。

 

 否定がうまくいかなければ、自分の信じる常識が揺るぎかねないから。

 それは、ナタリアやイメルダも同じようで、思いつくままに反論を寄越してくる。

 

「人間が大勢入り込んできたので、どこかに隠れて息を潜めているのですわ。マグダさんやナタリアさんなら、相手の強さを気配や雰囲気で分かりますのでしょう? そのような能力がカエルに備わっていれば、ワタクシたちを強敵とみなして身を隠すくらいいたしますわ」

「護身のために、か?」

「そうであると、思いますわ」

「だとすれば、カエルは随分と精霊神に好かれてるってことになるよな。身の危険を事前に察知して回避する術を与えられてるってことになるからな」

「それは……」

「もともと、そーゆー能力を持っとったカエルがおったんちゃう?」

「そ、そうですわね。与えられたのではなく、奪われなかっただけなんですわ」

「言葉も、人間らしい思考もなくし獣に近しい存在のカエルが、コミュニケーションを取って、統率されてるってのか?」

「う……ぜ、全員、そういう能力持ち、なんですわ……」

「マグダやナタリアレベルの人間が、易々とカエルにされたとは思えないけどな」

「……です、わね」

 

 そう。

 今ここで起こっている不可思議を肯定しようとすれば、この街に根付いている常識を否定することになるのだ。

 だからこそ、俺はどうにも引っかかっているのだ。

 

 指先にちょっと刺さっただけの棘が、いつまでも抜けずにじくじくと鈍い痛みを発するように。

 

「カエルの寿命が短い可能性があります」

 

 ナタリアが、比較的考えられそうな推論を述べる。

 

 それは俺も考えたんだ。

 カエルにされた人間の寿命が、本物のカエルと同等か、もしくはそれよりも極端に短ければ、今ここにカエルがいないことにも納得が出来る。

 本物のカエルの生命力で、多少は小さいとはいえ、小柄な人間ほどもあるサイズの体を維持しようとすれば、寿命も物凄い速度で削られていくだろう。

 

 今のところ、すんなりと納得できそうなのはそれくらいなんだよな。

 

 だがそうなると、今度は俺の記憶との矛盾が発生してしまうのだ。

 

「じゃあ、俺がここに落ちたあの日。この沼の縁をぐるっと取り囲むくらいの数の人間がカエルにされたってことか?」

 

 俺は、この沼で、沼を取り囲む夥しい数のカエルを目撃した。

 ナタリアの言うように、ヤツらの寿命がとても短く、一週間や二週間しかもたないのだとすれば、俺がここに落ちた日の前後にとんでもない数の人間がカエルにされたことになる。

 どこかの区で、どこかの一族が壊滅させられたのか。

 はたまた、たまたま嘘吐きがはしゃぎ過ぎてボロを出すタイミングが重なったのか。

 その可能性は、随分と低いんじゃないか?

 

「エステラ。貴族間の抗争で、負けた方の連中が一族郎党カエルにされたなんて事件、あったか?」

「聞いたことはないね。それ以前に、貴族間抗争なんて、そうそう起こらないよ。……今回の情報紙内部の諍いは物凄く異例なことさ」

「じゃあ、ナタリア。四十二区に数十匹のカエルが次々と侵入してきたなんて情報は?」

「……聞き及んでおりませんね。カエルの目撃情報は、特に注意して集めるようにしていますので。――誰が誰に、どのような理由でカエルにされたのか、それを把握しておかなければ、エステラ様に累が及ぶ可能性もありますので」

 

『エステラに近しい者がカエルにされた』とか『問題を起こしまくっていたあの悪党がカエルにされた』なんて情報は、確かに漏らすわけにはいかないもんな。

 

 特に注視していたナタリアが、そんな短期間にカエルがなだれ込んできたなんて情報を得ていないということは、俺が見たカエルの群れは長い時間をかけてこの湿地帯に集まってきた者たちだということだ。

 

 

 つまり――

 

 

「一匹もカエルを目撃していない今は、相当特異な状況だってわけだ」

 

 

 

 湿地帯は静かで、虫の鳴き声一つ聞こえてこなかった。

 

 

 

 

 

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