「ヤシロ。お待たせ」
息を切らせてエステラがやって来る。
全力疾走でもしたのだろうか。……揺れもしないのに、無駄な努力を。
「遅かったな。あの偽乳、そんなに強力に張りつけてたのか?」
「引き剥がすのに手間取ってたわけじゃないよ!」
「あの偽乳は、儚いくらい一瞬で取り外せてしまうものです」
「表現に悪意を感じるんだけど、ナタリア!?」
エステラの後ろに、ナタリアが付き従っている。こいつもこっちで見るのか。
ってことは、今領主の部屋はもぬけの殻か。もったいねぇの。VIP席なのによ。
「それから、ヤシロ様」
「ん?」
ナタリアに呼ばれてそちらを見ると……
「てんとうむしさん、みりぃもきたよ」
ミリィがいた。
「ミリィ、今来たのか?」
「ぅん。……ちょっと、連れてくるのに手間取っちゃって……」
と、ミリィが手を引いているのは――
「……あぁ……アカン。この人口密度でもう死にそうや……人の匂いがする…………人間臭いわぁ……」
「お前は、どこのもののけの姫だよ」
――人間の匂いに酔いそうになっているレジーナだった。
「てんとうむしさんが、れじーなさんは絶対必要って、言ってたから」
「それで連れてきてくれたのか。悪かったな」
「ぅうん。みりぃも、みんなで応援したかったし」
「だ、そうだ。ミリィのためにもしゃんとしろ」
「せやかて…………あぁ、男どものいやらしい視線がウチの胸元に……」
「あ、それ自意識過剰だから」
お前の胸元に視線送ってる暇があったらノーマの谷間に注ぎ込むわ。
「はぁ……ホンマ、どこにこんだけの人が隠れとったんやろうな……」
大量発生した虫でも見るかのように、レジーナが観客席を恨めしげに見つめる。
いやいや、まだまだこんなもんじゃないからな。
「あぁ、あそこに個室あるやん……ウチ、あそこ行ってくるわ……」
「あそこは更衣室だよ、バカタレめ」
なんとか引きこもろうとするレジーナを引き留めていると、その更衣室から物凄い勢いでウクリネスが飛び出してきた。
「ミリィちゃん! 待ってた! 私、あなたを待ってました!」
「ぇ、ぇっ!? な、なに!?」
「さぁさぁ! お着替えお着替え! と~っても可愛くしてあげますから!」
「ぇっ、ぁの……て、てんとうむしさん!?」
俺に助けを求めたミリィだったが、俺が何かを言うより早く、ウクリネスの手によって連れ去られてしまった。
助けてやりたいのは山々なんだが……すまん、ミリィ。正直、お前のチア姿、見てみたいんだ。
「試合が始まるようですよ」
ナタリアの声に、視線を舞台へと移す。
調理された大人様ランチが各選手の目の前へと置かれる。
四十区のゴリラ、オースティンは、立ち上る肉の香りに表情筋をほころばせる。
四十一区のイヌ食いのイサークは、耳を立てて舌を出しハァハァしている。
そして、我らが四十二区のベルティーナは……冷静だ。
山奥の清らかな泉のように穏やかで美しく、静かで涼やかだ。慈愛に満ちた優しい目元は、ただじっと大人様ランチを眺め…………口からは大量のよだれを垂れ流していた。
おぉう…………最後で台無し。
「あ……なんか勝てそうな気がしてきた」
エステラの呟きにも、頷くしかなかった。
まぁいい。今は頼もしいばかりだ。
さぁ、頼むぜ、ベルティーナ!
まずは四十二区に、俺たちに一勝をプレゼントしてくれ!
――ッカーン!
高らかに鐘が鳴り響き、四十五分間の戦いが、今、始まった。
制限時間は舞台上に設置された巨大砂時計で確認することが出来る。
「ふぉぉおおおおっとぉ! 我らが四十二区代表、シスターベルティーナ! 凄まじい勢いで大人様ランチを掻き込んでいくです! これはすごい! 凄まじいです! みるみる料理がなくなり……えっ!? えぇっ!? もう、一皿目を…………完食したですっ!?」
「「「ぅおおおおおおっ!」」」
ロレッタが実況をし、観客が盛大に盛り上がる。
凄まじい勢いで一皿目を平らげ、綺麗な所作で手を上げる。
「おかわりを、お願いします」
すぐさま二枚目の皿がベルティーナの目の前に置かれる。
隣にいたイサークも、その向こうにいたオースティンも、ベルティーナの勢いに目を丸くするばかりだ。
しかし、当のベルティーナはそんなことはお構いなしに、『マイペース』で食料を口へ、そして胃へと放り込んでいく。
バズズズッ! バズズズズッ!
いや、音おかしい、音おかしい!
だが、今日だけはそれでいい!
「いけぇ、ベルティーナ! 他の二人をぶっちぎれぇ!」
なんて、思わず声が出てしまった。
ははっ、なんだよ。俺もなんだかんだ楽しんでんだな。
「おかわりを、お願いします」
まったくペースが落ちることなく、二皿、三皿と皿を積み上げていくベルティーナ。
オースティンとイサークもようやく我に返り、負けじと大人様ランチに食らいつく。
「ガウガウガウッ! ガルルルルッ!」
皿に口をつけ、まさに『食い散らかす』といった描写がピッタリくるイヌ食いを披露するイサーク。……確かに、こいつと飯は食いたくないな。
ちなみに、テーブルに零した量が一定量を超えると減点される。
机に落としたものを食べる行為は美しくないということで、一度でも机に落とすと『食べ散らかし』として、量りの上の器に入れられる。
そして、大会が規定した錘より重くなり、天秤が釣り合うと減点となる。
錘の重さは、料理の総重量の四分の一となっている。
「おかわりだっ!」
「ウッホ! ウッホホ!」
……オースティン、言葉しゃべれないのか?
「あ、間違えました。おかわりをお願いいたします」
間違え過ぎだろっ!? で、普段は意外と丁寧な口調なんだね!?
なんにせよ、イサークもオースティンも二皿目に突入だ。
その間に、ベルティーナは八皿目に取りかかっていた。
うんうん。これは勝ったな。
砂時計の砂がどんどんと零れ落ちていく。
四十区と四十一区の観客は、次第に大人しくなり、随分と静かになってしまった。
「イーケイッケ、ベルティーナ! ハイ!」
「「「イーケイッケ、ベルティーナ! ハイ!」」」
「『ハイ!』はいらないですよ!?」
「「「『ハイ!』はいらないですよ!?」」」
「違うですっ!?」
「「「ちがうですっ!」」」
「もぉーぅ!」
「「「もぉーぅ!」」」
四十二区の観客だけが大盛り上がりだ。……まぁ、バカばっかりなのが玉に瑕だが……
「チッキショォオオオオオオオオ! ガウガウガウッ! ガウガウガウッ!」
イヌ食いのイサークの速度が上がる。
狩人魂とでもいうべきか、すごい根性だ。
すでに十皿以上の差をつけられてもなお折れないその精神は大したものだ。
おそらく、『勝つための戦いをする』と言っていたリカルドの言葉からも、こいつは二番手か三番手の、『勝ちを狙える』選手だったに違いない。俺たち四十二区や四十区が様子見の選手を投入すると踏み、その中で手堅く一勝をもぎ取ろうとしていたようだ。考えることはどこも一緒か……
だが、相手が悪かったな!
こっちはド本命のベルティーナだ!
四次元胃袋の持ち主にして、食べることが大好きな、大食いの神様みたいなシスターだ!
見ろ! もうすでに四十八皿も平らげているのに、あの美味そうな顔。
食事を愛し、楽しむことが出来るベルティーナだからこそ、あそこまでの高みにたどり着けたのだ!
四十区のオースティンは現在、三十一皿完食。三十二皿目にして、完全に手が止まってしまっている。
四十一区のイサークは現在、三十七皿完食。根性を見せるイサークは、大盛りの大人様ランチに対し、果敢に挑み続けている。
そしてベルティーナは現在、四十九皿完食。五十皿目も、もうほとんど残っていない。
砂時計を見やる。
残り時間は、あと十五分。
試合開始から三十分が、……今、経過した!
それと同時に、ベルティーナが五十皿目を平らげた!
そして、ベルティーナがまたも美しい所作で手を……………………上げない?
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